「いやいやいや。ない。それはないって」

 立てかけてある長剣と持ち主とを交互に見比べて、ヴィータはしきりに首を振った。
 早朝。教導の前にちょっとした時間ができ、さて準備も終わったしあとは出番を待つばかりとなったとき、
あの無口な剣士の様子がふと気にかかった。最近になって宿舎に居を構えるようになったと聞いたが、そうい
えば振り返ってみると、一度も様子を見に行っていないような気がする。
 今朝はちょうど気分もよかった。暇があれば気の向くまま、これはもう足を運ぶしかない、とばかりに立ち
寄ったのがつい数分前だ。
 差し入れに持って行った食糧と「邪魔するぞ。よう、ちゃんと生きてたか?」という挨拶に反応が薄いのは
相変わらずだ。
 それでも追い出されなかったということは、まぁ、居てもいいのだろう。そんなふうに勝手に確信しながら、
きょろきょろと見まわしてみる。予想通り家具の類はやはり置いていなかった。傭兵として旅をしていたとい
うし、ひとところに留まる生活にも慣れていないのかもしれない。静かに時を過ごしているうち、昔の生き方
を思い出していくこともあるのだろうか。
 そんなことを考えているうち。部屋の中に家具の他に、面白いものを見つけることができた。
 あてがわれた部屋の中には、彼の持つ剣や槍がいくつも、無造作に転がされていた。そういう姿はあまり想
像しにくいところだが、もしかすると点検や手入れでもしていたのかもしれない。
 おお? と思わず声を上げてから、数をかぞえると七本もある。以前見たときよりも一本多かった。さてど
いつが新入りかと探してみると、意外なことにすぐ分かった。明らかに鋼のそれとは違う輝きを放つ、見なれ
ない鮮やかな赤色の、不思議な剣が目に飛び込んできたのだ。
 見事という他にない色彩だった。自分の髪の色によく似た、あかあかとした剣である。
 刀剣が専門でなくとも一目で逸品だとわかった。思わずしばし目を奪われてしまい、はっと我に返ってから
ようやく持ち主の存在を思い出す。気恥ずかしさを誤魔化すように、一体こいつは何で出来ているんだと強い
口調で尋ねてみた。
 その答えに対するヴィータの反応が冒頭のそれだ。
 どうやらこの赤い剣、大理石製であるらしい。

「ざくろ石って言われた方がまだ納得できるぞ。いくらなんでもお前、大理石はなぁ……なぁ?」
「……」
「『知るか』って……それも拾い物なのか? よくそんなのが落ちてたもんだ。目立つどころの話じゃないだろ」
「……」

 部屋では沈黙したままの青年に少女がひとり喋り続けるという、端から見ると奇妙な光景だ。
 彼のほかに契約者のいないこの世界で、カイムの心の機微を知る者は、彼と契約を交わした赤い竜以外にも
ういない。会話の成立には現在森で羽を休めている、彼女の貢献が必要だった。

『使っているうちに色が変わっていった。何が起きたかは、カイムもよく知らぬそうだ』

 思念による通訳は、たとえ遠く離れていても届くのだ。ただそれがあっても、こうして意思のやりとりが行
われているのはちょっとした奇跡だ。
 ヴィータもそのことはわかっていて、しかし何も言わなかった。無言のまま念話どうしで通訳してもらうこ
ともできはしたが、敢えて肉声を使い続けたのは、目の前の自分と話している実感を、カイムにくれてやりた
かったからだ。

「使ってるうちにって、まるで生き物だな……ん?」

 無言の会話をしているうち、ふとカイムが脇に視線を落とした。何かと思ってヴィータが追えば、その先が
手元にあるグラーフアイゼンに行きあたる。どうせすぐ教導に行くからと、すでに鉄槌の型に組み替えてある。
 喋る魔法の杖の方がよほど不可解だということか。通訳がなくても何となく読み取れて、「お互い様ってや
つか」と決着した。
 考えてみればこれらカイムの武器はどれも魔法を作るデバイスというより、魔法のこもったマジックアイテ
ムと呼んだ方がそれに近い。大理石で剣ができていようと紅色に輝いていようと、そういう効果なのだなと思
ってしまえば、理解はせずとも納得はできる。
 透き通るように赤い剣にもう一度視線を落とす。そういえば竜の思念は、その体と同じ深い紅を思わせた。
どうもカイムの身の回りに、この色がついてまわるように感じられる。前髪に隠れがちな目の色は、あんなに
も青いのに。

