地上の敵は全て殲滅し、空の連隊は撃滅が終わった。増援の気配はなく、時空管理局、あるいは
「機動六課」としての戦闘は一段落、ということになる。
 引き続いて周囲を警戒、新たな召喚が確認されないようならば即時現場検証。シャマルを中継して
はやてからはそう通達された。地上戦を終了したヴィータ、ティアナ、スバルのスターズ分隊と、
援護に駆けつけたザフィーラに向かって。
 奇妙な敵であった。命無き鎧と生きた箱、強靭なシールド、ガジェットの中に混ざっての襲撃。
さらに考えるなら、会場内にレリックがなかったため、果たして本当にレリックが目的だったかも
わからない。見た目の奇怪さも手伝って、そう意味ではある種の不気味さすら残した戦闘だった。
 速やかにデータを回収せねばならぬのは必定だが、しかし不意討ちされると痛い。それにこちら
から叩くことは出来よう筈もない。それ故の「待ち」。
 カイムが場を離れたのもイレギュラーと言えばイレギュラーだが、こればっかりはどうしようも
ない。ヴィータたちを捜索に回しては、ホテル前の守備はゼロ。それに防衛戦であろうがなかろう
が、人一人を探しに広範囲に散ったところを狙って各個襲われてはお話にならない。
 彼への援護、そして捜索は、空にいるドラゴンとフェイトたちに任される運びとなった。契約を
したドラゴンがいる方が見つかりやすいし、陸より空中にいる者の方が目が利くのは当然の理だ。

「あいつ、こいつらを、知ってたのかもしれねぇ」

 グラーフアイゼンでぶっ叩いて壊した、シャドウの亡骸から外れた鋼板を拾い上げつつ、まるで
確認するかのようにヴィータは呟いた。
 警戒中とはいえ、召喚や接近があれば直ぐに分かる。念のための待機といえ、戦闘終了の気配は
濃厚だった。注意は張っていても、いくぶん余裕がある。

「たぶん……きっと」
「ただ狂っていた、或いは……愉しんでいたようにも見えたが?」

 聞き付けて、ザフィーラが問い返した。盗み聞いたのではない。ヴィータ自身どういうつもりか
無意識なのかはわからなかったが、ザフィーラに聞こえる声量だった。
 心の何処かで、聞いて欲しいと思ったのかもしれない。

「あいつ、ガジェットには、あんな顔しなかった。見向きもしなかった。だから……」
「個人的な感情、怨みがあると言うのか? 未知の敵だぞ」

 だがそこでザフィーラは、いや、とひとつ言葉を区切った。ヴィータの推測、言わんとする事が
分かったのだ。なるほど確かに、疑問にも説明がついた。
 異界から現れ、ミッドチルダにやってきた男と竜。彼らが生きた世界は誰も知らない。それ故、

「同郷の者であるなら……何もおかしいところはない。矛盾はない、か……」

 ヴィータの言いたかったのは、正にそれだった。小さく頷く。肯定の意思。
 だが仮にそうだとして、問題はそれがどうして、カイムたちを追うようにこの世界に現れたか。
 それに加えて何故、ガジェットに混ざり現れたのか。偶然ではあるまい。ならどうして。何故?

「……思うところはあろうが、考えに耽っても仕方はない。今は持ち場、だ」

 正直な話嫌な予感が満載であるが、現時点では晴れることのない疑問であるのも確か。二人とも
考えを巡らせるが、答えなど得られようはずもない。悟ったザフィーラが先に思考を切り上げた。
警戒のみではあるが、今はとにかく任務の遂行こそ最優先だ。考えるのは後でいい。

「わかってる。……二人とも、怪我はねぇなっ」
「はいっ!」
「はい」

 ザフィーラさん喋れたんだ、などと溢していたスバルの元気な返事。ティアナの落ち着いた声。
外傷もない。ヴィータは続けた。

「考えるのは後にすんぞ。第二陣が無いとは言えねーから、固まってた方がいい。ここで待つ」

 隊長たちの話はスバルとティアナにも聞こえていたため、カイムらと「敵」についてはこれ以上
考えても仕方がないと、二人も悟った。
 もちろん衝撃の余韻は、まだ心の中に燻っている。狂人のようなあの顔、怖気の走るあの笑み。
静かなあの男があんなふうに豹変するなんて……そんなショックは、決して弱いものではない。
 しかしそれはヴィータも、ザフィーラも同じこと。自分たちばかりがいつまでも、気にして考えて
注意を散漫にしてはならない。今は任務中なのだ。

