時は少し遡る。具体的にはキャロが森へ向かった、ちょうどその直後のこと。
 訓練を終えて歩いていると、キャロがポケットから何かを取り出し、中身を見るや否やフリード
リヒの翼を解放して雷光の如き速度で森にすっ飛んでいった。
 ――という様子が誰の耳にも眼にも入らないはずがなく、現にティアナ・スバルからなのはへ、
エリオからフェイト(幸運にもこの日は外地での任務がなく、オフィス内でデスクワーク中だった)
へと伝わる運びになる。
 訓練直後なのだから自分がと言い張る親友を説得し、キャロへの対応はフェイトが買って出た。
 もともとライトニングの子供たちは自分が面倒を見るつもりでいたのだし、訓練を終えて疲れて
いるのはなのはだって同じだから少し休め。と言うと、心配そうにするも割とあっさり了解した。
最近見られるいい傾向である。

「森の方に行ったの?」
「はい。何だか青褪めた顔になって、もう一直線に」

 と答えるのはエリオだ。脇目も振らず竜をかっ飛ばして行ってしまったのを何事かと思いながら
も、何か大変なことでもあったのかと心配しているのが声色から窺えた。そしてそれは、聞いてい
るフェイトも同じである。
 ただ目的の詳細は分からずとも、何を目指して飛んでいったかという点についてなら、二人とも
見解は一致していた。
 向かった先に居ると思われるキャロの知り合いは、考えられる限りではそれしかない。

「ケリュケイオンに呼び掛けはしたんですけど、通信を切ってるみたいなんです」
「大丈夫だと思うけど……」

 とフェイトは、頬にそっと手を当てながら言った。
 森に居る彼らがキャロに危害を加えないのは勿論のこと、たとえ森にて何らかの危険に遭遇した
場合でも護ってやってくれると信頼している。
 しかしそれでも不安になるのが親というもの。
 ついでに言えば既に夕方だ。陽はかなり傾いており、茜色の空は徐々に闇を纏いはじめていた。
 太陽が地平線に沈むまでもう、幾許の時間も必要ではなかろう。森が暗がりに包まれる早さはフ
ェイトも知るところであった。仮に暗闇に一人で歩くことになると、何が起こるか分からない。
 藪から蛇が出ようが虎が出ようが、いざとなればフリードリヒが炎で追い払ってくれる筈。とは
知っていても、心配なものは心配である。
 と思っていると、二人の精神に直接語りかける声があった。

『エリオ、フェイトさんっ』
「スバル! 何かあったの?」
『何かというか、えと……なのはさんが探知魔法使ったんですけど。今ちょうど帰り道みたいです』

 ひと安心である。エリオはほっと息を吐き出し、フェイトは安堵した表情でスバルに礼を返した。

「はぁ……良かったです」
「帰ってきたら、フリードリヒの封印の件も含めて、きちんと言って置かないとっ」

 そう一人意気込むフェイトであったが、それはきっと無理だとエリオは思っている。
 勝手に封印解除したこと云々は兎も角として、帰ってきたキャロに開口一番お説教――というフ
ェイトの姿はどうしても想像し難いところがあった。
 「け、怪我はない? 大丈夫? 転ばなかった?」とおろおろ心配する像の方がよりリアルであ
ろう。
 というのは今に限ったことではなく、フェイトは常日頃からそのように過保護な面を見せること
が多かった。その優しさが心地よくあり、だが逆にそう手をかけさせたくないというのが、最近の
エリオとキャロの共通の悩み事でもある。
 本来親無しの身である自分たちがそういった口を挟むのは、それこそ傲慢であると分かっていた
けれども。だがもう少し、厳しく突き放してくれても平気だと知ってほしいところではあった。

『フェイトさん。それで……あの、呼び出しがかかってます。デスクの方から』
「あ、うん。じゃあ、一端戻るね、エリオ。また来るね」
「はい。では。キャロの様子は見ておきますから」

