炎のように紅い剣の軌跡の煌きと同時に、解放された魔力がカイムを中心に放射され、鋭利な刃
となって円形に拡散する。
 虚空を薙ぐ際の風の音が、離れているにもかかわらず聞こえてくるかのような錯覚をヴィータた
ちはおぼえた。敵群に囲まれて遠くにありつつも強力な凝縮と練度を持ったそれと知れる、妖しく
も暴力的な一撃が瞬く間に駆け抜ける。
 ガジェットの装甲が硝子のように割れ、シャドウの黒い装甲に真一文字の大きな亀裂が走ったの
は次の瞬間だった。同時に制御を奪われた魔導弾が音もなくはじけて霧散した。生成していた本体
の、ガジェットの機能が失われたのだ。主を失ってしまっては、魔力は体を成すことができない。
 ただシャドウの兜の奥にはまだ、魔を宿した暗黒が消える気配はなかった。ガジェットに使われ
ている金属よりも強固な鎧を持つためか、異形としての執念なのか。
 しかし男は動じなかった。心中はもう、戦いの暗黒に染まりきっている。
 肉片の飛沫の代わりに鉄の欠片が飛び散るのを見てカイムは地を蹴る。跳躍しつつ手を伸ばし、
痛恨の剣撃に叩き上げられたシャドウの、くろがねの首部を左手に掴んでくびりあげた。剣が振る
われてから間髪を容れぬ追撃であった。吹き飛んだ敵群の機体が地に落ち、擦れるような金属音が
遅れて響く。
 その中でカイムは左手にとらえた甲冑にゆっくりと長剣の刃を向け、シャドウの亀裂の腹の亀裂
から、背までを貫いた。

「っ」

 遠目に見ていたスバルは思わず目をそむけた。カイムの剣が貫通する瞬間、痙攣するかのように
大きく震えた死霊の騎士の、ヒトのかたちをしたシルエットがあまりにも生々しく見え、断末魔の
叫びを聞いた気がしたから。
 果たして百舌鳥の早贄もかくやと言わんばかりの、見事な串刺し体に姿を変えたシャドウは二、
三度小さく震えた後、事切れたようにだらんと手足を垂れ下げる。鎧兜の中の闇から瘴気が消え、
あるべき空白がかえってきた。
 倒したのだ。
 強固な敵ではあるものの、限界を越えて体を傷付けることが死を意味する、ということは生物に
等しかった。他の甲冑たちも損傷が激しいらしく正常な挙動を失って、完全に鉄屑となったガジェ
ットの残骸の上で立ち上がろうと、剣を杖代わりにして困難しているところだった。
 その一体に向かってカイムは剣を振り、串刺しにしていたシャドウの骸を抜き飛ばして当てた。
死した鎧ががしゃんと音をたてて崩れ飛び散り、立ちかけていた甲冑が再びくずおれる。その様子
を目にカイムは、口元に薄く笑みを浮かべていた。破壊の悦びに震えるそれは、例えるなら悪魔の
それだろうか。残忍かつ冷酷な微笑みであった。
 首を曲げると、向こう側に離れて一体の瀕死のシャドウが残されていた。それを見てとると彼は
笑顔を貼り付けたまま、ゆっくりと一歩足を踏み出しはじめる。
 完璧に壊し、なぶり殺しにするために――しかし、それは叶わなかった。
 邪魔をしたのはヴィータだった。
 シャドウは不死ではなく、さらに反撃や防御の力は無いと悟るや否や、カイムよりも早く地を蹴
って、斬るべき獲物を奪ったからである。彼に代わって、自分がとどめを刺すことで。

「お前……」

 甲冑の一体をグラーフアイゼンで叩き潰し、動きを止めた事を確認して顔を上げたヴィータは、
カイムに目を向け呼び掛けた。男は獲物を奪われたと知ると、舌打ちをひとつした後、再び無表情
に戻ってしまっている。視線はヴィータに向けず、今度は空へと移っていた。
 相変わらず眼中にないのか、それとも目に入らぬほど興奮しているのか。おそらくは後者であろ
う。そんな気がした。
 スバルやティアナを恐怖させ戦慄を抱かせたことへの憤りや、その変貌に対しての驚愕を顔色に
あらわしてはいたが、言葉には言い表せぬもっと複雑な、様々な感情が絡み合い織り成したような
表情をヴィータはしていた。男の深奥は知るよしもないが、その肉体あるいは精神に抑えなければ
ならないものがあることだけは、はじめての手合わせの時から何となく感じていたから。
 あの残酷な笑みを消し去っているカイムを見て、ヴィータは思い返す。ドラゴンがなのはとフェ
イトに漏らしたとはやてから聞いた、「壊れた」という言葉――それが急に重みを帯びてきた。
 男が剣を振るう直前に見せた邪悪なエガオは、たしかにまともな心を持つ者ならば、決して見せ
ぬ種のそれであった。普段の鉄面皮、尋常ならざる殺意と怒り。そして何よりも、斬る直前に見せ
た、狂気と喜色の入り混じったあの笑み――。

