気が付くとホテルアグスタ前からは大きく離れ、森をかなり進んでいた。
 いつのまにか木々が少しずつ開けて、地面が途切れている。目下、切り立った崖があらわれた。
それほど高さはないが、そこが行き止まりだった。
 ひゅう、と風が首筋を撫ぜる。戦の汗を吸った下着が銀の帷子の下で熱を飛ばし、ひんやりと冷
たい。ここにきて漸く、闘争本能が下火になりはじめていた。
 熱が引いてくると、認識した思考は混沌としていた。驚愕や歓喜、憤怒や憎悪といった、かつて
戦乱で味わった様々な感情が、頭蓋骨の中身をぐちゃぐちゃに掻き回していた。荒々しくうねって
大渦のように思考を巻き込んでいる。魔導師たちの集まるあの場所から離れたのはそのためだった。
どろどろと熔けだしそうなほど高まった激情は、誰にも知られずにひとり、身の内に保っていたか
った。
 カイムは空を仰いだ。
 見上げた空をふわりと飛ぶのは、あの幼い少女が連れている白竜だ。ひゅるひゅると天を回り、
ゆったりとした翔び方をしていた。
 それを見ていて、キャロの姿が頭の中で像を結んだ。
 住み処とする森に度々足を運ぶ彼女を、しかし特にどうと思ったことはない。
 親しかったというわけではない。顔を覚えている程度だった。同じ竜を知る己に対し、少女が何
らかの情念を抱いているのには気付いていた。しかし逆に、キャロをはじめとする情に豊かな人の
姿は、目にするだけで様々なことが脳裡を甦らせた。失われた故郷、死した者たち、殺戮した命の
幻像が、次々と目の奥に呼びさまされてきた。
 じりじりと腕が痛んだ。
 理性をぶち切って己が放った炎は、生んだものさえ無傷でいられるほど脆弱ではなかったらしい。
幾重にも重なった戦の傷の上で、肌が焼けついているのが布越しに分かった。腰に下げていた小瓶
の蓋を開け、服の上から気休め程度に水を垂らした。少し熱を持っていたのか、沁みた。
 痛かった。
 思考が漠然としているのはあの世界を生き残ってからもそうだが、今の心理はそれに輪をかけて
希薄だった。声の無い肉体の状況に精神が引きずられているのか、それとも蘇る殺戮の像が、己の
中で根幹をなす何かを奪っているのか。
 それともただ単に、疲れ果てているのか。肉体も、魂も。
 断崖の上から前を見ると、森はどこまでも続いて先が見えなかった。視界の終わりで境界が消え
ていて、空と森とが混ざり合っているようだった。
 吸い込まれそうな空の果てに、セエレの最後の声を思い出した。そうして考える。果たして人類は、
生き残ることができただろうか。
 「母」は滅ぼした。しかしあの世界に置き去りにした、残る天使達についてはもうわからない。
 彼の者たちを全て屠りきり、神による滅びを免れて、人間は生きながらえただろうか。
 あの空を突き抜けたむこう側に、人はまだ生きているのか。