「でもさ。どうして今、こいつがここにあるんだ? あたしの記憶じゃ、前は影も形もなかったはずだが」
『下手に触れれば腕を焼く代物でな。そうそう人目に触れる訳にもいかぬ』
「何拾ってんだよ」

 落とす奴も落とす奴なら拾う方も拾う方だ。というかそんなものを持ってて平気なのか。
 などと考えながら、じゃあ残った最後の一つ、八本目の武器はどうなのかとふと思う。相当強力な魔術や呪
いが込められているのか、洒落にならない曰く付きの品と考えてよさそうだ。自分たちにも見せないのはなぜ
かと思っていたが、この調子だと単に強力だからという他に、彼らなりにこちらの安全を考えてのことなのか
もしれない。

『触れねば害はない』
「触れたら害がある時点で駄目だろ……ああ、それでさ。あの鎧の使い道なんだが、そろそろ聞いてもいいか?
 バラしても普通の鎧だし、保管するにも無駄にかさばるし、シャーリーが不気味だ怖いって言うし困ってる」
「……」
『そのうち引き取りに行くそうだ』
「……まさか、装備したりとかしないよな?」

 デバイスの無いカイムはバリアジャケットを持たない。軽装のその姿は見た目以上に危うく、防御力の上が
る選択は本来喜ばしいはずだ。
 しかし物が物だけにそうすんなりとはいかない。多少呪いがかかった防具でもカイムなら案外あっさり克服
しそうだが、絵的にも精神的にもあまり宜しくない図ばかり思い浮んでイヤだ。

「さすがのあたしもそれは受け付けないぞ」
『身に付けはせん。カイムが使うのに変わりはないがな。確たることは言えぬが、その後はおぬしに助力を求
 めるかもしれないそうだ』
「わかった。でもその前に、鎧使って何をすんのかを……ん? 助力って、あたしに? はやてやシグナムに
 じゃないのか」

 片手間に雑務処理もこなす辺りは抜け目がない。時間をつくるコツは仕事の前倒しだ。その日その日のみな
らず先を見越しておくのが肝である。オフィス勤めの長さは伊達ではない。闇の書事件以来十年近く管理局に
かかわってきた、経験豊富なヴィータさんなのだ。

「まぁいいさ。その時が来たら言えよ? 準備が要るなら、作業の内容も早めにな」
「あ、あの、ヴィータ」

 カイムが小さく頷き、約束らしきものが出来上がったあたりで、ヴィータは背後から呼び止められた。振り
向くと見なれた金髪が、怪訝極まりないといった表情立ち尽くしている。
 こちらに来るときふと思い立ち、部屋から引っ張ってきたフェイトだった。カイムと意思をまともに交換で
きるなどと珍しいことがあったものだから、すっかり置いてけぼりにしてしまっていた。「ああ、」ようやく
思い出したといった様子で、悪い悪い。と手をひらひら振ってみせる。

「その……私、どうしてここにいるの?」

 起床して食事と支度を済ませ、さてかなり早いけどオフィスに顔を出そうかと思った十分後にはここにいた。
 時間の流れを軽く無視したような速さだ。そして何が起こるのかと思いきや、ヴィータはヴィータでカイム
と(その言葉を代弁するドラゴンと)会話に熱中していたようで、自分のことなどまるっきり放置ときた。流
れを止めてでも聞かないとやってられない。

「ああ、それなら簡単だ」

 だってさ、と置いてから答える。

「お前ら、仲悪いだろ」

 仲が悪いというほどではないかもしれないが、ぎくしゃくはしてるんじゃないのか、と続ける。
 そしてフェイトの表情を見るに正解だと察し、腕を腰に当ててふふん。と得意げに鼻を鳴らしてみせる。