 と言って別れ、エリオは宿舎の入り口へ向かって歩いた。
 備えてあるパイプ椅子をドアの側まで運んで腰かけ、ガラス越しに外を窺う。空に何も浮いてい
ないところを見るとどうやら、帰り道では竜の背に……ということではないようであった。しかし
徐々に暗がりが広がる森には、まだ人や竜の影は見当たらない。
 ただフリードリヒがいる訳だから心配は要らない。
 エリオはそう信を置いた。実際にはそれに加えて、人智を越えた力を持つ火竜と剣鬼も付き添っ
ていたがそれは知らない。男の方をキャロが無理やりに引っ張って来ているのだから、当たり前の
話ではあるが。とにかく白竜の護衛を信じて、エリオはその場で椅子に腰かけ待ちを決め込んだ。
 椅子の背もたれに体重を預けると、エリオは全身から疲労がどっと溢れてくるのを感じ、思わず
エリオは深く息を吸い込み吐いた。
 現場にて戦後の雑務に走り回っていたときには頭の片隅へと追いやられていた、天空での戦いの
記憶が今になって蘇ってきていた。
 列車での任務があったあの日を境に竜の背中は何度も乗ったことがあるし、日々の訓練でも連携
の一環として練習してはいたものの、実戦においての本格的な空中戦はこれが初めてだったのだ。
空戦独特の索敵や判断を求められて、エリオは体はもちろんその頭脳にも負担を課せられていた。
訓練である程度慣れてはいたものの、絶対的な経験の不足は否めない。
 訓練で普段から空を飛ぶなのはは、これを日常的にその身に強いているというのだから恐ろしい。
 白竜フリードリヒを操るキャロや、竜騎士たるカイムもまた同類だ。特にカイムについて言えば、
慣性制御や探知などについて、魔法による補助は一切無いのが驚きだ。赤き竜の許しさえ得られた
なら、いつかその背に同乗して、索敵のコツを教わりたいとも思った。
 そうやってしばらく窓から外を眺めていると、程無くしてティアナとスバルが帰ってきた。
 話を詳しく聞いてみたところ、とりあえずキャロは今森の中ほど。帰ってくるまでにはまだ少し
時間がかかるとのことだった。

「で、なんだけど。その……ついて来てるんだって」
「?」

 来てるって誰が?
 あの人が。カイムが。付き添いみたいで。
 というやり取りがティアナと交わされた。横に居るスバルもそうだったが、表現出来ない複雑な
思いが声色から少しだけ感じ取れた。
 顔を合わせにくいのだ。
 かく思うエリオも、それは同じことだ。自分たちは彼の本性を知ってしまった。それを痛ましく
思いこそすれ疎み嫌うようなことは無いが、カイムの心の安寧を考えると、人の目や口はかえって
差し障るのではないかと思えてしまう。
 何より、どう喋ればいいのかわからない。

「エリオっ、じゃあ、その、来たら呼んで! す、すぐ行くからっ」

 と、スバルが言ったのはそういう理由からであろう。戦場にて(半ば勝手に)借りた「鉄塊」を
返す義務が無ければ、奥に引っ込んだままだったかもしれない。

「ったく。逃げてどうすんのよ」
「に、逃げてなんかないよっ。ただその、なんか、何を言えばいいかわかんなくて……」
「……分かるけど。でも言い様はあるでしょ。『援護ありがとう』とか『怪我は大丈夫か』とか」
「そんなに簡単に言わないでよぉ……」

 近接格闘をこなす勇壮な顔は何処にもなく、珍しい弱気な言葉である。固より緊張に強い質では
ないのだ。

「なら、それ貸しなさい。私が返しとくから」
「そっ、それはダメッ!」

 そんなやり取りをしながら、スバルは奥へ引っ込んでいく。ティアナもエリオに一声かけてから、
逃げ出すようなその背を追いかけていった。
 作戦会議でもするのだろうか。
 見送りつつ、はは……と笑って、椅子に深く掛け直してからエリオは思った。スバルが言ったよ
うに、自分にも口を開いたとき話すことが無い。キャロに付き添っていると判明はしたのだから、
彼女を出迎えれば顔を合わせるのは確実になったというのに。
 どうしよう。
 と思ったところで、全身を気だるい眠気が飲み込んだ。
 エリオには考えるだけの体力は残っていなかった。駆けずり回り飛び回り、疲労はもうピークに
達している。落ち着いて腰を下ろしてしまってから、今までの疲れが身体の中へ怒濤のように流れ
込んできていた。
 暖かい室内、重い目蓋。キャロが、しかもカイムとともに帰ってくると分かってはいながらも、
体は急速に睡魔の誘惑に屈していく。
 抗えない。そう悟り、ふっと緊張の糸を緩めた瞬間、意識は浅い眠りへと沈んだ。
 そうして目を閉じること、およそ10分。
 結論から言えば、エリオが目を覚ましたのは、すぐ側にあるドアのガラス越しに足音を聞いたか
らであった。
 来た。
 そう思い、覚醒しつつある意識で時計を確認し、外に視線を向けて見た影はやはりキャロとカイ
ムのものだった。
 しかし飛び込んできた光景に、徐々にその目は眠気を吹っ飛ばし、驚きで塗り潰されていった。

