鑑識と現場検証を行う後続の魔導師たちがやって来るのを待たずして、カイムはその場に残った
なのはたちに背を向け、森に向かって歩みをはじめた。
キャロは呼び止めようとしたのだが、声を発することはできなかった。たとえ足を止められても、
その後どうすればよいのかわからなかった。
それは、ほかの仲間や上司たちも同じであるらしかった。皆戸惑いを含む視線を向けはするが、
動き出すことはできずにいた。天空のたかくに残っている太陽の、燦爛と照りつける射光の下で、
一人は歩き、他はとどまる。
やがて本当に何の感情も見せないまま、人目を避けるようにホテルから離れ、下草を踏みしめて
カイムは森の中へと入って行った。木の葉と樹木の幹の群の中に、人間ひとりが身を溶け込ませる
までそれ程時間はかからなかった。森に差しかかってから幾許の時をも置かず、カイムはその姿を
隠者の如くに消し去った。後には何も出来ず見送った魔導の戦士たちと、シャドウの物言わぬ黒の
骸と、ドラゴンが残された。
空白。
暫し経ってからフェイトが下に目を向けてみると、ライトニングの子供たちは、カイムが失せた
森を見たまま、言うに言われぬ思いの為す複雑な表情をしていた。キャロの相棒、フリードリヒは、
そんな二人を心配しているのだろうか、きょろきょろと目を動かしながら鳴き声を上げずに飛んで
いた。
シャマルを経由して得た映像で大まかな事情は知っているが、当時の様子の詳細までは知らない
なのははというと、そのとき最も近くに居たという副隊長のヴィータに向かって話しかけていた。
戦闘時の報告を受けているのと同時に、カイムについても話を聞いているのだろう。
はやての脇に控えているヴォルケンリッターの他の守護騎士たちも、お互いの表情を窺ったり、
主たる部隊長からの問いに答えたりしている。その中ではやては、ドラゴンからも話を聞き出そう
としていた。竜の静かな声が世界とそのすみびとについて語るのを聞きながら、はやてのこういう
大胆なところは、見習いたい長所だとフェイトは改めて思った。
ある者は押し黙り、ある者は聞きある者は話し、語り、そうして僅かな時が流れた。そのあいだ
誰も動かなかったのは、膠着を破るのに十分な動機や切っ掛けが無かったからか、それとも場の纏う
雰囲気が暗黙の内にそうさせたのか。
その両方であるようにフェイトは思った。「人を殺めた」という、隠すところのない剥き出しの
言辞をドラゴンが用いたことで、その内容に己も仲間たちも当惑している、とフェイトは感じた。
殺人が禁忌なのはミッドチルダでも当たり前のことなのだが、これを罪悪という二文字に集約して
しまうことがはばかられてしまい、ある種の混乱を感じていた。
それが、戦争なのだろうか? フェイトはそう考えた。
戦いなら幾度となく乗り越えてきたし、管理局員にはその中で職に殉ずる者だっている。だが、
それはあくまで時空管理局と犯罪者という、単純な敵対関係の中だった。互いが互いの正義と理を
掲げ、国や人間が対等に命を奪いあう、殺し合いとしての戦争は経験がなかった。
親友のなのはから以前聞いていたが、彼女の故郷・海鳴のあるあの国も、ほんの6、70年ほど
前にはその種の戦争があったそうだ。しかし戦場で戦った、兵士たちの心理は、その話を聞いても
想像もつかない。まして異世界の戦争など。
「あやつに治療を、と聞いた」
その内に、ドラゴンがそんなことを言った。言葉を向けられたのは、カイムの火傷に治療をと、
リインを通して持ちかけていたシャマルだった。
フェイトは目を向けた。ドラゴンからの言葉は暫く振りであったためか、仲間たちも耳を傾けて
いた。シャマルが頷くとドラゴンは、確認したと言わんばかりに一つ唸った。集結した視線に気が