「ティア、行こ?」

 目が醒めるようなあの男の顔を未だ頭にちらつかせたまま、しかしスバルはティアナを呼んだ。
自分への気付けの意味もあったのか。

「ん」

 ティアナは、やはり静かに答える。その言葉の印象にその胸中に一瞬スバルの頭を何かがよぎる。
 しかしその正体を知ることはできず、結局スバルはティアナと肩を並べて歩きだした。

 スバルのこの感覚は、実のところ正しかったと言える。ティアナの胸中には、どうしようもなく
渦を巻く、あるひとつの思いがあった。
 カイムとヴィータを包囲から救ったのはスバル。敵を仕留めたのはヴィータとカイムと、後から
来たザフィーラ。
 スバルの援護こそ完遂したし、それ自体は決して軽いものではないのだけれど、だがそれでも、
敵を退けたのは彼らの方だ。

(わたし……何も、できなかった…………)

 無力感。圧倒的無力感だった。



 空のガーゴイル、地上のシャドウ。それらは自分たちの世界の異形であると、ドラゴンは手短に
フェイト達に告げた。同時にそれら魔物は、カイムの敵、「帝国軍」との戦いにまぎれていたもの
であり、旅の中で幾度となく対峙してきたとも。
 彼らが最後に戦っていたという「母天使」、そしてその由来である世界の調査には、フェイトの
義兄クロノが関わっている。彼の話によると彼らの世界は全く発見できず、信じられないことだが
時空管理局でさえ関知できぬ領域にある可能性が高い……フェイトはそう聞いていた。そのため、
ある程度は納得できた。
 ただ他の三人――キャロ、エリオ、シグナムはその限りではない。
 特に自然保護隊に所属していたキャロの驚きはひとしおであった。岩石の無機質さと、肉の体の
生々しさを兼ねたあの立方体の何者かは、彼女が今まで見てきたどの生き物とも一線を画している
ように思われたから。

「……カイムさんに、何が、あったんですか」

 しかしそれ以上に彼らが気になるのは、やはりあの男の方であった。
 震える声でキャロは言った。
 彼と同じ「竜と共に生きる者」として、幼さも手伝ってか憧憬を感じてもいた。そういうことも
あってキャロはカイムのことを、機動六課の誰よりも見てきたつもりだった。
 きっと複雑な人生を歩んできたのだろうということは、心臓を交換する「契約」を竜とかわした
ことからわかっていた。それが決して平坦な道では無かったことも、契約者の力の強大さと代償の
重さから想像がついていた。
 しかし実際にその道がどのようなものであったのか、そこでカイムに何があったかを、キャロは
知らない。知らなかった。

「……何も起こってはおらぬ。あれがあやつの本性、正体。ただそれだけよ」

 ドラゴンはカイムの消えた空を見やりながら、翼をゆるゆるとはためかせつつ、暫しの間の後で
静かに口を開いた。紡がれたのは事実であり、ありのままの真実だった。それに対して尚キャロは
食い下がる。

「でも、あんな……あんなのっ……!」

 焦燥に突き動かされてか、珍しくキャロは語を荒げていた。取り乱したと言った方が正しいかも
しれない。
 複雑な事情はあっても、根はきっと温厚で穏やかな人なのだと、出会ってから今まで彼らのいる
森をおとずれることが多かったキャロはそう思いつづけていた。カイムは静かで厳かで無表情で、
そっけない人間だったけれど、しかしドラゴンに向ける視線だけはどこか温かい光を帯びていたから。
だからきっとその考えは、間違っていない、筈だったのに。
 キャロが口にすることはなかったが、それはドラゴンが聞いても否定する類の話ではなかった。
かつて旅を共にしたカイムの妹フリアエから、彼が生来は温和で優しい男であったと聞いている。
フリアエがカイムに対して、実兄へのそれ以上の慕情をいだいていたことを差し引いたとしても、
血を分けた兄妹の言葉に大きな間違いはなかろう。
 ただその穏やかさを、狂気が塗り潰しているだけのこと。