 察しがついてしまったのだ。
 男の心のどこかが、壊れてしまっているのだと。

 彼女自身、常人の想像を遙かに超える過酷な生を……転生の繰り返しであるそれを、生と呼ぶの
がはたして正しいかはわからないが、送ってきたつもりでいる。現在の主・八神はやてに安らぎを
得はしたものの、今までの苛烈を、懊悩苦悩を忘れたわけでは決してない。
 忘れて過去を否定することは、現在の自分を否定すること――それは絶対にあってはならない。
 それに何より、過去の苦しみを忘却の彼方に追いやることは、それこそ不可能なのだ。負の記憶
というものは正のそれとは違い、それこそ岩に刻まれるがごとく強く残るものなのだと、少なくと
もヴィータは、ヴォルケンリッターの四人はそう知っている。特に、鮮血の記憶はなおさらに。
 自分たち守護騎士はある意味、というより完全に人外の存在。それ故に百年を超える永い戦いの
中でも、幸運なことに(少なくとも今はそうだと、ヴィータはそう考えている)精神を保つことが
出来た。発狂することなく転生を繰り返し、八神はやてのもとに辿りつくことが出来た。
 しかしそれは、人間の身では決して叶わぬことだ。当たり前だが「プログラム」である彼女たち
よりも、生身の人間の精神のほうが遙かに脆い。

 両親を目の前で殺され、国を亡ぼされた元小国の王子。それがカイムの素性の概略なのだと、又
聞きに聞いていた。親のないヴィータにその気持ちは分からないが、たとえばはやてを眼前で殺さ
れたと考えると背に寒気を覚える。考えるだけでも怖気が走るのだ。
 話によればその後男は、剣のみを手に戦い続けてきた。戦う目的は恐らく――復讐。その中で自
分たちのように血を浴び、癒される間もなく敵を斬り、人間の短い時間とはいえ濃密な、守護騎士
たちのそれにも引けを取らぬほどの激しい戦いを続けてきたとしたら。

 人間の弱い心なぞ、粉々になるだろう。確実に。

「……お前っ」

 かけるべき言葉などわかるはずもない。カイムがヴィータの素性を知らぬように、ヴィータもま
たカイムの生きた道の全てを知っているわけではないのだから。
 しかしそれでも、ヴィータは口を開かずにはいられなかった。何でもいい、伝わらなくてもよか
った。言葉にして吐き出さねばならぬと、心のどこかに駆り立てられたのだ。
 だが焦燥まじりのヴィータの言葉をかき消して、鈍くおおきな金属音が背後に響く。
 驚いて振り返ると、折り重なるように倒れていた一体のシャドウと、戦闘不能のもう一体が、地
から伸びた巨大な光の針に串刺しにされている。
 何者かが放った、完全なるとどめの一撃であった。
 そしてこの魔法を使うものは、機動六課ではただひとり。

「ザフィーラ……」

 ヴィータが見るとやはり、同じ守護騎士の一員、戦狼ザフィーラがそこにいた。
 同行していたシグナムと別れ、ホテル内およびホテル外周の守備を任されていたのを、他方向か
らの襲撃は無いとみて援軍にやってきたのだ。

「『敵』はこれだけか」

 凛然とした低い声の問いに対して、ヴィータの答えはややぎこちなく、ああ、口にするだけであ
った。小さい体ながらきびきびとして快活な、普段の彼女には似合わない。

「そうか。だが……」

 そこでザフィーラは、ヴィータから離れてたたずむカイムを見た。
 剣を向ける次の相手を見つけたのか、宙の一点を野獣のようなギラついた眼でとらえていた。
 その顔はあの見るもおぞましい、狂った笑みに歪みはじめていた。
 再び盛り上がり始めた頬肉の、醜いと言わざるを得ない悪魔のようなそれを見てとって、ザフィ
ーラは眉を顰めた。そうした後に、心の中で言葉を漏らす。