 ふっとちいさな影が差して顔を上げると、青空を背景に白いものがふわついていた。
 目を凝らすと翼が見え、正体がフリードリヒだとすぐに知れる。気分転換にキャロが解放したの
だろう。近ごろ小さい身体のままで高く飛ぶことを覚えてきた子竜が、教練の休み時間や昼食の時
などに飛ばせてもらっているのを何度か見たことがある。
 重い雰囲気の中に閉じこめたままにしておいたのは、確かに可哀想かもしれなかった。いつもは
楽しそうに空を舞う小さな竜が、はしゃがずにゆっくり天空を旋回しているのを見ると、幼い竜に
も感じることがあったのかなとわけも分からずに思ったりした。陽光の射線上を小さな竜の身体が
行き来して、見上げた目の中にちらちらと光が点滅した。
 それで気がついて、スバルは集めていた鉄の欠片を放り出し、その場からふらりと離れた。
 見咎めたヴィータがおいこらと呼ぶのに対して、すみませんと快活に言って走る。岩盤が砕けた
戦地跡の隅っこにたどり着いて、スバルは新たな鉄を拾い上げた。おおきな剣だった。
 武骨で重厚な、威容の鋼鉄はカイムに返しそびれた巨大な剣、鉄塊だった。先ほどカイムがいた
ときに渡せばよかったものを、すっかり忘れてしまっていたのだ。後で返さなくてはと思いながら
柄を両手で掴んで持ち上げた。魔力で腕力を高めていない今、人一人ほどの重量がある鉄は、持つ
だけでも一苦労。切っ先をずるずると引いて地面を削りながら運んでいくと、現場を荒すなと言わ
れてぽこんとティアナに叩かれた。
 検証の手伝いの鉄屑集めに戻る前に、スバルは鉄塊を置き、口を閉じ巨大な剣身を覗き込んだ。
 持ち主が愛用している銀の刃とは違い、巨大な剣を形作る鋼は赤茶けて、ところどころ亀裂のよ
うに黒い影が差している。焼けて燻る土の中に灰を練りこんだような色にくすんでいて、まるで鉄
の中に煉瓦がとけ込んでいるようだと思った。そんな風に感じると、何だかそれがとてもしっくり
来るように思えてくる。ミッドチルダでは資料や旧式の建造物の中にしか見られない材であるが、
重厚感や色や硬度など、スバルが抱く印象と重なるところが多かった。
 あの人は、この剣で人を斬ったのか。
 武骨な剣を見ているうちに、スバルはそんなことに気がついた。
 しかし認識できるのはその可能性だけで、それ以上がどうしても掴みにくい。
 自分たちに危害を加えることは絶対に無いと信じているからか、それとも何か他の理由があるの
かはわからない。だがどういう訳か戦争で殺人を犯したと知った後も、不思議なことにスバルは、
彼に対して恐ろしさを抱くことはなかった。ティアナはどうだろうと思って、先ほどカイムが姿を
見せたときの親友の顔を覗いてみた。しかし彼女の表情からも、嫌悪や恐怖といった、露骨な負の
感情は読み取ることができなかった。
 しかし、わからなかった。人を、殺す、時、カイムはどんな気持ちだったのだろう。憎しみがど
れほど激しくなれば、人は他人の命を奪うのか。その境界がどこにあるのか分からなかった。すべ
てが完全に想像の外に在った。
 他者を救うことを夢とするスバルにとって、人を傷つけることは許しがたい行為だ。
 だが、もし彼と同様に大切な人を誰かの手で奪われたら、と考えたりもするのだ。

「……」

 母クイントの死を思い出す。あの時自分はまだ幼かった。幼さ故に、悲しみしか心に無かった。
しかし今はどうだろう。
 もし今父や姉が死に追いやられ、あるいはティアナの命が奪われて、その原因がもし他者にあっ
たなら、自分は人を傷つけずにいられるだろうか。
 意識を戻して焦点を合わせると、カイムの鉄塊はさらにかすれて見えた。赤黒さがより色濃くな
っている気がした。

「……うーっ」

 いやでもやっぱり、というよりも正しいことっていうのはそもそも、などと考えているうちに、
頭蓋骨の中がぐるぐるとまわりはじめて、スバルはひとつ喉の奥から唸った。脳の回路がオーバー
ヒートして、耳たぶの奥が鐘のように音を鳴らしているような気がする。首から上がバネのついた
玩具みたいにぐらぐらとなってきた。自分の目標にとって、全く反対に生きた人に会うのはこれが
はじめてだ。そのためか柄にもなく頭を使い過ぎたみたいだった。
 ごちゃごちゃして分からないことばかりだと思った。彼らと関わりがあるらしい新しい敵もそう
だし、カイム自身のことについてもそうだ。考えれば考える程、自分から深みに嵌っていくような
気がした。振り払うようにぶんぶんと首を振った。こめかみが痛くなった。

「剣なんか見てんな。考えてること丸わかりだぞ」

 ずるずる考えていると、後ろから声をかけられて飛びあがる。
 慌てて振り向くと、ヴィータがそこに立っていた。

「いろいろ顔に出てら。……早くご飯食べたいって書いてある」
「……あんた」
「そんなコト書いてませんっ! ティアも真に受けないでよっ!」

 わざわざ茶化したのはヴィータなりの気遣いだろうか。いずれにせよ、いつものスバルが戻って
きて、途端に作業の場が騒がしくなった。
 ザフィーラがその様子を、狼のかたちをしたまま遠目に見やって、ふっとわずかに唇を歪める。
 しかしそれもつかの間、再びもとの難しい顔をして、沈黙して思索の海に舞い戻った。人間の身
で己の心を壊すほどの戦いの生を歩み、その結果おのれの中の何かを失ったものに対し、思うとこ
ろは少なくないようだった。
 何も知らぬ鑑識の一人が喧騒を背後に苦笑しながら、拾い上げた破片に探知の術を施した。
 すると、ぼんやりと青白色の光が浮かんで消え、中心にそれまでに無かった白い点があらわれた。

