「言っちゃなんだけど、これ適当すぎないか?」

 足元の光景を見て、ヴィータは呆れたように言った。
 六課のオフィスからやや離れた例の森の奥へと、カイムと竜につれて来られていた。以前カイムたちが見つけたという池のほとりに、そこらで拾ったとみられる石や礫が無造作に散らべられていた。
 最初にでた一言は、ヴィータにしてはこれでも言葉を選んだ方だった。ただ側で聞いていたカイムに反応はなく、とくに気にしてはいないように見えた。もともと物の出来栄えを誇るような人間ではないのか、それ以前にどうでもよい代物なのか、までは分からなかったが。

「こんな簡単な所で本当に大丈夫か? 失敗する気しかしねーけど……」
「粗雑に扱ったところで、そう簡単には壊れはせぬ」

 問いかけを受けて、竜がずらりと牙の生えた口を開く。

「魔を宿した武具に気遣いは不要だ。そこまで手のかかる代物でもない」
「まあ、持ち主のお前らが言うなら大丈夫なんだろうけど……」

 信憑性の乏しい内容でも、この竜の声で発せられると、どうしてか説得力を持つような錯覚を覚えるようにヴィータは思う。しかし考えても答えが出る訳ではなく、そのうち諦めたように、ふうと息を吐いた。

「本当なら頑丈と言うか、便利と言うか」
「そんなところだ」
「前から思ってたけど、こういうのって誰が作るんだ? 並大抵の技術じゃねーだろ」
「知らんな。人間の赤子を生きたまま鉄に熔かしたという、常軌を逸した人間なら居るようだが」
「……じょ、冗談だろ?」
「さて、どうかな」

 背筋が寒くなるような話が、しゃがれた竜の囁きでやたら空恐ろしく感じられる。
 洒落になってないんだよという抗議を込めて、ヴィータはくつくつと笑う竜の顔を睨んだ。意地が悪く、どこか愉しんでいるような顔だった。
 傍らに立つ、相変わらず無表情の男と対照的に、案外この竜はおしゃべりが好きなのかもしれないとヴィータは思った。口の利けない相方がいると、自然と口数が多くなるのだろうか。
 しかし時たま話す言葉の中には、とても人に聞かせられない内容も含まれていた。今の話にしても、万一キャロやエリオが聞いたら貧血でも起こしそうだ。
 その辺りは竜も理解しているのか、話す相手を選んでいるらしいのが幸いだった。

「哀れ鎧も鉄クズ、か……」

 倉庫から引きずって持ってきた甲冑を、ヴィータは手持無沙汰にコンコンと叩いた。カイムはそれを横目で見ながら、利き腕を背中に回す。
 彼の持つ武器の中で最も巨大な、鉄塊と呼ばれる剣に手をかけた。無骨すぎるこの剣には鞘というものがない。竜の脚ほどはあるかという太さの赤黒い肌は、常に外気に晒されていた。

 デザインや造形という言葉に存在自体が喧嘩を売っているようなその剣には、注視すれば大きいものから小さいものまで、数え切れないほど傷や歪みがある。
 戦っている間は手入れの暇さえなかった、というような話を聞いたような気がする。威力からして主力になりそうな武器だから、きっと常に彼の傍らに在ったのだろう。
 彼らの荒唐無稽な旅の話の全ては、ヴィータはまだいまいち呑み込めていない。それでも少なくとも、彼らが幾度も死線を越えて来たことだけは、やはり疑いようのない事実だった。





 シャドウの残骸を熔かし鉄塊の補強をする、とヴィータが聞いたのは昨日のことである。カイムの様子を見に隊舎へと足を運び、「よっ、死んでないな?」と挨拶代わりに言ってから、外へ竜に会いに行ったときのことだった。
 「確認できる魔術の痕跡なし」となった鎧の使い道は、一部サンプルを除けばカイムたちの自由になっており、ヴィータはもちろん、なのはたちも随分気になっていたところだった。
 当初は彼らの世界で用いられる、魔術の触媒にでも使うのかと思われていたのだが。それに比べたらもっと単純というか、原始的なものと言える。鎧をそのまま身につけて防具にすると言われなくてよかったとヴィータはこっそり思った。防御力が改善するのは良しとしても、如何せん見た目が嫌すぎる。