ついてからの一瞬の空白に、程近い木蔭から、小鳥が二羽舞い上った。
「礼を言う。だが不要ぞ」
「そんなことありませんっ」
そのように言ったドラゴンに対し、珍しく、シャマルは頑として譲らなかった。火傷は酷ければ
痕が残るし、熱を持ったら質が悪い。そのような言を並べてドラゴンに反論した。
カイムの本性がどう、とかいうことは、シャマルにはその時なかった。
だいいち殺人行為なら、ヴォルケンリッターの自分たちだってしてきたではないか。そのような
思いが在った。同じ戦場に立つ者として純粋に、その身を心配して言葉が出ていた。
「ですから、検証が終わったらすぐにでも」
「そうさな。だがおぬしらのことだ。治療とはおそらく、魔法なのだろう?」
それに対し、ドラゴンはそう問い返した。当たり前過ぎて、想像さえしなかった切り返し。
うなずくしかなかった。事実だった。実際そのつもりでいた。
「無駄なのだ。魔力を得過ぎたようでな。我らは己によらぬ魔術の類は受けにくいのよ」
世界崩壊が開始する直前に漆黒へ体色を変化させ、竜の血に根付く記憶によりカオスドラゴンに
形態を変えた時から、帝国軍の赤き鎧を凌駕する、魔力への強い拒絶がドラゴンの身体に備わって
いた。目に見えぬ魔力の防壁は、世界を去り「血の記憶」の呪縛からも解き放たれ、紅のからだを
取り戻した今も消えていない。
巨大な容量を持つ竜族であるが故のその領域に、カイムもまた足を踏み入れつつあった。
血肉を吸い鍛えられていく彼の得物と競うように、数々の命を殺害したカイムは多様な魔や魂を
身の内に取り込んできた。受け皿たる身体はその度に鍛えられ強靭さを増してきたが、その果てに
制した鬼子たちとの戦いが、彼の体に奇妙な変容を齎していた。ドラゴンと共に巨人から略奪した
大量の魔力が、契約相手のそれには及ばぬものの、魔法に対し強力に抵抗するようになっていた。
自身の精神状態の如何によって強度が浮動するという不安定極まりないものだが、いずれにせよ
他者の魔法を弾く天然の盾であった。脱着が自由に行えるバリアジャケットと異なる、本人の意思
ではどうすることも出来ない種のバリアーだった。
(もっとも、いずれにせよ拒むのだろうな)
暴怒と衝動の下においては容易に消し飛びはするものの、人間として持つべき意識はカイムにも
残っている。己を異常者として認知することもできていた。
当たり前のように人間らしく生きる者たちの姿は、無為にその自覚を深めさせるだけだ。
先程なのはたちの目の前から立ち去ったのも、無関心というよりは、彼女たちの姿を見ることで
何らかの痛痒を感じたからだとドラゴンは受け取っていた。
カイムとてかつての心を取り戻したくないわけではなかろう。そのような男にとって彼女たちの
姿は辛いものだった。そしてドラゴンとてカイムには、そんな思いをさせたくはなかった。
「そう……ですか」
「薬草に使える葉なら森で見かけた。放っておいても勝手に治す」
この竜が己れの言を曲げるとは思えず、シャマルは引き下がらざるを得なかった。案じる視線の
中に複雑そうな気配を含ませた顔をしていた。その肩にシグナムがぽんと手を置いた。
(遠いな)
水色の空によく映える赤い首を見つめながら、漠然とフェイトは思った。
はじめて出会ったとき口の利けない竜の相方だったのが、列車の上では屈強の竜騎士に変わり、
そして今は精神を病んだ復讐の人。
さらには「人間同士が殺し合う」戦争という、空想のような時間を生きた人でもある。それでも
魔法という名の一点でつながっていたヴォルケンリッターとは違って、魔法体系の共通点も一つと
して存在しない。
考えたこともなかったが、生物学的にももしかしたら差異があるのかもしれなかった。こちらで