「4つめですね」

 その様子を見たリインが、可愛らしくも真剣な表情で言う。声をかけられた男は小さく頷いた。
同じように白い点が描されたガジェットの外殻の破片が、二つは足元に置かれ、一つは男の同僚の
手の中にあった。
 はやてから情報と作業を引き継いだシャマルとリイン、そしてドラゴンが見守る中、「新種」に
ついての更なる分析が魔導士たちの手で続けられていた。
 だがドラゴンの前言の通り、シャドウの骸に関しては魔術的な要素はおろか、痕すらも発見する
ことができない。
 首を捻りながらも細心の注意を払って魔法をかけていくが――結論から言うと、結果がひっくり
返ることは終ぞ無かった。魔力の形跡は全くない。つまりシャドウの鎧は何の変哲もない、ただの
鋼鉄の甲冑だという結論がほぼ決定的であった。
 むしろ成果が上がったのは意外にも、これまで完全に研究され尽されたと言っても過言ではない
ガジェット・ドローンの方だった。
 こちらは以前と変わるところは何もないだろうと、みな半ば高をくくりつつ検証をしていたが、
そのうちに一人が妙なものを発見する。カイムの剣に斬られヴィータの鎚に砕かれた残骸の中に、
見逃してもおかしくない程小さなものではあるが、確かに魔力の痕があった。
 これには皆驚いた。
 有り得ぬ話である。AMFを内部に擁するガジェットのボディに、まるで蚊が刺すような極小の
痕跡が残るはずがない。
 ともすれば見過ごしてしまいそうな証拠だが、少なからず意義を持っているのは明白だ。そして
その正体はすぐに、仮説として形を成した。

「遠隔操作……」

 ――あたしやスバルやティアナを無視して、鎧もガジェットもアイツだけ囲んだ。
 そうヴィータに聞き、映像で確めていたのを思い出して、心に浮かんだ単語をそのままに呟いた
のはシャマルだった。
 レリック以外の標的指定というような細かい機能がガジェットに備わっていないのは、今までの
調査でもう分かっている。それなのにわざわざカイムのみを包囲した連携行動、そしてこの小さな
魔力痕。これらを結び付けて浮かび上がった仮定は、ミッドチルダの魔法を知るその場の者たちの
考察にもぴたり一致していた。
 召喚、あるいはその補助魔法の初歩として「使役」という魔法の系統が存在する。
 召喚士が敵にいたことは、襲撃開始時の魔法反応とドラゴンの証言から割れていた。強大な竜を
扱うキャロが無機質たる鎖を自在に操れるように、命あるものを支配する者が、機械を意のままに
操る魔法を習得していてもまったく不思議では全くない。操作の魔法を掛ける時だけAMFによる
魔法防御が瞬間的に解除されたと考えれば、不自然なほど小さな魔力痕にも筋が通るというものだ。
 しかしいずれにせよ、ガジェットもシャドウも、このような現場検証の場だけでは済まされず、
さらに詳しい調査が要ることに変わりはない。
 結局これらのサンプルは、時空管理局本局でより深く研究がなされる運びと相成った。魔力痕が
ゼロのシャドウは効果的な結果がほとんど望めないが、ガジェットには使役魔法を駆使した連携と
いう、新たな可能性が状況証拠と一緒に浮かび上がっている。そのため現在までに蓄積したデータ
との照合も必要になっていた。

「……んー」
「リイン曹長、どうなさいました?」
「あ、いえっ。遠隔操作が行われたなら、どうして鎧に痕が無いんだろう、って」
「同郷の者の匂いを自ずから感じ取ったのだろう。或いは最大の危険を潰しにかかったのかもしれぬ」

 というやりとりがあったように、細かな疑問点もまだ残されてはいる。それらを余すところなく
解消するには、野外ではどう頑張っても限界があった。しっかりした設備での調査が不可欠だった。
 そうしてそこから先はドラゴンの手を離れ、完全にシャマルやリインら機動六課職員の担当へと
移行した。これからカイムが伝言した、シャドウの引き取り交渉と手続きも行わなくてはならない
らしい。
 人間を相手に対等な立場で交渉するなどと、遥か高位の高潔な精神を保つドラゴンにできる筈が
ない。というわけで、竜にできることはそれ以上にはなくなってしまった。ドラゴンは魔導士たち
から距離を置いて翼を休め、作業の進行を眺めることにした。考えておきたい事柄もあった。
 だがその様子を見ていたのか、ドラゴンが思考の海に身を沈めるよりも早く、フェイトがそこに
やってきた。
 竜が気付いて、閉じつつあった目を開けると、金髪の女は真っ直ぐな視線を返してくる。胸の中
にわだかまっていたものがある程度まとまったのか、眼球の内側、角膜から瞳までが、先程までよ
りかは澄んでいるように感じられた。