「ええと……いや、その、なんと言えばいいのか……回路を組み立てて、そこに魔力を流す、というか……」
「………………」
「あっ、そうだ、デバイスが無いから……あの、盾や壁を出す魔法のこもった武器って……ないんですか。うーん……」
「そう焦らず、気長にやるといい」
「いえ。そう言っても、もし覚えられたら、絶対に助けになりますからっ」
「……とにかく、おぬしの負担にならぬ程度でな」
「………………」

 カイムにミッドチルダ式の魔法が合わないと分かってからも、なのはの努力は続いていたが。今のところそれが実を結ぶ気配はなく、カイムの身の守りは依然として手薄なままだ。
 身につくかどうかさえ分からないものより、すぐやれることがあるなら、そちらを優先するのは道理である。話を切り出した赤い竜に向かって、それなら六課に任とけよ、とヴィータは一度そう返した。機動六課オフィス内に溶鉱炉はさすがに無いが、適した施設を探すことはできる。
 だが竜はそれを避けて、炉は自前で準備すると言い出した。
 自前でとはどういうことかと訊こうとして、しかしヴィータはそうしなかった。この竜の言葉に偽りが無いのは今までのことから分かるし、自分の使う物はできるだけ目の届くところで直したい、という考えがあるのかも知れなかったからだ。
 そういえばかつて、剣を一振りだけサンプルとして貸してくれたこともあった。それも今にしてみれば「恐らく何もできないだろう」という見通しがあったのか、と振り返ったりもした。

「あれ以上大きくするのか。扱えるならいいけど……ひょっとして、それで魔法も強くなったりするのか?」

 戦いの中で変化し力を増していく。限られた武器だけが持つというそんな性質を思い出したヴィータは、そのときふと思いついて竜に訊ねた。
 赤い竜はひとつ息を吐いて、察しがいいな。と感心した。

「出来次第だが、試してみたいことがあるそうだ。竜の息吹で鍛えた剣が、更なる魔性を帯びるのかどうか」

 話を聞いたヴィータは、おおお、と内心一人で盛り上がった。竜の火で剣を鍛えるという発想はなかった。まるでメルヘンやファンタジーのような話だ、と思いっきり自分の存在を棚に上げつつ、否応なしにテンションが上がる。
 ただややあって、ある懸念が頭の中をよぎった。
 鉄塊の魔法は自身を中心に爆発を起こし、周囲すべてを吹き飛ばすもの。その熱は使う者にも襲いかかり負傷させ、現にホテルアグスタでこの魔法を使用したカイムも軽くない傷を負ってしまった。
 まさに諸刃の剣と言えるその魔法がさらに威力を増したとして、それは本当に良いのだろうか。この男にとってそれは吉でもあり、同時に凶でもあるのだ。

「同じ失敗を繰り返す程、この男も愚かでは無い」

 ん、とヴィータは竜の顔を見上げた。
 そんな懸念も、どうやらお見通しだったらしい。

「おかしいな。考えたことが口に出る癖はねーんだけど」
「最近は人間の考えも少々解る。もっとも、おぬしらも普通の人間とは違うようだが」
「……気付いてたのか」
「まあな。些細なことだが」
「それもそうか。なにしろ竜だしな」

 そういうことだと言わんばかりに、竜はフンと鼻息を吐いた。その様子がなんだか可笑しくなって、ヴィータはニッと笑った。
 高い知性を持ち、かつての地上で最強の生物と呼ばれたこの赤い竜の横顔に、その時ヴィータは、なんとなく共感を覚えた。この気高い竜も、自分たちがそうだったように、人間と共に有ることで、自分の中に変化を見出すことがあったのだろうか。

「話を戻すが、本当に強くなるとも限らん。剣の図体ばかりが大きくなるだけかも知れぬ」
「そうか? 竜の炎で鍛えるとか、話を聞いてるだけでも強くなりそうだけど……ん?」

 そこでヴィータは言葉を切って、竜を見たまま呆けたような表情になる。
 どうした、と竜が尋ねるより早く、ぱっと表情が一変する。「そうだ!」とまるで名案が浮かんだように言い、今度は長身のカイムの顔を、下から見上げた。

「なら、あたしがアイゼンで叩いてやろうか。お前らの武器とは別ベクトルだけど、こっちのデバイスも魔法の武器だし」

 カイムから返ってくる視線に、ふふん。とヴィータは得意満面の笑みを浮かべた。
 しばしカイムはヴィータの顔を見つめ、ヴィータも同じく向かい合った。以前よりも気のせい程度には精気があり、はっきりとしているようにヴィータには見えた。
 ややあってカイムは竜に視線を投げ、やがてそれを引き継いで、竜が口を開いた。