いう人間とは、形骸は同じでも違う種族なのかもしれないと、そのようにさえ思われた。
共同戦線に在ったというけれども、正直言って仲が良かったわけではなかった。
避けてきたわけでは決してない。世話になっているキャロやエリオの保護者としても、この先の
任務で背中を預けるかもしれない相手としても、彼らはずっと気に掛かる存在だった。
しかし思い返してみれば、片手の指に足る回数しか顔を合わせてはいなかった。
過去彼らが戦っていたのは何となく分かっていても、戦ってばかりいたとは思っていなかった。
その中で心を病んだとも思っていなかったし、多くの生命を奪ったとも考えたことはなかった。
フェイト自身が彼らには身の上話をしていなかったが、それは彼らも同じだったのだ。
――どうすればいいんだろう。
お互いに知らないことが多過ぎたとフェイトは思う。だがたとえ知ったところで、何も起こりは
しないと同時に気付いた。
助けてあげたいと思う。
苦しんだり悲しんだりしている人がいるのなら、何とかしてあげたいと考えてきた。精神の核に
その思いを据えて今まで生きてきたし、それは今なお彼女の基底にあり続けている。
ただその思いだけでは、どうにもならぬと分かった。
差しのべられた手や他の全てをかなぐり捨てて、深い闇の淵に消えていった人を、フェイトは
一人知っていた。
母、プレシアがそうだった。
(……わからないや……)
フェイトだけではない。出会ってから日が浅いということを差し引いても、彼らと魔導師たちが
言葉をかわし交わった時間は圧倒的に少なかった。槍の扱いをと頼んだエリオは蜘蛛の糸を切れと
言伝されただけだった。刃を交えたヴィータも奇妙な印象を持っただけであり、今までその正体を
確かめる術はなかった。
最も近くに在ったキャロでさえ、カイムと直接顔を合わせたことはあまりない。ドラゴンの傍に
いるはずのカイムは、キャロが森に足を運ぶと大抵は奥へ引っ込んでしまっていたそうだ。
そんな話をキャロから前に聞いたが、今にしてみれば人を避けていたのかとフェイトは思った。
何故だかそれが、無性に悲しく思えた。
「マイスターはやて。そろそろ」
「ん。せやな、もうじきやな」
そんな折、リインの小さな指がはやての肩をとんとんと叩いた。戦後のメンバー集合から今まで
およそ三十分が経過している。そろそろ現場検証の時間がやってくる、という頃合いになっていた。
去ってしまったカイムが、はやてとて心配ではある。カイムが背を向ける前に一瞬見せた目には、
悲しさや寂しさとは別の種類の、ぐちゃぐちゃと錯綜したような眼光があった。
しかし部隊長として、はやては責任を果たさなければならぬ。部隊を率いる者は公務においては
個人の感情を全て捨て去り、任務に邁進せねばならないのだ。優しい彼女にとってもまたカイムの
ことは気がかりだったし、話を聞いた今はその過去と現在の精神を案ずる思いがあったが、彼女は
もう子供ではない。己の感情そのままに動くことは許されはしない。歯痒くはあるのだが。
「なれば、我も姿を隠す必要があるのではないか?」
「いや、その必要はあらへん。敵の……シャドウ、の分析の時にそばにいてほしいし。それにな、
当時の状況、もっと詳しく聞きたいんや」
人間どもがこれからどのような事をするかは分からないが、このような異様のドラゴンが居ては
まともに作業ができないのではないか? と、はやての言葉から推察してドラゴンは言ったのだが、
当の本人は首を横に振り言葉を返した。
確かに喋るドラゴンというものを見たことがある人は少ないと思うが、魔法生物の類であれば、
鑑識という立場からすれば見慣れているはず。