「夕日の河原で殴りあうイベントも用意してやりたかったんだけどな」
『それで親交が深まるのか? 人間の行動は不可解極まりないな』
「そんな話をどこかで読んだんだ。でも本当に残念なことに、この組み合わせだとどっちかが再起不能になり
 かねない」
『どちらが消えるかは一目瞭然だな』
「いや、あの、そういう問題じゃなくて……ていうか、もう話はして……」
「そういう問題だ。まあいい、そろそろ行くぞ」
「えっ、ち、ちょっと何処へ……」
「訓練場。まだまだ早めだけどな」

 どうせ暇なんだし、お前も見て行けよ。そうカイムの服の袖を引きながら立ち上がり、引かれた側もおとな
しくそれに従う。
 意外なほど素直な振る舞いにフェイトが戸惑ってうちに、はっと気づけばもう戸の近くだ。追いかけるのを
見てからヴィータたちは通路に出、かつんかつんと階段を降りていく。

「仲良くしろとは言わないけどな。思ってることや言いたいことがあるなら、今のうちにちゃんと言っときな」

 あまり期待してはいないが。でもいつまでそのままという訳にもいかない。こういうのは大抵、顔を合わせ
ているうちに時間が解決していくもんだ。
 「お前もだぞ」と、袖を引く男の横腹を肘で小突く。振り返ってみればフェイトの困り顔が目に映った。に
やりと笑うと、はっと気づいたように抗議をこめた視線を返してくる。知らないね、と目で受け流した。経験
豊富なヴィータさんはおせっかい焼きなのだ。



「今朝は早うからヴィータの機嫌が良くてなぁ。ザフィーラ、何があったか知っとる?」
「興奮した様子で『自動販売機の当たりが出てもう一本もらってきたぞーっ!』と言っていましたが」

 そして安上がりだった。



 ヴィータはその後も時を見て、カイムに会いに行くことにした。
 何のことはない。ただ顔を見様子を見て、話すことがあれば話して帰るだけだ。やはり意思の交換は成立す
るものの、仕草も表情も変化には乏しい。
 だがその様子の中に、ヴィータは昔の自分の影を見た。自分が過ごした時間とカイムが生きてきた時間とは、
やはり違うものなのだと分かっていても。高々数十年しか生きていないこの男が、機械のように過ごしてきた
自分たちの記憶と、どこか重なるところがあるのだ。ただその点が気がかりで、気がつくと顔を見に足を運び
たくなる。

「姿かたちは似ても似つかないけど、そんな気がするんだよな」
「漠然としているな。だが確かにあの男の精神は、人にあってどこか人ならぬ部分がある。主たちよりは我々
 に近いだろう」

 八神家のなかでも朝早くに起きて見送りをする、永い時間を共にしたザフィーラも、ヴィータのそんな考え
を否定することはなかった。苦しみで心が荒んでいた頃のことを、忘れた訳では決してない。ただ幸せに恵ま
れて、思い出さないようになっていただけだ。

「人聞きの悪い言い方だな。あんまり否定する要素はないけどさ」
「感じたままを述べただけだ。そう言うお前はどう思っている?」
「ん? んー、あいつ、自分が人間だってのを忘れてるんじゃないかな」
「……人間なのにか」
「人間なのにな。だからこそ逆に、それを思い出した時にどうなるかも気になる」

 今まで見てきたどんな人間と比べても異質な心のかたちをしている。そしてその声を知る人間は、もうこの
地上には誰もいないのだ。他に契約を交わした人間がいれば話は別らしいが、それももうこの世にはない。辛
くても苦しくても常に仲間がいたヴィータたちにとって、そのことが何よりも哀れでならなかった。
 それが同情でもよかった。きっかけが何であっても、思いやる気持ちに偽りはない。黙って身を引くのは、
本人が拒んでからでもいいはずだ。 