「……カイムは構わんそうだ。ただ、一つ念を押しておく」
「何だ?」
「折るなよ」
「失敬だな!」





 そして今に至る。

「一応ヤスリとか研石も持ってきたんだけどな。実際どうなんだ? 要るのか?」
「必要ではないな。この剣は斬るより潰す方が向いている。刃は飾りのようなものよ」
「そんな気もしてたんだ。まぁ念のためのつもりだったからな」

 手に下げていた道具袋をがちゃんと地べたに放って、ヴィータは気にした様子もなくひとつ伸びをした。
 ここのところは晴天続きだが、森の中では日差しはそれほどでもなく爽やかだ。暑くすぎず涼しすぎずといったところか。午前の訓練に汗を流している新人たちは大変かもしれないが。
 その訓練には、ちょうど都合よくフェイトの予定が空いていて、ヴィータの代わりにサポートに回ってくれていた。なのはもフェイトも今回の話には興味があるようだったが、まぁ訓練が有るものは有るのだから仕方がない。

「そういや、シグナムが『使用感を試したいなら相手になるぞ』ってやたら愉しそうに言ってたな。伝えとくぞ」

 この話を一番興味深そうに聞いていたのはシグナムだったが、外回りの仕事があるとかで今日は夕方まで帰って来ない、とそんな事を言ってひどく残念そうにしていたがそれも仕方のない話だ。ついでに言うとヴォルケンリッターの中で火と言えばシグナムだが、本領は剣にある。こういう作業には向いていないだろう。

「それは結構だが、この剣を正面から受け切れるとは思えんな。あの女の力が常人の域にないとしてもだ」
「案外いい勝負もできると思うぞ? お前たちは知らないんだろうけど、フェイトのデバイスも大剣の形に変えられるんだ。よくシグナムの相手してたし」
「ほう」

 感心したように言ってから、かか、と竜は面白そうに笑った。

「あの娘、ただ愉快なだけでは無かったらしい」

 おしゃべりもそうだが、この竜は人をからかうのも好きらしい。
 しかしまぁ、それで親交が深まるなら結構なことである。フェイトにはもうしばらくいじられキャラでいてもらおう、とヴィータは思った。
 本人に言ったら訴訟は免れないだろうが、実際見ていて面白いし。

「……まあ、お前も仲良くやってくれよ。キャロたちには割と懐かれてるみたいだし、フェイトともさ」

 そういえばさっきから放ったらかしだったと気付き、ヴィータは顔を上げてカイムに話を振った。褐色をした剣の表面を見つめていたところだったカイムは、気付かなかったらしく反応を見せなかった。まったく。と思いながら手を伸ばして、とんとんと肩を叩く。長身のカイムに対しては、背伸びしてやっと届くくらいだった。

「……」
「そうだよ。お前に言ったんだ」

 ヴィータが指差しながら言うと、顔を向けたカイムは首をわずかに揺らした。ややあって元へと戻る。
 単に答える気が無いというより、少し考えを巡らせていたとヴィータは受け取った。たぶん結局、何と言えばいいのか分からなかったのだろう。なんだかまた可笑しくなって、くっくっとヴィータの肩が揺れた。

「……さて」

 一拍の間があって、竜の声が変わった。
 それが合図だったかのように、場の空気もぴんと張り詰める。
 ヴィータの顔からも笑顔が消え、引き締まったものへと切り替わった。グラーフアイゼンの柄をやや短めに握り、ぶんと振って肩にかつぎ上げてから、カイムの傍らにゆっくりと歩いていく。
 その様子を確かめた後、竜はカイムへ目をやった。
 が、この位置からは彼のちょうど横顔が見えていて、彼の眼の色を窺うことは今はできなかった。だが契約を通して流れてくる気配は、波のない水面のように穏やかだった。