というより鑑識でなくとも、魔導師であるなら少なくとも、竜族の存在そのものに驚くことは
まずあるまい。
それに、カイムが居なくなってしまった以上、シャドウやガーゴイルについての話ができるのは
ドラゴン以外にいないのだ。先ほどはやてが聞いたことをそのまま鑑識に伝えてもよかったのだが、
やはりこういうことは本人の口から聞いた方がいいだろうと思った。
話を進めているうちに新たな情報が出てきたら、それはそれで助かる、というのもある。
「そうか」
そう答えると、ふっと出し抜けに、ドラゴンは長い首を伸ばして空を仰いだ。
その場にほとんど動きが無かったことから、思わずぎょっと見る者もいれば不審そうにする者も
いて、また何か来るのか、と内心警戒を深める者もいた。これはシグナムだが、そういうことでは
ない。
ドラゴンの目は空を向いていたが、意識は別のところにあった。
そのように感じたのはキャロだった。森で会っていた時にも幾度か、似たような挙動をしている
のを見かけたことがあった。それはドラゴンが、どことも知れぬカイムと『声』で会話をしている
ときに、よく見せる動作であった。
「カイムさん?」
「ああ」
ドラゴンの返事は少々おざなりなものだった。
『声』での会話には、普通それほど集中する必要はないとキャロは知っていた。フリードリヒと
空を舞っている最中にカイムに連絡を取っているのも確認したし、『声』とは別種のものであるが、
片手間にキャロに向けて思念を放ったこともある。ミッドチルダの魔導師の念話と同じで、さほど
意識を注ぐ必要がない種のものらしい、とキャロは分析したことがあった。
それなのに意識を注ぎ込んでいるということは。
それほどカイムの『声』が微弱なのだろうか。
「これらを引き取りたいと言っておる」
そんな想像をして余計に心配そうな顔をするキャロを放置して、冷たいほのおを炎々と燃やした
瞳から、ドラゴンは黒い甲冑に視線を突き刺した。
かつての世界にあっても敵であった者たちだが、カイムに苦痛を味あわせた時点で、ドラゴンに
とっては敵意のランクは上がっていたらしい。不倶戴天の敵であり、かつ烈火のごとき震怒の矛先
たる存在に向ける視線は、生物の頂点に君臨する種に相応しい、本能的な恐怖をもいざなう暗黒を
内包していた。
「これを……シャドウを?」
「ああ。『有効に』活用する、と」
上下関係に由来する種のプレッシャーには慣れているはやてが、それについては何とか応対した。
割れた瞳がこちらを向くのには一瞬どきりとしたが、どろどろしたものが残り火ほどに薄れていた
のには、はやては内心ほっと安堵した。
「鎧自体には仕掛けは無い。そのうえどれも同じものだ、弄り回すには一つで事足りよう」
「余裕があれば……になると思うけど」
同じ世界を生きていた彼らのことだ。まるっきり初対面の自分たちが保管しているより、有効な
使い方を知っているのならその方がいいだろう、とはやては思った。それに、それがもし魔術的な
ものであるなら、後々に参考にできるところがあるかもしれない。何しろ異界の魔法なのだ。自分たち
ミッドチルダの住人にない、魔力の用途や魔法の発想というものが在るのかもしれなかった。
「それに、できたら、『使い方』っていうのを後で教えてもらえると助かるんやけど」
「伝えておく。それと、そこの娘ども」
言うと、大多数の視線がドラゴンに集中した。
帝国軍も連合軍もそうだし、ドラゴンがかつて見てきた人間の軍や騎士といったものはほとんど
男性で構成されていた。だから考える必要なしと無意識に処理したのだが、この機動六課の戦闘員
はほとんどが女性だ。失念であった。
気を取り直して、ドラゴンはスバルとティアナ、ヴィータの順に目を向けて言った。