「そう。あれは……狂っておる。戦いに、血肉の匂いにな」
「命を奪うことに、ですか……?」
「相違無い」

 やりとりを引きついだシグナムの言葉を聞いて、感情の激流に耐えられなくなったか、キャロは
今にも泣き出しそうな顔になったまま自分の口を閉ざしてしまった。これ以上の言葉を声に変える
ことは、もう叶わなかった。
 そしてそれはその場にいた誰しも、フリードリヒの背に乗るエリオとシグナム、魔法で宙に浮く
フェイトも同じことで、それから先口を開こうとするものはいなくなった。
 あれはもう、どうしようもなく、咎人の目であった。人殺しの顔だった。
 少なくともキャロたち魔導師の目の前では、カイムは口が利けない事を除いたとしても、静かで
穏やかな人間だった。それがあんな。あんな顔になるなんて。
 ひどすぎる。キャロは恐ろしさを感じると同時にそう思った。カイムの人生の激しさを思って、
沈黙した。彼を豹変させたのは、あの恐ろしい笑みを彼にもたらしたのは何なのだろう。
何がカイムを狂わせたのだろうか。
 それはきっと想像もつかぬほど、凄惨で残酷な。

「…………」

 ストラーダの槍を握り締めるエリオの、ちいさなてのひらが固く握り締められる。
 暗い暗いあの闇の目は、彼にとっても全く身に覚えが無いものではない。フェイトに触れてから
記憶の底に封じてきた、己の壮絶な出生が思い起こされていた。
 「誰にも出会わなかった」と、ドラゴンはそう言ったのだ。真意は定かではないが、その言葉が
もし自分に当てはまっていたらと思うと、エリオは背に冷たいものを感じずにはいられなかった。
人間としてこの世に在ることすら許されぬあの悪夢のような暗い場所で、もしフェイトに巡り会わ
なかったなら、今の自分もあの病んだ目をしていたのだろうか。壊れた顔をしていたのだろうか。
 あれは竜が言った、キャロに有り得た結末でなく、自分が辿るべき末路だったのではないのか?
そう考えるとエリオには、カイムのあの姿が他人事には思えなかった。自分と種類は違っても彼も
また、気の狂うほどの苦しみを味わってきたのは簡単に推測がつく。
 運命に翻弄され地獄のような苦痛を味わって、精神の破壊を逃れた者と逃れ得なかった者。その
違いはきっとほんの些細な差であって、隔てるものは殆んど無かった。荒みきった心で生きた事が
あり、それでもなお救われたエリオには、そのことが痛いほどに分かっていた。
 そしてそれはシグナムも、そしてフェイトも。

「……急いだ方がよい。カイムはおぬしらとの約束なぞ、もはや欠片も覚えておらぬぞ」

 そうして何も言わなくなった魔導師たちに、ドラゴンが声をかけた。キャロが、え、と顔を上げる。
 赤き竜の視線は、カイムが飛び去った方向にむいている。空中に留まるための、翼のゆるゆると
した羽ばたきが、加速のための力強いそれに変わりはじめていた。
 何を急ぐのか。フェイトが問うと、ドラゴンは答えた。

「なにを愚図愚図しておる。あやつの逆鱗に触れた者で、今まで無事に済んだ人間はおらぬのだ。
探し出さねば捕らえる前に斬り殺されるぞ」

 それはフェイト達にとって、十分すぎる言葉だった。
 あの男は本当に人を殺すのだと、嫌でも認めさせられるには。



 秘められし拡散する炎の魔法で、必要とあらば森を焼き逃走経路を奪う。其の心算で竜の背から
受け取った大理石の長剣「月光と闇」。幾多の命と血を吸い続け、毒々しく染まった紅のつるぎ。
 その魔の剣身を伝ってカイムの手に届いた反応は、重い斬撃に反して軽いものでしかなかった。
 不可視となった状態から繰り出された剣は、発見し接近した紫色の髪の少女の、デバイスらしき
宝玉を嵌めた片腕を斬り飛ばしている筈だった。魔法を司るデバイスさえなければ魔導師など只の
人間に過ぎぬと、そう踏んでの奇襲であった。だが腕は奪えなかった。外されたのだ。横合いから
何者かが少女に飛び付き、護るように抱きしめ地を転がり、剣が届く前に間合いから逃げられた。
 斬れたのはその際掠めた男の肩でしかない。それもごくわずか。血糊が剣の先に付着しているが
それも微量。殺し損ねた。微量の血。微量のの血血血血? 血??