「始めるぞ」

 ヴィータが鎚を構え、カイムが剣を握りしめるのを見て、竜は牙の間に火を熾した。







 その翌日。
 カイムは蹴り飛ばしていた。
 スバルを。

「……っぷはぁ! も、もう一回、お願いしますっ!」
「…………」
「うぐっ……っと! ま、まだまだぁぁ!!」

 交差させた両腕の向こうから、スバルがしぶとく気を吐いている。
 それを確認して利き足を浮かせ、またぶっきらぼうに前蹴りを放つ。
 シールド越しでも芯にくる衝撃に身体がわずかに浮きあがり、踏ん張る足が地面ごと後方へズレる。顔を上げて気合いを見せるスバル。蹴り飛ばすカイム。延々とその繰り返しだ。
 傍らにはヴィータが立ち、ほうほう、もうちょい踏ん張れー、などと口を出している。そこに向かってカイムが視線を移すと、それに気付いて顔を向ける。

「スバルが根を上げるか、時間がくるまで終わっちゃ駄目だからな。もうちょっとしたら休憩……あ、でもこの後はエリオの槍技もあるし、ティアナの連射ももしかしたら……」

 今日の予定を指折り数えてから、ヴィータはふとカイムの顔色をうかがった。
 眉ひとつ動かさず続けているところを見ると、どうやら問題はないらしかった。
 その様子を確かめてから、ヴィータは空を見上げる。鳥のように小さく見える赤い翼が戯れるように宙を舞っており、白い翼がそれを追いかけている。

「悪いなー! お前の相方、今日は一日中借りることになりそうだー!」

 声を張り上げてから、またスバルに目を戻す。遠すぎて聞こえなかったとしてもさして問題はなかった。
 赤い竜が聞いていなくても、カイムが聞いていさえすれば契約を通して伝わるのだ。大声を出したのは、言葉の内容と併せて、相手をはっきり示すために過ぎない。制約は重いけど便利な面もあるな、とヴィータは契約について思った。かといって、自分でする気には絶対にならないけれど。
 トレーニングの様子を見にきたのか、訓練場にふらりとカイムが現れたのが朝のこと。
 それならば、となのはの提案とヴィータの勧めがあって、急きょ個別訓練の手伝いを頼んでみることになった。もともと鍛冶の手伝いの礼を兼ねて、何かあったら手を貸すつもりで来ていたとのこと。断る理由も何もなかったらしく、赤い竜を通して得た返答はすんなりしたものだった。
 今のところそれが案外上手くいっている。言葉を持たないカイムに技術を口頭で伝える能力はないが、そもそも魔法の体系からして違うのだからそれは最初から望んでいない。
 負荷をかけた反復訓練の助けに、カイムは向いているようだった。彼ら契約者の身体能力は、魔道士が魔力を用いてはじめて出せるレベルのもの。これをリスクなく発揮できるというのはそれだけで重宝する。
 万能型の魔道士は器用貧乏の域から出るのに苦労するんだよ、となのはは言っていた。だがカイムの場合はそういう心配は無用らしい。魔法・肉体・センス、どれを取っても文句なく高い水準に達している。惜しむらくは精神的な歪みだが、それさえ除いてしまえば完璧だ。契約者として完成した形のひとつが、恐らく彼のような者なのだろう。
 しかし逆に言うと、完成しているということは、つまりその他が閉じているということ。
 スバルたちに対して感じるような伸びしろを、ヴィータは彼の中から見出すことはできなかった。とはいえそれは自分たちも同じようなもの。ついでに言うとカイム自身、体を鍛える様子はなく武器に手を入れる辺り、それは本人も自覚しているのかもしれなかった。
 そんあことをつらつらと考えているうちに時間は過ぎ、しばらくするとヴィータから「止め」の合図が出る。
 やはりかなりの負荷があったらしく、スバルは尻もちをついて地面に座った。カイムは足を振りきる先をなくして下ろし、荒く息をするスバルを見つめている。

「で、どうだった?」

 ヴィータは顔色を覗きこみながら問いかけた。
 肩で息をするスバルからは、何が、ですか、と切れ切れな声が返ってくる。

「あたしのいつもの打撃とどっちが効くかだって。気になるだろ」
「えと、ど、っちも、比べるのは、ちょと」
「傷ついたぞ。おいどうしてくれる」

 冗談交じりにそう言って、ヴィータはカイムの腰のあたりを肘でつついた。カイムは視線だけは向けているが、特段何も動きを見せない。するがままにさせている。
 ――仲、良さそうだなぁ。
 スバルは荒く息をしながら、そんなことを思う。そういえば昨日は一緒に居たらしいけれど、どんな用事があったんだろう。
 その時の事を尋ねてみたい気もしたが、スバルは黙っておくことにした。いま口にするのは、なんとなくはばかられた。せっかく空気もいいのだし。