「あいつが人とのつながりを必要としてるんなら、力と引き換えに喋れなくなるってのも皮肉な話だ」
「それは順序が逆だ。契約の代償はその人間の精神にとって、最も大切なものが選ばれるらしい」
「そうだったっけ? 初耳な気がする」
「主からの又聞きだが。その様子だと、事前に情報を集めていた訳でもなさそうだな。あの件も知らないのか」
「剣なら一本知ってるぜ」
「あの男が森にいた頃、データにない魔術の行使があったらしい。計器の誤差とも取れる強度だったそうだ」
「ああ、それははやてから聞いた。さりげなく聞いてみてって言われてっけど……あたしたちも知らない、最
 後の一本のアレじゃないのか?」
「まだ残りがあったか……あれだけの数を持ち歩いてたというのも妙な話だ」
「デバイスみたいに小さくもできないのにな。どおりで腕力もつくわけだ」
「教練のメニューに導入してみるか」
「キャロが倒れるって……最近は体力ついてきたみたいだけどな。じゃあ行ってくる」

 昼から夕方にかけてのスケジュールは教練その他の仕事で埋まっているものの、幸いなことに早朝や夜間は
その限りではない。同じく様子を見に行くキャロやエリオ、朝練の相手を探すティアナやスバル(魔術を織り
込んだカイムの近接戦術は特にこのペアとって参考になるようだ)とも、たまに顔を合わせることになった。
隊員それぞれの様子も確認できて一石二鳥だ。円滑な組織運営のためにも、部下の体調は常に把握しなければ
ならないのである。

「そういう建前もあるんだ。諦めな」
「い、いま、建前って言った、建前って言った……!」

 そしてついでとばかりに連れて行かれるフェイトはたまったものではなかった。
 面と向かったところで、一体なにを話せばいいというのだ。腹を割って話せと言われても、今までフェイト
が抱いていた勘違いやこじれた事情は、もうすでに語ってある。そのうえで抱いた感情まではどうにもならな
い。どうなるわけでもないというのに引きずられていくのだからなす術がない。
 そんなフェイトに向かって、本気で嫌なら来なくていいとヴィータは言う。だがそんな言い方をされては退
くものも退けなかった。
 それに、いろいろな行き違いが解決した今となっては、本当に嫌という訳でもなかった。
 ただ少し、不満があるだけだ。

「わ、私がからかわれてたら助けてくださいっ。あなたの相棒なんですから、無関係な顔してないで……」
「……」
「それにいつも、わたしの話だって、聞いているのかいないのか……ヴィータの時は、あんなにふつうなのに」
「ああ、それはアレだ、武器やら何やらの話だったからだな。他のことは知らないけど戦闘とか任務の話はけ
 っこうするぞ、なぁ?」
「えう……そ、そんな……」
「……」
「……う、うーっ……」
「こらこら。威嚇するなよ」

 思わず唸ってしまうフェイト。かすかに物珍しそうな様子を視線に含んだカイムに、横からにやにやと茶化
すヴィータ。その様子を心の眼で眺めて、ドラゴンは小さく笑うことにした。
 かねてから話になっていたカイムとシグナムとの手合わせが実現したのは、それからしばらく経ってからの
ことだった。







「これでシグナムが干乾びずに済んだってことやな」

 かつてない強敵を相手に剣を振るうシグナムの姿をモニター越しに眺めながら、はやてはそんな非道いこと
を言う。「干乾びるはちょっと」と苦笑するシャマルを見て、からからと笑ってみせた。
 最近のシグナムはかなり予定が詰まっていて、その週はこの日の昼だけがぽっかりと空いているだけだった。
この機を逃したら次はいつになるのか分かったものではない。長く流れ続けた話だけあって、事前に約束を取
り付けておけたのは幸運だったと言えよう。
 取り次ぎはヴァイスがしてくれたのです、と昨晩のシグナムは嬉しそうに語っていた。気さくで人当たりの
良いヘリパイロットの株が最近、とみに値を上げているような気がする。昼はたまに隊舎や訓練スペースに足
を運んで、前線メンバーの気分をほぐすよう努めているとも聞いた。これは本人が楽しいからやっているのが
主だった理由のひとつかもしれないが、それでも生真面目な質のティアナなどには、案外彼のような人間がち
ょうど 良いかもしれないとはやては思う。