 どうしてキャロがカイムの手を引っ張り、連行するかのように歩いているのか。
 目の前のドアを通り過ぎ、ずんずかと歩く足はどこへ向かっているのか。
 すれ違いざまにカイムが向けた表情に、微かな戸惑いが見えたのは何だったのか。





『……ということがあったんです』

 とエリオが事のあらましを伝えた相手は、養母フェイト・T・ハラオウンその人である。
 エリオはキャロが通ったとみられる、屋上への階段を上っている。スバルとティアナにはすでに
知らせてあり、段上で合流することになっていた。

『あの人の方に、何かあったのかもしれない』
『カイムさんに、ですか?』
『うん。私も、もう少しかかるけど……』
『あ、見ておきます。確認できたら、になりますけど』

 と交わした通信によれば、フェイトも程なくしてこちらに到着するらしい。お願いね、という言
葉に了解の言葉を返し、エリオは普段から上り慣れている階段を登った。
 屋上に吹く爽やかな風は、キャロがそうであるようにエリオもまた好むところだった。陽当たり
もよく景観も抜群に良い。教練を終えた夕方や目の覚めてしまった早朝はよく足を運ぶ所だった。
その場所をこのような理由で訪れることになるとはと思いながら、とんとんと一段抜かしに駆け上
がっていく。

「エリオ」

 キャロは何故カイムを連れてここに? などと考えていると、いつのまにか段をほぼ上りきって
いた。声量を抑えた声を聞いて中途の踊り場から見上げれば、屋上へ出られるドアの前に着替えた
ティアナが立っている。その背後には扉の隙間から向こう側を覗いているスバルの姿と、彼女が運
んできたのであろう、鉄塊が立て掛けられているのも窺えた。

「ティアさん?」

 怪訝な思いでエリオが投げた声は、ティアナのそれ同様小さいものであった。
 手を振って招くティアナは首を縦に振っていた。大声を出しては拙いかもしれないという判断か
らの行動だったが、どうやらそれは正解だったらしい。

「あっ、エリオ」

 ティアナの声で接近に気付いたスバルも振り返り、エリオの姿を見つけると声をあげた。ただし
こちらも、普段の快活さは鳴りを潜め声量を控えたものである。

「フェイトさんは?」
「こちらに着くには、まだかかるみたいです。何かあったんですか?」

 自分の顔を見ていたスバルは、浮かないような心配しているような、何とも言えない表情をして
いた。それを見て取ったエリオは、ティアナへの答えにスバルへの問いを連ねる。

「えっと、その、よく聞こえないんだけど……カイムさん、怪我してるんだと思う」
「え? 確か、火傷の薬は渡したはずですけど」
「うん。それは……なんだけど。でもキャロが、包帯ほどいちゃってたから」

 疑問に思いつつ段を上りきり、自分もドアと壁のあいだの空間から外を覗きこむ。
 すると確かに、キャロの足下には使用済みの包帯が見えた。
 隙間から見えるキャロの手は、カイムらしき男の両腕を交互に、撫でるように滑っている。
 横に銀色のケースが見えるところからすると、恐らくは軟膏を手で塗っているのだろう。キャロ
が早朝に部屋から持ち出していたのを、偶然にもエリオは彼女自身から聞いて知っていた。
 とすると、もしかして、火傷の具合が良くなかったのではなかろうか。

「どうしてこんな場所で」
「ドラゴンがいるのよ? 部屋の中じゃ入れないでしょ」
「……何も考えてなかったのかもしれません。歩いてるとき、なんだかこう、凄かったですし」
「凄かったって、どんな風に?」

 どんな風にと言われれば、きっと前を見てずんずんと歩いていった彼女はとにかく「凄かった」
という以外に形容しがたいものがある。エリオは回答に窮した。あんなキャロは見たことがない。

「カイムさんの手をぐいぐい引っ張るくらいです」

 しばらくしてようやく捻り出したその表現が、エリオには最も正しいような気がした。スバルと
ティアナはやはり驚き、お互いに目を見合わせた。

「……どうして?」
「え、と、そこまでは……」

 当たり前だがエリオが知るはずはない。知り合ったとはいえ、今までのカイムとの交流はやはり
希薄だ。逆に言えばその彼に対しキャロが、ここまで強硬な行動を起こす理由はどう考えても思い
付かない。
 目の前を通っていったカイムの迷いを含んだ表情も、彼がキャロに対し何か特別なことをしたわ
けではないのだろうと解釈できる。
 つまるところ事情については、完璧に訳がわからない。
 しかしこうして目と鼻の先で、妙な光景は着々と進行していくのだから仕方がない。