「……」

 人間以外の何かのようでいて、彼よりよほど人間らしい少女たちを、カイムはじっと見つめている。

「お前のいた所だと、こういう訓練って無かったのか? あたしらとは違うけど、騎士とかいたんだろ? 中世ヨーロッパっぽいのが。魔法使いとかもさ」

 視線を受けてか、ヴィータは踏み込んで、そんなことを尋ねた。少しの間があったがカイムは顔色を変えず、首だけを小さく横に振る。
 スバルは呼吸を整えながらその様子を見て、あれ、と内心で首をかしげた。
 普段のカイムの印象は今よりも、もっと捉えどころがないものだったように思う。それがなんだか、雰囲気からうっすらと読みとれるのは気のせいだろうか。

「そっか……それにしても、単なる蹴りでこれなら十分だよな。本格的に習い始めたら、スピード以外はスバルより強くなるんじゃないか?」
「やっ、やめてください、洒落になってないです……」

 笑いながら言ったヴィータのそれは、実のところスバルには少しぎくりとする一言だった。シューティングアーツの機動と威力は、何年もの習練を重ね続けてこそ成せるもの。しかし何しろ素の筋力がこれが年数に胡坐をかいていればあっという間に十八番を奪われかねない。
 とはいえ、格上相手にそこまで意識しても仕方がない。確かに敵に回ったら恐ろしいどころの話ではないけれど、味方としては心強い限りだ。
 ふと思いついて、スバルは指をあごに当てる。んー、と少し考えてから、

「ヴィータさんじゃないですけど、格闘、やってみませんか? カイムさんだったら、きっと強くなれると思います!」
「敗北宣言か……」
「ち、違いますっ! 何でもかんでもそっちに持ってかないでください!」

 けらけら笑うヴィータにまくしたててから、ふう、ふうと自分を落ち着かせる。顔を上げて、スバルはカイムの表情をうかがった。
 カイムはしばしスバルに視線を向けていた。何も無くともその長身のおかげで、真正面から見据えられるとかなりの威圧感だ。絶対この人見た目で損してる、と思いながらわずかに肩が強張った。基本的に人見知りで小心者のスバルである。
 スバルはカイムの所作から、考えているのだろうか、と何となく感じ取った。そして、そう推測できること自体が珍しいことに気付いて、内心少しはっとさせられた気分になる。
 やがてカイムは上体を傾け、腰に手を伸ばした。
 愛剣の柄を逆手に握りこむ。
 しゃん。と透き通るような音を立てて、鋭い刃と紅い紋様の根を露わにした。

「その剣、親父さんの形見なんだったか」

 何とも言えないような声色でヴィータが言うと、カイムは首を縦に揺らした。剣を捨てる気もないし、如何なる戦いにおいても離すことはないのだと、そんな意志を表しているように見える。
 そう思ってから、はっ、とスバルは我に返って腕を胸元に上げた。肘から先を覆うリボルバーナックルは、スバルの母・クイントの形見だ。
 この人にもかつて憧れ、目指してきた人がいるのだろうか。そう思うと、何だか親近感を覚えたような気がする。
 ヴィータがそれを見て、ん、と喉を鳴らす。

「スバルもだったな、確か」
「あ、はい。ギン姉と……あっ、カイムさんとは面識無いですけど、姉も魔導師なんです。もともと左右あったのを、二人で分けて持つことにしてて」
「思い出の品だな。使いはじめてからも結構長いんだろ?」
「はい。これを使ってるだけで、たまにお母さんが側にいるみたいな気分になるんです。一緒に戦ってるみたいで」
「自分の武器にはお互いこだわりが有るってことか。でも、組み手くらいなら相手になるって言ってるぞ」
「えっ……」

 母の形見に目を落とし、懐かしさに浸っていたスバルは、不意に現実に引き戻されて顔を上げた。
 背中に腰に肩に手を回すカイムから、ぱちんぱちんと止め具が取れる音と地面に何かがぶつかる音。よくこんなに、と改めて思うほどの装備の数々を外して、身軽になっている最中だった。
 練習にまだ付き合ってくれるらしい。

「あ、あの、でも、い、今はちょっと……」
「流す程度でいいって。あたしは今からなのはとティアナの様子を見に行かなきゃならないからな。その間のクールダウンにはもってこいだろ」