――それが……。

 しかしザフィーラがその思いを言葉にするより早く、落ちていた外套を再び纏ってカイムは跳躍
した。
 竜騎士の脚力で加速し、あっという間に空の彼方へ向けて飛び去る。その間一度も振り向くこと
はなく、視線さえ投げることはなかった。



「それがお前の本性……か?」
「…………」

 ちいさくなってゆく背にザフィーラが呟く。ヴィータは今度こそ、何も言うことができなかった。
 


「レイブレス。竜の秘奥のひとつだ」

 炎と表現するのも憚られる、極限まで凝縮された光の矢を解放し、総数十二のそれを一息に射ち
終えたドラゴンは、キャロたちに肉声で告げた。
 空にはもう、「敵」のかたちはどこにもない。
 揃いもそろって、皆すべて撃ち落とされたのだ。竜が放った、レーザーの様な熱線に貫かれて。

「今のは、魔法……?」
「何を驚く。よもや魔法が、人間ごときの特権だと思ったか?」
「い、いえっ」

 竜の赤い背に呟いたのを聞かれて、しどろもどろになってフェイトは否定した。驚くべきは竜が
魔法を使ったことでも、その威力についてでもない。ガジェットの装甲を切り裂き、あるいは貫く
ことのできるレベルの魔法はフェイトにも、今オークション会場で気を揉んでいるであろうなのは
にも可能だ。唖然とさせられたのは、その圧倒的な追尾性能を見たからであった。
 竜の口から放射状に放たれた炎の光線は、まるで意志を持つかのように敵を追い、それぞれが別
々の機体目掛けて首を振って、縦横無尽に疾っていった。外からの制御は行っておらず、解放の直
前に口元に出現した魔法陣も未知の種のものであった。追っては貫き、探しては追うそれらはあた
かも、解き放たれた猟犬のようにフェイトたちの目に映ったのである。自律し敵を追うにも、ここ
まで高度な魔法はさすがに見たことがなかった。
 未だに黒煙や灰が残る空で、赤き竜は右の翼を大きく前方に振り下ろした。突風が前方の塵芥を
吹き飛ばし、一瞬の後には今度こそ何もない、青空に相応しい澄みきった空気が戻ってくる。地上
へ墜落したガジェット、そしてガーゴイルの残骸を除けば、これで完全に敵襲の名残はなくなった。
 だが魔導師たちは、出現した未知の異形を忘れたわけではない。

「あの……あのっ」

 可愛らしい小さな、しかし不安を孕んだ肉声。それを聞きつけ、竜の魔法と「敵」とを内心で分
析していたフェイトは背後を振り返った。竜の背に乗っていた、シグナムとエリオも目を向ける。
 その先ではキャロが、やはり何か思うところのある表情で、ドラゴンの背を見つめていた。
 敵はいなくなった。地上の戦闘も、苦戦との報は入っていない。あの妙な「敵」との関係、名を
知る理由を聞きたいのだろう。それはキャロだけではなく、その場の全ての者に共通している。
 キャロには分からなかった。今目の前にいる火竜が、あれほど激しい感情をにじませた理由が。
 甘くは無いが普段は穏やかで理性的なドラゴンが、名を知り怒りの灼熱を容赦なく浴びせた敵、
ガーゴイル。自分たちの知らない何かが、少しずつ動き始めている気がして。
 そしてドラゴンだけではなく、その半身カイムにも、何かが起こっているような気がして――。

 暫く待つと、ドラゴンは――話をするつもりになったのだろうか。二つ羽ばたいて背を翻し、キ
ャロとエリオ、シグナムを乗せたフリードリヒの、そしてフェイトのいる方向へ身体を向ける。
 何を言うのか、緊張した面持ちで見守る魔導師たち。しかしそれはキャロへの答えではなかった。

「……よく見るのだ。あの男の姿を目に焼きつけよ」

 キャロも、エリオも、フェイトまでもが、え、と問い、シグナムも疑問の表情を浮かべる。そう
してのち、皆がほぼ同時に気づいた。よく見るとドラゴンの視線はフリードリヒの巨体ではなくそ
のやや下方、焦点はより遠くに向いている。
 何かがいるのか。
 そう思って皆が振り返ると、低空からぐんぐんと迫る何かが、たしかにいる。
 銀色に光る何かをたずさえて、接近する男がいる。やがて手の内のそれが剣と気付き、その男が
剣士だと見え、そして正体がカイムだとわかり――。