 血? 血? 血? 血? あかい血? 血、剣、血? ち。紅。あか? 血? 血? 血???

「どうして……」

 そこから離れて、ルーテシアは問いかける。さらわれて感じた草のクッションと、鼻腔を駆ける
大地のにおい。それら森の感覚に混じって伝わる、抱きしめる人の気配は見知った男のそれだった。
 片膝をつき肩に手を当て傷を確認し、それでも視線だけは前方から動かさずにいる男の手に血を
見て、彼女はようやく敵が居たということを知った。
 何故彼は、気づくことが出来たのか?

「……森に、救われた」

 その男、ルーテシアの危機を救ったのはゼストだった。
 表情には珍しく、隠しようもない焦りが顕れている。問いへの答えも大きく息をしながらのもの
であった。
 目はもと居た場所に向けられたままだ。尻をついたまま尋ねたルーテシアは、襲われたことこそ
わかるものの、何が起こったかの委細が掴めない。
 しかしやがて、見ていて気付く。ゼストの視線は先ほど彼女がいた場所の一面に、絨毯のように
茂る、野草の緑に向けて注がれていた。何かがあるのか。目で追いかける。
 下草には点々と、少女のそれとは明らかに異なる、大きな足跡が森の奥から続いていた。
 彼女とゼストが森へやってきたルートに対し、正反対の方向から踏み締められた跡であった。
ルーテシアは召喚魔法の使用中一歩たりとも動いてはいないし、ゼストの巡回経路ともまた違う。
それをゼストは見つけたのだ。その場所に何かが居ると、彼が確信するのは早かった。
 何者のそれとも知れぬ接近の足跡が独りでにルーテシアの方へ進むのを見たゼストは、反射的に
駆け出していた。進みが少女の背後でぴたりと止まったのを見た時は、それが彼女の危機であると
戦士の本能で悟っていた。そしてそれは正解であった。己の肩口を掠めていった、刃の付けた傷が
何よりの証であった。

 血、剣、つるぎ。ち? 紅いしずく。朱。赤い血、血、あか。あかあかあかああかあかあかあか

 肌が焼けつく。ゼストの頭を過る、言い知れぬ悪寒。
 ルーテシアもまた奇妙な違和感を覚え、無事に済んだ片手のデバイス・アスクレピオスの魔石の
核を見る。紫の宝玉の輝きが、小さく、細かく揺れていた。
 後で思い返してみれば、それは少女が信頼する使い魔からの警告であったのかもしれない。
 それでも危機感が薄い彼女に対し、ゼストの感覚は彼の中で最大限に警鐘を鳴らし続けていた。
首を冷汗がつたうのが分かる。異様な未知の気配がそこにあった。

「アギトは……まだかッ」

 虚空であったはずの空間から、カイムの姿がずるりずるりと、彼らの目前に這い出るように現れ
はじめていた。無意識に少女を後ろ手に庇いながらゼストは、焦燥からか知らぬ内に言葉を吐く。
アギトが探しに出ているふたりの妖精たちを、これほど恨めしく思ったことは無かった。これほど
までに禍々しい、瘴気のごとき闇のにおいを、ゼストは未だかつて感じたことがない。
 やがて鮮血の剣を持った、ひとりの剣士が姿を現す。赤々とした刃を見たルーテシアは、まるで
随分前にゼストから聞いた、おとぎ話に出てくるの悪魔のようだと漠然と思う。

 あかいちあかいあかいそらあかいあかいつるぎあかあかあかあかあか、死血肉血にく、いのち。
 斬れ。奪え。戦え。斬れ。戦え。いのち。奪う、奪え。奪う。戦え、奪え。奪え。奪え。奪え。

 平穏の中で小さな血を見るのとは訳が違う。闘いの場の意識がカイムの精神を揺らし、剣の血が
切っ掛けとなって更なる狂気が呼び覚まされる。
 戦争と殺戮、断裂しつつある思考はその一点で集束した。カイムの中へと、戦いが還ってくる。
 唇が細い月の如くに歪んだ。剣の柄を握る力が倍に増える。どす黒い憎悪と戦いの歓喜が、波紋と
なってアグスタの森へと広がりはじめた。
 口元が三日月に曲がってわらい、並びの整った歯がニイと現れた次の刹那、男と少女はカイムの
背後に、歪曲した声の幻を聞く。



 奪わセろ。



前へ 目次へ 次へ