「青と茶」
今までのドラゴンの口ぶりから察するに、色で言うならバリアジャケットか髪の色、と判断する
のが妥当であろう。
とも思われるのだが、今のドラゴンはカイムの代弁者。となるとカイムがそのように言っている、
と考えた方がいいだろう。しかしいずれにせよ、この竜と人とは同じような呼称を用いているよう
であった。
青色といえば、ほぼ間違いなくスバルである――と、総員の見解が同じところに収束した。自分が
呼ばれていることに本人も気づいて、緊張したのか、スバルはぴしりと背を伸ばした。
茶髪にはなのはやティアナ、それにはやても居るが、なのはの呼称は「白」から変化していない。
それにスバルが呼ばれたこと、ドラゴンが目を向けた方向を考えると、ティアナの事を指している
のだろう、と皆思った。少し驚いた表情をティアナは見せた。
「小さな赤髪」
「ちょっと待て。それは一体どーいうまとめ方だ」
「知ったことか。あやつがそう言った」
「……あのやろう」
粗略な扱いに憤慨するヴィータだった。
「伝言だ。『詫びる』と一言のみ」
でもそんなことを言われると、何も返せない。
「……何、謝ってんだよ……」
「知るか。それだけだ」
もうそれ以上は知らぬ。
というのは本当であるらしく、ドラゴンはそれ以上ヴィータに言葉を投げかけなかった。困惑と
やるせなさとが己の中で複雑に絡み合うのを感じながら、ヴィータはそのまま沈黙してしまった。
何を言えばいいのかわからなかった。
そのヴィータを捨て置いて、竜の目が再びはやてをとらえ直した。
「元凶は紫の髪の幼い娘と、カイムほどの背の男が一人だ。召喚士は幼子、南に逃げたらしい」
「情報提供、感謝します。召喚士がいるんなら、きっちり対策を練らんとな」
「森を全て灰燼に帰さしめれば燻し出せたやもしれぬが、あやつの傷もある。深追いはせなんだ」
良かったか、と問うドラゴンに、はやてはひとつ頷いた。
犯人逮捕のためとはいえ、森を丸裸にしてしまってはさすがに損害賠償請求が飛んでくる可能性
もある。それに相手は召喚士、転送系統の魔法のエキスパート。転送魔法で逃げられることも十分
ありえた。「警護対象に損害を与えました、犯人確保にも失敗しました」では目も当てられない。
試用運用下にあり、結果を残さねばならない六課にとって、それは最もあってはならない。
「気をつけてください」
はやては一拍の間の後でそう言った。
一転して厳しく引き締めたその表情を前にして、何を、とドラゴンが問い返す前に続けた。
「としか言えへんけども。殺傷行為は基本的に罰せられます。機動六課とて例外はあらへんし、あの人も」
はやては心配だった。
六課の評判が、という種の意味合いもありはしたが、単純に、彼らがこの先罪を犯してしまうの
ではないかという思いがあった。罪人と呼ばれ後ろ指を指されてきたという自分の過去の経験から、
はやてはカイムの精神状態の他に、純粋にそれが心配であった。
管理局に追われる立場になるのかもしれない、という不安も心の中に湧いていた。今後もし何か
あてば、それがもし重大な事件に発展してしまえば、彼らが御尋ね者になるという可能性もあった。
そうなったら自分たち管理局員は、彼らと戦い捕縛しなければならない立場にある。
得体の知れない存在とはいえ、はやての中ではもう、カイムとドラゴンは仲間として認識されて
いた。浅い仲ではあるものの、かつて仲間であった者と刃を交える苦しみを、味わいたくなかった。
(罰?)
しかし、ドラゴンはそうとは受け取らなかった。
言葉の中に、はやての感情とは別に感じるところがあった。眉間に並んだ竜鱗を寄せて、亀裂を
深めてみせた。
(戦いで殺戮を禁ずるのか?)