「ね、ねぇティア、どうしよ、入れないよう」
「あのねぇ……」

 心底困り果てた声で助けを求めるスバル。ガジェットの包囲を切り裂いた、今日あの時の英断は
何だったのやら。ちくりと小さな胸の痛みを覚えつつ、ティアナははぁっ、と嘆息した。
 しかしそれから暫く三人は動けずに、扉の僅かな隙間からこっそり見守るしかなかった。
 スバルの気持ちも分からないではなく、入るタイミングがわからないのは確かだ。もっとも彼女
の場合は単に、あの場所に登場するだけの勇気がないだけの話だが、理由は違えどティアナたちも
行動そのものは同じである。
 今日新たに知ったカイムの壮絶な一面も、彼らをその場に縫い付けておくのに一役買っていた。
少年少女と呼べる若さにもかかわらず、苛烈な過去や苦しみの記憶を既に持っている彼らは、ふと
かけられた一言が時として古傷を抉ると知っている。いま出て行ったところで、上手く立ち回れる
だけの経験も自信も持ち合わせてはいなかった。この中で憎悪と絶望に最も身を染めたのは恐らく
エリオだが、彼に限らず結局のところ、誰しも過去は己のものでしかなかった。他人と向き合う助
けとするだけの知恵を、彼らはまだ身に付けていなかった。
 そのエリオは、今やスバルの隣の床に膝を着けて、彼女とは逆からキャロたちの様子を窺ってい
た。スバルとは背丈が違うため、伏せたり立ったりしなくてもお互い顔をぶつけずに済んでいた。
ティアナだけは一人立ち上がり、彼らの少し後ろからドアの向こうを見守っている。
 見れば、キャロは、薬をもう塗り終わったのだろうか。足元にあったのとは違う新たな包帯を手
に取るところだった。カイムは大人しく、少女にされるがまま。
 ここにきてエリオは己が、キャロ・ル・ルシエという少女をひとつ見誤っていたことを知った。
 単純明快に、彼女を

(すごい)

と思った。
 朝になれば森へ行き、しばしばカイムと顔を合わせていたことは想像に難くない。しかし彼は見
たところ、誇張ではなく絶望的に人付き合いが悪かった。良好な関係を築いた存在は、ドラゴンを
除けば皆無にすら思える。キャロ自身、彼はあまり自分に目を向けてくれないと話していた。
 しかも背は幼いエリオからすればまるで壁のように高く、怯みこそしないがはっきり言って威圧
には事欠かないのだ。そんな人を強引に引っ張ってくるなど、と思えば感嘆の息もこぼれてこよう
ものである。
 少女の芯の強さと優しさは普段から、言葉を交わし相方として過ごす中で感じていた。がしかし
それだけを判断材料としていては、彼女がこんな行動に出るとは思いもよらない。キャロばかりで
はなく、男の方に何らかの原因とか、切っ掛けのようなものがあったのかもしれないが、ずんずか
歩いたキャロの顔を見ていたエリオの中でこれは、彼女の全く新たな一面として認識されていた。
 そしてそれは、ある種の既視感を伴った。すなわち、過去己にただひとり歩みを寄せた、敬愛す
る養母フェイトの振る舞いと重なるところがあった。
 荒みきった自分を彼女が受け止めてくれたように、キャロも彼女なりの形で、彼に向き合おうと
しているのかもしれない。触れ合うことが救いとなり得ることを、彼女もまた知っているのかもし
れなかった。詰まるところ彼女は、確かにフェイトの背を見て育った娘なのだ。血の繋がりがなか
ろうと、過ごした時が長くなかろうとも。
 だから包帯を巻き終えたキャロが、蒼白になったり赤面したりしてひとり百面相をはじめたとき
も、ティアナとスバルは何があったのかと不審に思ったが、エリオにとってはそれほど大きな違和
感は無かった。
 その様は、フェイトがたまに見せるものだったからだ。自分が怪我をしたり、ちょっと体調を崩
したりした時の彼女も、見ているこちらが心配になってくるくらいにころころ表情を変えた。羞恥
のためかうつむいてしまったのは、我に帰ったからなのかもしれない。カイムを引っ張るキャロの
雰囲気も表情も尋常ではなかったのは、ひょっとしたら頭に血が上っていたからなのかもしれない
とエリオは思う。
 だが、続いて何故か驚きの表情を作った彼女の前で、ドラゴンがカイムに何かを語りかけると、
キャロは口元を抑えてぼろぼろと泣き出してしまった。