「それはスバルの役かと思ってましたけど……」
「確かに。でもスバルは、ティアナと同じ立場やからなぁ。ヴァイス君はまた違う意味で役立っとると思うんよ」

 ザフィーラがふむ、と得心したふうに喉をならし、問いかけたシャマルも小さくうなずく。直接そういう場
を見たことはないが、事務方の職員よりも親しげなのは見ればわかる。肩を並べる相方にスバルが、教える側
にはなのはがいるものの、ヴァイスはそのどちらとも言い切れない位置にいた。そのような曖昧さもまた、彼
の人当たりの良さと関わっているのかもしれない。
 そんなことを話しながら、訓練場を映すパネルに指を当てる。ワンタッチで設定を弄れるすぐれものだ。上
から下になぞると範囲が変わり、剣を持つふたりの姿が縮小されて映った。カイムは火炎で崩しつつ攻めかか
り、沼の底のような眼で隙をうかがっている。それをシグナムが経験に裏打ちされた正確さと、人間を超えた
反応で切り返し続けていた。
 一見したところ力は互角だが、それも試合のなかに限ったの話ではある。カイムは得物を最も手になじんだ
一振りに絞っているし、シグナムも剣に仕込まれた裏の手は封じている。そのうえで互いに力をセーブした、
いわば練習試合だ。互いに数え切れない修羅場をくぐったふたりの相性も、追い込まれたときの真価も見えは
しない。逆に言うなら今は、それが望ましくもあるけれども。
 ――口が閉ざされてはいても、剣で語り合うことはできるのかもしれない。
 そんな聞きようによっては物騒なことを、出かける前には言っていた。軽めの口調だったことからすると、
シグナム自身も本気でそう信じ込んでいるわけではなさそうだった。ただ竜の口から語られる心の声のほかに、
彼に思うことがあるのなら。彼の世界までもが閉ざされていないのなら、一応理のある話ではあるように思え
なくもない。
 見た限りふたりとも、表情は集中そのもので、剣の運びもそことはなしに涼しげで静かだ。どこどこまでも
戦いに浸かってはいけないと意識しているのか、あるいはそう思う相手を気遣っているのか。それとも剣のあ
いだの空白に、言葉にならない声をかけ合っているのだろうか。それは当人たちにしか分からないことだ。

「やっぱり、決着がつきそうにあらへんな」

 ぽつりとこぼしたはやての言葉の通り、試合はどうも決め手を欠いている。途中から持久戦の様相を呈した
まま、優劣が明らかに分かれることもなく、制限時間が刻一刻と近づいていた。
 勝負付けを焦っている様子はどちらにもない。その一瞬の焦りが隙を生む、という考えがあるのかも知れな
い。しかし両者ともに、上下を決めることが主たる目的ではなかった。見知らぬ世界の剣に刺激されたシグナ
ムの申し出に、カイムが首を縦に振っただけのこと。剣で己の強さを誇ったところで意味はないのだと、並は
ずれた力量を持つこの二人は気づいている。
 本当に戦うべき相手を除いて、カイムが力の全てを剥き出しにすることはない。シグナムもそれは十分わか
った上で、手数を絞って応じていた。
 それにしても両者ともに息一つ切らしておらず、体力は今までのところ尽きそうにもない。この様子をどこ
かで見ているという新人たちも、勝敗がつく瞬間を目の当たりにはできなくとも、基礎体力をつけることの大
切さを実感することになるだろう。勝負そのものはつかなくとも、それだけでも訓練場を空けておいた価値は
あるというものだ。

「人の身にあって、よくここまで集中が続くものです。契約者とやらは皆こうなのでしょうか」
「比べようにも、他がおらんからなぁ。キャロにも訊いてみたけど、そういう術は聞いたことがないそうやし、
 召喚とも違うって言うし」
「そうそうあっても困りますが」

 それもそうだ。不出の秘法であると同時に、外法のものであることも間違いない。

「闘っとる二人には悪いけど、私らの目指しとるものは、あの人の姿とは離れた位置にある」

 何かを削ぎ、失わなければ得られない力が、得た者のどこかに歪みを生のは、彼が身をもって証明している。
 はやてが、なのはたちが育てようとしているのは、そういった哀しい力ではなかった。