 下手をすると次の教練までに立ち上がれなくなりかねない、とスバルは尻ごみしたが、そこにちょうどよくヴィータが渡りに船を出した。
 実のところ先程から竜から念話が飛んできている。要約すると「好きにしろ」というお達しだ。お互いちょうど共通点も見つかった事だし、とヴィータもそれに乗っかることにした。

「え……でも、いいんですか……?」
「おいどうする。なめられてるぞ?」
「そ、そういう意味じゃないですからっ!」

 それでも躊躇うスバルを見て、ヴィータはにやにや笑いながらカイムに語りかけた。わたわたと慌てて手を振るスバルを楽しそうに見てから、じゃあちゃんと身体動かしとけよ、と森の入口に向かって歩いて行く。目を話している間にカイムがスバルを全力でぶっ叩いたら、スバルが午後再起不能になることはあり得なくもない。しかし、まぁないだろ。とすぐ切り捨てた。先程からの様子も相まって、平常時のカイムの素行を、ヴィータは完全に信用していた。
 残されたスバルはと言うと、心の中でヴィータに愚痴をぶつぶつとこぼしている真っ最中だった。面倒見がいいし話しやすいのはいいところなんだけど、こうやって人をおちょくって楽しむのは困る。いや確かに単独だとそこまでではないのだけれど、そこにカイムが絡んでくるだけでさらにタチが悪くなるのだ。根っこの部分が臆病わんこなスバルである。知り合いとはいえカイムとはそこまで親しくなく、簡単に言っちゃうと今もちょっと怖いのだ。まだ尻尾は振れない。
 そんなことを考えているうちに、装備を外し終わったらしく音が止んでいた。その後カイムは特に身構えもせず、やや半身になってスバルの様子を観察している。
 仕掛ける気はないようだ。
 かかって来い、ということなのだろうか。

「……あの、よ、よろしくお願いします」

 その意思に甘えることにして、スバルは両の拳を腰もとに構えた。
 頭の中を切り替えて、間合いのギリギリまで距離を詰めていく。
 軽く流すようにとヴィータに言われているとはいえ、気を抜いていいわけではない。踏み込む足に視線を感じる。足払いを狙っているらしい。スバルが嫌がってスタンスを広げると、今度は意識が腕へと向かったように思えた。空振りでもしたらそのまま引き倒されそうだ。すっ転ばされでもしたら多分蹴りが飛んでくる。練習とはいえあの蹴りを身体で味わうのは遠慮したいところだ。
 様子見で右を振ると、左手を当てて軌道を変えられたうえ、そのまま腕を掴もうと手首を曲げてくる。やっぱり、と思い素早く引くと今度は蹴りだ。足を挙げて受け止める。衝撃は軽い。そのまま踏みこむ。突き出した拳が掌に当たる。ぱちんぱちんと弾けるような音がした。

「……カイムさん。ちょっとペース上げて、いろいろやってみてもいいですか?」

 そのうち少し試してみたくなってきた。
 お互い目が慣れてきたところを見計らって、スバルは構えたまま話しかける。体を動かしているからか、さきほどまでの緊張はもう頭から抜け出ていた。

「………………」

 無動作は了承。
 スバルは迷いなく、地を蹴って間を詰めた。流しとはいえあまり無い機会だから無駄にしたくはない。
 そこからはピッチを上げると同時に、スバルは動作にフェイントを混ぜはじめた。仕掛けるのと逆側の肩を入れる素振りを見せ、踵をずらすだけで踏みこまない。訓練校時代いろいろと試した、反応速度の速い相手がこれによく引っかかる。
 だがスバルを正面に捉えた眼光からは、意識のブレを読み取ることはできなかった。拳を振りながらよくよく観察すると、フェイントの前後で雰囲気がまったく変わっていない。視線はまっすぐだし、ぴくりとも応答しないのだ。
 直感かな、とスバルは思った。何となくだがこの人は、感性で戦っているところがある。
 そんなことを考えながら、拳を繰り出し続ける。総合的には格上の、どこか未知のものを感じる男を相手にするのは、軽めの流しとはいってもやはり楽しくさえあった。
 暫く汗を流していると、先ほどまで冷めかけていた身体がじんわりと温まってきた。いい感じかなー、と思っていたところで、不意にヴィータから通信が入る。
 合流してそのまま次のメニューに移るから歩いて来い、とのことだった。気分もだんだんノって来たところだったので水を差されたような気分だったが、もともとそういう前提である。お疲れさまです、ありがとうございました、と喋ってから、手荷物を持って共に動きはじめることにした。