「え、え、え?」
「ちょ、ちょっと……」

 見る年長組は狼狽するばかりだ。エリオもこれには慌てるしかなかった。直前の表情からして、
何か怖い思いでもしたのかと考えてしまう。
 ドアを広げ飛び出そうとするエリオの手をその場に押し止めたのは、竜のこの言葉であった。

「何もかもを無くしたのは、おぬしとて似たようなものであろうに」

 エリオはドアノブからゆっくりと手を放し、スバルはうつむきティアナは壁を背にして、皆一様
に黙り込んだ。
 エリオは、信じた己の存在を。スバルは母、ティアナは兄を――今まで無くした大切なものを、
それぞれ意識させる一言だったのだ。カイムは親と国を、キャロは故郷を追われたと言う。己の過
去と、彼らの過去とを重ね合わせてしまった。そうすると何故か胸を打たれた気分になった。しゃ
くりあげるキャロの嗚咽を聞いていると、こちらまで悲しくなってくる。





 そのまま暫し。
 やがてキャロが大泣きに泣いて、その小さな身体にカイムが手を寄せる頃になって、たん、たん、
と背後から、足音が階段を上がってくる。
 気付いてゆっくりと振り返る。走ってきたのだろう、彼らの後ろには段を上りきったフェイトが、
息を切らして立っていた。そして、沈痛な面持ちをしているエリオたちに問う。

「ど、どうしたの? 大丈夫?」

 何とも答えることができずにいるのを不思議に思っていると、フェイトは気付いた。彼らの背後
の、屋上に抜けるドアの間に、まるで覗いてくださいとばかりに隙間ができている。下を見ればド
アの角にコンクリートの破片のようなものが引っ掛かっていた。スバルたちが見ていたのか。そう
思って、フェイトは自分もと顔を寄せた。
 そして次の瞬間、フェイトの瞳から光が消えた。

 間が悪かったとしか言いようがない。
 事情や経緯を知らないのはエリオたちも同じだが、フェイトは加えて、今ここにたどり着いたば
かりだ。扉の向こうにキャロが居ると想像してはいたが、カイムがまだ一緒だとは思いもよらない。
 加えて、状況が状況であった。戸惑いを残したカイムの表情は背中に隠れていて、その場所から
うかがうことはほぼ不可能。
 半裸の男の背中と、泣き叫ぶキャロのくしゃくしゃになった顔。これらが彼女の知った全てだ。
そしてエリオたちの、痛ましいものを見たような表情。これらから導かれた答えは――。
 フェイトは、小さく呟いた。

「バルディッシュ、セットアップ」
「え?」





 けたたましい音を上げて扉が開いた。
 随分前からドアの外に人がいると知っていたが、様子がおかしい。何事かと、カイムは目を向け
た。キャロはえんえんわんわん泣き叫んだままで気付かない。
 そこにいたのは、バリアジャケットを纏ったフェイトだった。手には大鎌バルディッシュ。息の
たびに大きく肩を揺らし、親の仇でも見るような怒りの視線を向けていた。
 カイムが行動を起こすより早く、フェイトはだんと地面を蹴る。
 フェイトの身体がカイムに迫るより早く、エリオがその腰に飛び付いた。

「はっ……は、放してエリオ!」
「駄目ですよっ! な、何してるんですか!」

 必死におさえつけ、止めようとする。見かねたティアナとスバルもあわてて飛び出して、倒れた
ままじたばた暴れるライトニング分隊長にしがみつく。
 全く訳が分からないといった顔でそれを見つめるカイム。
 キッと彼女らしからぬ視線でそれを見、しかしそれも保てず半泣きになって、フェイトは叫んだ。

「だ、だって、だってキャロが! 私のキャロがキズモノにっ! 私だってまだなのにそんなっ、
 うう、ううぅっ、うわああああああああんっ!!」

 倒れ伏したまま泣き叫ぶ女。一向にわんわんと泣き止まない少女。
 カイムとドラゴンの何とも言えない視線がそれらを往復した。



前へ 目次へ 次へ