「あの人は」
「言えんな」

 しかしそれとこれとは話が別で、彼をそっとしてやりたいドラゴンの気持ちが変わることはない。
開口一番に直言したフェイトに対し、ドラゴンはぴしゃりと真っ向から斬って捨てた。感性豊かと
いうほどには表情を変えない彼女に珍しく、少しだけむっとしたような、それでいてさびしそうな、
何とも言いようのない顔をつくった。

「教えてください。キャロもエリオも、心配してます」
「ならば放って置くが最良と悟れ。あやつを案ずるなら尚更に」
「……分ってます。でも」

 フェイトが言うのを聞いて、ドラゴンは面白そうに目を細めた。
 ふむ、と唸る。
 のらりくらりとやりこめる心算でいたが、そうは問屋が卸さないと言っている。女の口から出た
言葉には、覇気にも似た強いものが確かに在った。
 ドラゴンは地面に横たえていた首を起こし、真正面からこの女を見つめ返した。
 視線がぶれて、そのときに二つの気配を感じた。ちらちらと見ている人間が二人がいる。正体は
見るまでもない、金髪に従う幼い子供であろう。ドラゴンをはさんで反対側からも、二三の注意が
向くのを察した。人間はこうまでも盗み聞くのが好きなものか。やれやれと内心で思った。

「話すことなど、もう何もあらぬぞ?」

 ドラゴンの肉声は相変わらず低音なのによく通り、鼓膜を震わせる時にふしぎな響き方をする。
人語を発するときに、何か魔術めいたものがかかわっているのかと、フェイトは今になって初めて
分析した。心配そうにこっそり視線を投げているエリオとキャロを横合いに感じながら、続ける。

「まだ、聞かせていただいただけですから」
「説教でもする心算か?」
「いいえ」

 フェイトは首を横に振った。そうして、寂しそうに微笑んだ。

「お礼を。他に何も話せませんし」
「……ああ」

 聞いてしばらくしてから、ドラゴンは得心がいったように返事をした。
 共闘を、ということなのだろう。
 むしろ戦場を引っかき回したこちらが迷惑をかけたと思うのだが。律儀なことだと鼻息を吐き出
した。

「だが、言えぬな」
「……そう、ですか」
「ああ。言えぬわ」

 ゆるりと、ドラゴンの頭上を影がまたいだ。フリードリヒだった。ゆったりと天高くを回旋して
いたのが、かなり高度を下げてきていた。
 キャロのところへ舞い戻るところらしい。
 と思うとそれは正しかったようで、白い子竜はドラゴンの様子をこっそり見ている召喚士の肩に
向かって、はさはさと羽ばたきながら降りていった。
 慌てたのはキャロとエリオの方で、ドラゴンの目が向いているのに気づくや否やわたわたと焦り
始めた。視線を向けているのに気付かれていないとでも思っていたのだろうか、妙な間の抜け方だ。
フェイトの影響かもしれないと竜は内心で笑った。カイムと出会った時はずいぶんと間抜けな勘違
いをしてくれたものだった。
 フェイトは赤き竜の傍らの草地の上に腰を下ろすと、こちらは少し嬉しそうな表情を見せた。
 居場所を失って彷徨い続けたキャロと、心を閉ざしかけていたエリオだったが、彼らに初めて会
う者があの様子を見たのなら、その心のどこにも暗い影を感じることはないだろう。つらい思い出
は消えずいつまでも心の中に残るものだが、立ち直ってくれて本当によかった。
 保護したことが管理局の、戦いへとつながる世界に誘う切っ掛けになってしまったことは今でも
心苦しく思っている。だが元気になった子供たちの様子を間近で見ることは、フェイトにそれ以上
の喜びだった。子供の頃にたくさんの苦しみや悲しみを味わった自分と同じ悲痛を、他の者に味わ
わせたくない。それが彼女の行動の根幹、最たる願いだったから。
 だからこそ、カイムを彼らの過去の上に重ねて考えもする。
 するとフェイトにはあの男が、子供たちよりはるかに救われがたいということが、なんとなく分
かりはじめてきた。
 殺人や狂気といったこと以前の問題として、惨苦に喘ぐ者がいるのなら、できる限り助けたい。
しかし心が完全に荒みきる前に立ち直ったエリオやキャロに対して、ドラゴンの話によると彼はも
う、心を支える大切な柱が折れてしまっている。割れた硝子は、もう元には戻らない。
 こうして彼と関わろうと思ったのは、やはり放っておくことができなかったからだ。しかしどう
すればいいかと問われれば、少なくとも今は、何もできないとしか答えようがない。
 誰かが近くにいれば、とも考えはしたが、それでどうこうできる問題ではなかった。それならば
カイムの傍らには、ずっとドラゴンが居続けている。
 だから、少しでも近づいて……と決めてきたのだが、それが本当に正解なのかは分からなくなって
しまった。この選択が間違いなく正しいのなら、竜はここまで頑なに拒みはしなかっただろう。