「それがおぬしのなれの果てだ」



 言葉と同時に魔導師たちが目にした、眼前を横切るカイムの表情は、正しく死笑であった。
 


 フェイトの真正面へと向かい、その僅か上に躍り出たカイムは何を思ったか、フェイトが持つバ
ルディッシュの戦斧の、刃の付け根にふわりと降り立つ。そして一同が見つめる、一瞬の間の後に、
その鋼を踏みつけてさらに高く舞い上がった。
 足蹴にされたフェイトが一瞬バランスを崩し、きゃっ、と、珍しく小さな悲鳴を漏らしたのは同
時だった。体勢を立て直したフェイトが――あるいは踏まれたバルディッシュが何かを告げるより
も早く、男はすれ違いざまに竜の背から、赤い刃の剣を握り取る。
 そしてあっという間にその背は小さくなり、かと思うと唐突に赤い刃を携えたまま、その姿を忽
然と消した。
 遠くなって見えなくなったのではない。「白蝋の剣」に込められた、隠遁の魔法の効果であるの
だとは、その場にいた誰にも知れた――。
 ただしそれには一拍の時を要した。空白の時間が流れたのだ。誰も未だかつて見たことのない、
悪鬼の形相を目にしたことで。

「……今のは」

 男の背がとっくに消え失せ、気配すら感じない遠くへ行ってしまった後になって、シグナムはよ
うやく静かに呟いた。カイムの凄まじい表情に覚えた驚愕と悪寒の余韻に、未だに心を引きずられ
ながら。
 それに対し、ドラゴンは静かに答える。

「カイムだ。このまま元凶を討つらしい」
「なっ……分かるのですか!?」

 当たり前だが、ここは上空。眼下は何所までも広がる大森林だ。こんな中から一人の人間を探す
のは、魔法を使ったとしても困難を極める。
 ドラゴンが何も返さないのを見て、シグナムは口をつぐんだ。無言は肯定である。驚愕に値した。

「カイムさん……」

 シグナムの声が途切れると、キャロが小さく呟いた。
 目は、その瞳が少々揺れているようにドラゴンには見えた。そこに向かって竜が問う。キャロは
カイムが去った方向を見つめたまま、静かに続けた。

「怒ってたのに……笑ってた……」
「何もかも奪われ、力のみを残された者の未来だ。おぬしと同じ……」

 いや、と付け加える。

「……だがおぬしは、黒金に巡り合った」
「え?」

 呼び名を呼ばれたフェイトも、エリオもまた目を向けて、竜の割れた瞳を見た。
 そうしてドラゴンは、そこに続けて言葉を紡ぐ。飛び去って行った男の背を見る、その目の奥で
何を想ったのだろうか。

「カイムは誰にも出逢わなかった……それだけのことよ」
 


 召喚した蟲を、ガジェットの制御にまわして操作する。そうしてデータを取るのがルーテシアの
任務であり、それは概ね完了した。
 情報として受け取った、ガジェットの他の種々の異形は少々珍しくあったものの、己の「捜し物」
が無いと知った彼女はあまり思うところがなかった。頭の中にあったのは、白衣の男スカリエッテ
ィの頼みを聞き、ただ正確にガジェットを操作することだけ。
 全機撃墜される時間は早かったものの、データの収集は完了した。後はこの森から引き上げ、再
び旅を続けるのみ。
 ゼストは周囲を警戒すると言って辺りを見回っているが、それももうすぐ終わって戻ってくる。
そしてもうそろそろアギトが、どこかに飛んで行ったふたりの妖精を呼び戻してくる頃だろう。
 そうしたら、今度こそあのふたりと、おはなしをしてみよう。
 まだ声を聞いたことはないけれど、きれいな青と、きれいな赤のあのふたりなら、おとぎ話みた
いにきれいな声を聞かせてくれるかもしれない。前から一度、聞いてみたいと思っていた。
 そしてもしかしたら、母を助ける自分の願いにも、協力してもらえるかもしれない。心が希薄な
少女は無邪気にも、そんな事を考えながら、引きあげの準備にかかろうとしていた――。

 不可視となった一人の剣士が、その背後で片腕を斬り千切らんと、長剣を振りかざすのを知らず。



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