「……」
「…………」
「……えと」
「…………」

 無言の道中。
 勝手に居たたまれなさを感じて、スバルは気がつけば口を開いていた。カイムが先を歩き、スバルはその後に続いている。
 カイムは歩みは止めず、背中越しに視線だけを向けた。おおきい背中だなあ、と、スバルはぼんやり、そんな事を思った。

「な……慣れてるんですね。格闘もかじってたんですか?」

 先程の様子は、長年格闘を続けてきたスバルから見てもなかなか様になっていた。とはいえそこまで意外ではない。主に剣を使うといってもその剣が折れたり、盗られたりということもきっとある。国は滅んだけれど王子さまだったとも聞いているから、護身術とかでいろいろ訓練したのかな、と何となく思っていた。実際それは当たっていた。
 おっかなびっくり話しかけたスバルの前で、首が小さく縦に揺れた。
 それを見たスバルは目を白黒とさせた。こんなにはっきりとした答えが返って来るのは、これが始めてだったような気がする。
 武器を持たず、竜族という共通点もないスバルは、カイムとあまり接点がない。
 だから、彼の心境にどんな変化があったのかは察しかねた。しかしとにかく、何かがあったらしいのは分かる。ヴィータやキャロたちと、上手く付き合っているのだろうか。
 そんなことを思いながらしばらく歩き続けると、ヴィータたちが勢ぞろいで待っていた。どうやら自分たちが最後だったらしいと、スバルは小走りに駆け寄る。

「お待たせしましたー! あれ? 皆どしたの……って、それ……ええっ……?」

 そこで皆を見、その真ん中に置かれた物体を見て、スバルはぎょっとしたような声を上げた。
 視線の中心にある木に、鉄塊が立てかけられている。しかし今目の前にあるそれは、記憶の中のそれと比べて明らかにサイズを増していた。
 心無し、色もさらに赤みを帯び、浅黒いものになっている。背も人間ひとりくらいはゆうにあった。そう、ちょうど、

「なのはさんくらいある……」
「やめなさいよ馬鹿スバル……想像しちゃうでしょうが……」
「ちょっ……ちょっとティアナ、とんでもないこと想像してない?」

 なのはが剣のように振り回されている様子を想像して、めまいがしそうな声を出すティアナ。当人のなのははそれを聞いて、あんまりな図を思い浮かべて顔をひきつらせた。

「改良したんですか、これ……?」

 スバルが、仲間たちの輪からやや離れたカイムに向かって訊ねると、竜が首を縦に揺らして答えた。

「集めた鎧を熔かし、継ぎ足しただけだ。半分ほどは剥がれて使いものにならなくなったが」
「そんな荒っぽい……」
「もともと切れ味は無いに等しい」

 ぐるぐる、と咽喉を鳴らして言う。
 以前よりも粗く、ざらりとしたものになった剣の表面は、岩盤のような竜の肌によく似ていた。

「『歯の生えた赤子』にはこれがよく効いたものだ。魔法がほぼ効かぬから、叩き潰す他にない」
「……私たちの魔法も、効き目が薄いと見た方が良さそう……ですね」

 いつの間にか真剣な表情で聞いていたなのはに、竜はうなずいた。

「竜族のブレスであれば話は別だがな。出来れば二度と」

 心からそう思う、といったドラゴンの声色に、スバルは驚きを隠せなかった。
 いくつも格上の実力者が明らかに警戒する様子に、彼らのかつての敵の恐ろしさを否応なしに感じてしまう。ぶるりと軽く肩が震えるのを感じて、背中にぴんと力を入れる。

 機動六課に配属されてから、色々なことがあった。実戦も訓練もあり、他ではできない経験を積んでいるとスバルは自覚している。
 未知の敵や戦いを仄めかされると、気持ちに不安なものが入りこんでくる。
 自分にもできることがあるはずだと思いつつも、そんな想像にも影のようなものがちらつく。……なのはたちも、カイムたちも、昔はそんなことを考えたのだろうか。
 そんなことを思いながら、スバルはより威容を増した巨大な剣を眺めていた。同じような不安を、ティアナが自分よりずっと深い部分に抱えているのに、気付かないまま。

 なのはが新人たちと模擬戦の予定を組んだのは、その数日後の事だった。



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