「その事、ティアナは……」
「解っとるよ。見たところな。キツめの朝練しとるけど、その後に支障も出とらんし。実際、負荷も許容内や」
「藪蛇でしたか」
「ううん。みんな新人たちによく目をかけとる、ってことやね」

 そう言って、にかっ、と嬉しそうな笑みを浮かべてみせる。安心すると同時に暖かな気持ちになって、ザフ
ィーラもシャマルも首を小さく縦に振った。主人がたまに浮かべる、人好きのするその笑顔が好きだった。
 ティアナから今までにない種の意識を感じると、まず話に出したのはなのはだった。
 その後ヴィータも観察し、医務室に来た時にシャマルも注視してみたが、ホテルでの警護任務と前後して、
行動や雰囲気からやや違った様子が見られると言えば見うけられた。一人で暮らした期間が長いティアナは、
その必要もなかったのだろう、感情を殺すことには長けていない。それだけに読み取れることは少なくなかった。
 心境に何らかの変化があったのだろう。自主的に訓練を強化し始めたことも合わせて考えて、何らかの危機
感や焦りを抱いているのかと推測できる。悪影響が懸念される可能性もないではなかったが、今のところは大
丈夫だ。自分を追い詰めてしまうほどのものではないと確信できる。
 再び戦況を見ると、カイムが空いた掌を隠すように、腰だめに構えていた。
 警戒するシグナムが行動を起こす前に、押し出すように手を向ける。
 人の背ほどはあるだろうか、巨大な火の玉が高速で放たれた。牽制には適した迫力だ。竜のブレスか、砲撃
を参考にしたのだろうか? 今までかつて見せたことのない、惜しみなく魔力を練った巨大な炎だ。ほう、と
ザフィーラが唸るのが横耳に聞こえる。
 ごうごうと風を唸らせる火の塊を、驚く間もなく避けきったのはさすがシグナムと言ったところ。しかしそ
の後も怯むことなく、大魔法の後にある一呼吸ほどの間を見切り、今度はこちらの番だ、とばかりに瞬く間に
剣の間合いへ飛びこんでいった。相手が軽装だろうが遠慮はないらしい。両手持ちに構えて堅く守勢に回るカ
イムの姿が、その圧力をそっくりそのまま表していた。魔物と帝国兵で戦闘経験を積んだ彼にとって、魔力を
存分に注ぎ込んだ魔道士の機動は侮りがたい領域にある。眼で捉えられても、先の先を取るのは至難だ。
 しかし、強い。見れば見るほど実感させられる。シグナムが対戦を切望し、エリオが憧れるのも納得だった。
竜の力をある程度借りているとはいえ、サポートするデバイスもなしに、超一流の魔道士とここまで渡り合う
者がいようとは。

「戦い方のそこかしこから、執念じみたものも感じるわ」
「復讐のみを信じてきたのなら……それが原動力なのでしょう」
「せやな」

 彼の境遇と、おおよその心理については納得している。
 ただ納得していても、理解していない部分があまりにも多いのは事実だ。カイムたちが歯も立たず、止める
こともできなかったものがいるのだと、はやてはあまり信じたくはなかった。
 不意に大都市に降り立った巨人の姿を、映像で何度か確認している。
 あれを見ると、力とか、強さとか、そういったものと無関係の何者かを想起させられる。あくまでひとりの
人間でしかないはやてにとって、得体の知れない位置にいる何かだ。時間と空間に異常を来すという異形の存
在。今は亡いといえども、畏れ、そして恐れずにはいられなかった。

「歌……なぁ」

 巨人の口元から広がっていった、時空の不自然な揺らぎ。そして彼らが森にいた頃、カイムの居所から観測
された、ほんのわずかな音の波動。
 無視してよいほど些少な痕跡を、はやてはどうしても無視することができなかった。それらの広がり方には、
円環の形という共通点がある。しかもカイムはもう永遠に、声を発することはできないのだ。なのに彼らのも
とから得た「音」は、竜のあのしゃがれた声とは、まったく異なる種のそれだったのだ。
 今のところそれ以上の兆候はなく、たったこれだけの材料では動きようがない。そんな中でヴィータが、ち
ょくちょくカイムの顔を見に行くようになったのは幸いだった。
 彼にはまだ隠している武器があるとも言うし、いままで全ての魔法を披露しているわけではない。不吉な予
感についてはまだ知らせていないものの、ヴィータからは何らかの兆候があれば言うように、と伝えてある。
思いすごしであることを願い、それが彼のためでもあると信じていたかった。結果的として、その予感めいた
危機感は正しかったのである。