「おぬしは優しいのだな」

 竜の声が聞こえたのに対してフェイトは視線を下に向けるばかりだったのは、そのような事柄が
ぐるぐると頭の中を回っていたからだった。先ほどよりも考えは確実にまとまってきた筈なのだが、
何らかの明快な術が浮かんだというわけではなかった。
 しかし噛み締めるように言ったドラゴンのそれは、本心からの言葉だった。竜は他者の心を読む
ことが、生来の能力として備わっている。だがそうをせずとも言葉の節々、表情の移ろいから、誰を
どのように思っているかは簡単に知れた。
 それからドラゴンとフェイトの会話には、少しの間が開くことになった。フェイトが口を閉ざし
たまま動かないのを、カイムの居所の聞き出しが失敗に終わったととらえたのか、少しすると肩に
フリードリヒを乗せたエリオとキャロが、沈黙するひとりと一頭の眼前へと歩いてくる。
 フェイトの前まで来て言いづらそうにしていると、二人の肩に手を置いて、ごめんねと小さく彼
女は言った。
 時を置いて会えばいいだろうとドラゴンが付け加えると、しかし二人は目も当てられないほどに
狼狽した。考えを看破されているとは本当に毛ほども思っていなかったらしく、相当に慌てた様子を
見せた。わからいでか。あの状況で。
 とはいえ、だからどうこうという訳ではない。エリオはもとより、キャロでさえも親しい仲では
なかったのに何故――という一抹の疑問はあるが、いずれにせよこの小さき者たちも、己の半身を
気にかけている。そのこと自体はドラゴンにとっても、好ましい事象であると言えた。一たび苦を
味わった者が持つ、連帯感のようなものがあるのかも知れないと思ったが、いずれにせよ無償の優し
さであることに違いはない。
 ――それは、あの男にも届くのだろうか。
 しかしそう思うと、否定的な考えしか頭に浮かばなかった。
 理解されることはない、という確信があった。カイムの心はもう既に、その内部に人ならざるも
のを宿し、常人のそれから脱してしまっている。単眼の巨人たちや空を埋め尽くす赤子の群れを前
にしても恐怖しないこと、それ自体がもう人外の領域と言えた。
 己の生に対して異常に執着しながら、それでいて死に対し毛程の恐れをも見せぬ精神は、もはや
生命のそれではない。人間の個体としての源流に関わる矛盾を抱えた、その様な姿をカイムはして
いた。常人の言葉が奇人を紐解くことは永劫叶わないのだ。
 そのような考えの一切合財を押しとどめて、あやつは大丈夫だと、ドラゴンは根拠もなく言った。
キャロが悲しそうにうつむいて、エリオがそれを慰めた。その姿が何よりも純真に見えた。
 それにしても、とドラゴンは思う。
 人間とは何と不思議な生き物か。ここにきて彼らの本質がまたひとつ、ドラゴンには分り難くな
ってきた。
 人間の歴史とは、少なくともドラゴンが記憶する世界の一万年ほどは、戦いそのものと言っても
過言ではない。しかし同じ種族どうしで殺しあう、醜汚なる顔が人間のすべてかというと、そうで
もなかった。己の全てを投げ打って他の者を愛することがあれば、至弱の者の身分で至強に敢然と
立ち向かう姿を見せることもある。フェイトや子供たちのように、裏の無い優しさを見せる事もあ
るのだからわからない。
 憎悪と愛情を両方とも身の内に内包する生命は、きっと人間のほかにあるまいとドラゴンは思った。
 悠久の時を生きる竜族にくらべて、瞬く間に消えてゆく命だからこそ、そのようにさまざまな顔を
持ち合わせているのかと考えもする。
 半身のなかに見出した居心地の良さもそのような、今わの際に燃えあがる灯火の如く、刹那的で
烈しい生命としての在り方が源流となっているのかと結論した。

(……)

 ではなぜ、今まで出会った他の人間にではなく、あの男にのみ温かさを感じるのか。
 そのひとつだけがまだ、一向に解決しないのだけれども。



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