平素において殺人者と疎まれることはあろう。
ドラゴンがカイム以外の人間の滅びや死にさして感じるところはないが、人間の成す社会では、
それが誅せられるべき罪であることは知っている。
曲がりなりにも人間に関わり、社会に関わってしまっている以上、そこに法というものがあると
いうのなら、従ってやっても良いという程度には考えていた。
だが殺しにかかってくる敵を殺害して、罰を受けよと命ぜられる謂われはない。
(偽りではないようだ)
しかしはやての表情から察するに、本気でそのように言っている。
どうやらこの世界では、それが絶対の法であるらしかった。なるほどこの人間たちのどこか甘い
立ち位置も、初対面の自分たちへの警戒心の無さも、そういったところに源泉があるのやも知れぬ
とドラゴンは思った。
まあ、いい。
本当に殺さずに済むのなら越したことはない。
これからの戦いが穏便に済まされる予感は欠片も感じられないが、あえて口にすることもないと
ドラゴンは思った。
殺さねばならぬ時が来たら、避けようがなくどうせ殺すのだ。言ったところでどうにもならない。
そのように思って、ドラゴンは「ああ」と、はやてに向かって首を縦に振った。
「あやつとて、戦わずに済むのならそれが一番良い」
これ以上に虚しい肯定も、きっとない。
そしてやがて、検証がはじまった。
後からやってきた魔導師たちは、供述するのが言葉を話すドラゴンということで最初はさぞかし
驚いた様子を見せたが、はやての読み通りそこは慣れたものなのか、あるいは割り切りが早いのか、
すぐに通常の作業へと戻っていった。シャドウの屍を分析し、ドラゴンやはやて、記録を管理する
リイン、映像を持つシャマルから情報を引き出していく。
作業そのものは順調に進んでいき、検分を行う男が持つ記録紙が二枚目に入るところまでは早かった。
それから程なくしてはやてが尋ねると、やはり解析は順調とのことだった。
というより、単純だ、と一人は言った。
「魔力の関わる要素は無し、か……」
「甲冑表面に走る文様と、胸部裏側のエンブレムが気になりますが、それ以外は特にありませんね」
果たしてドラゴンの言葉の通り、物言わぬ甲冑そのものの中には魔力の残滓はおろか、魔術的な
痕跡は一切確認されなかった。
それに対して、ガジェットの型や造りは、今までの事件のそれと同じ種で何の変わり映えもない。
それ故に作業の進行はスムーズで、もしやガジェットまで内部の構築が大幅に改編されていたら
という考えは、あっという間に杞憂であったと示された。シャドウの解析は着々と行われていき、
「魔力痕無し」の結果だけが次々と導き出されてゆく。
「外殻の文様に意味はない。隠れたものは『天使の教会』の紋章だ。帝国軍が鎧兜に使っていたな」
「教会? 『帝国』って、宗教国家やったんか」
「崇める神ではなく教祖を頂点としていたが、その表現は恐らく正しかろう」
このように、最初はまずはやてとの間でやりとりが行われ、ドラゴンが補足的に横から口を出す
程度であった。
しかしそうしているうちに、基本的にドラゴンの言ったとおりの結果が出てくると分かったのか。
直接聞いた方がいいというはやての勧めもあって、調査を行っている数人の魔導師たちは一部は手を
止めて、先に竜に話を聞きにくるようになった。
ドラゴンの答えは澱みない。人間たちの問いは魔術において表層的なものであり、言葉では言い
表せぬ深い淵を突くものではなかった。ドラゴンがあまり口にはしたくない「主」に関わる話や、
過去戦った他の魔物についての問いが出なかったことも、その一因ではあったのだろうが。
「もう一つの新種が出たとも聞きましたが」
「燃え尽きて灰も西の森に落ちた。見たくば見てくるがいい。ひと際大きい木の十字の傍だ」
作業にはその場に残っていたフォワードメンバーや、なのはたち分隊長陣も加わっており、主に
シャドウの他にも散乱していたガジェットの残骸の運搬など、分析以外の作業の手伝いをしていた。
新たに増えた敵と、味方だと思っていた男の豹変に、皆こころの中にしこりのようなものが残って
いたままだったが、作業に精を出すうちに少しずつ考えを整理しつつあるようにはやては思った。
ただ、いつまで待っても、カイムは帰ってはこなかった。