 目の肥えた者がおおかた予想していたとおり、制限時間いっぱいまで戦っても勝負の決着はつかず、シグナ
ムとカイムの対戦は引き分けという形に終わった。
 内容から勝敗を決めようにも、判定を委ねるべき審判はこの場にはいない。居たとしても、攻守と優劣が目
まぐるしく入れ替わったこの戦いに、はっきりと結論を下すのは容易くはないだろう。それにそもそもの話と
して、二人とも勝利することに余計な執念を抱いてはいなかった。
 強かった。シグナムが低空から下り立ち、愛用の得物を納めて健闘をたたえる。
 振り向いたカイムの目もとに、湿気を含みはじめた前髪がかかった。年来の癖で、払うようにかぶりを振る。
鮮明になった視界のなかで、わずかに汗ばんだシグナムの顔が充実した笑みを浮かべていた。

「久しぶりにいい勝負ができた。礼を言う」

 一時期よく相手にしていたフェイトに比べると、速度で劣り力に勝った。しかし、勝負強さと言うのだろう
か、戦術のなかに見え隠れする、根底のしたたかさは想像を大きく超えていた。追い込んでも気がつけば小さ
なきっかけで切り返す、フェイトにはないしぶとさがある。未知の剣術であったことも相まって、総合すれば
「予想以上」だ。もっともそれは、カイムにとっても同じことであったが。

「しかし……今にしてみれば、ヴィータの時はどうしてあのような事態になったのか」
「うるさいな」

 様子をうかがいにやってきたヴィータが、耳ざとく聞きつけて横から足を出した。模擬戦闘と題打ってはじ
まったはずの立合いで、思わず巨大鉄球ゲートボールに興じてしまったのはできることなら思い出したくない。
やっていたそのとき最高に楽しかったのと、正直に言ってまたやりたいと思わなくもないのは永遠の秘密だ。
秘密だったら秘密なのだ。
 勝負が終わったのを見てとって、他の仲間たちも続々とふたりのもとへやって来る。
 双方手の内を限っていたのを残念そうにするエリオ、ねぎらいの言葉といっしょに飲み物を手渡すなのは。
 シグナムにとっては意外なことに、フェイトも場に来てタオルを渡していた。
 悪い傾向ではなさそうだ。そう思いながらも、早くもからかう種にならないかと考えはじめるあたりは質が
悪いと自覚する次第である。
 ただ、その前に、口にしておきたいことがある。
 シグナムはふと視線を向け直す。カイムは霞がかったような目で見つめ返してきた。

「鋭くて、それでいて静かな、いい剣だった」

 剣を交えた者にしか、わからないこともある。
 自分と相対したのが、復讐のみによって培われた悲しいだけの剣だとは、どうしても思えなかった。攻防の
なかに隠された、感情の機敏がそう告げていた。そのことにカイム自身は、気付いていないのかも知れない。
この男の不幸は、己の心のかたちが見えないことにあるように思えた。

「肩の力を抜いて生きるのも、そう悪くはないものだと私は思う。あまり死に急ぐなよ」
「……」

 濁ったままの目が、わずかに揺れるのを見つけて。今回はこれで良しとしよう、とばかりに、シグナムは満足げな声で続ける。

「また戦おう。今度はもっと力を尽くせるように……気が向いたらで構わんからな。それまでは、最近早起きの
 テスタロッサにでも遊んでもらうさ」
「……えっ」

 一拍の間を置いて、ぎくりとしたフェイトが振り返る。いつの間にやらエリオと話しはじめているのを見つ
けて、あわてて追いかけて行くのだった。



前へ 目次へ 次へ