包囲しているガジェットの弾をまたひとつはね返し、プラスした遠心力をそのままに叩きつける。
直撃したグラーフアイゼンがついに甲冑の、左肩の装甲を抉り飛ばした。
 だがそれでも「敵」は立ち上がる。中身が空洞であるのは隙間から見えて予想がついていたが、
これでは不死身だ。
 一刃で二つを相手にするあの男をちらと見ると、一体の剣撃を受け止めると同時に、振り返りも
せず蹴りを放っていた。偶然だろうかちょうど対魔法に切り替わっていたシールドをすり抜け、重
厚な甲冑が軽く3メートルは浮き上がる。胸の鉄甲が欠けて小さく破片が飛んだのが目に入った。
まるで馬の後ろ蹴りのようだとヴィータは思う。
 ただしその横顔は激憤の顔以外のなにものでもなく、蹴撃は狂馬のそれを連想させた。
 守護騎士たるヴィータが戦った魔導師の中にも、怨恨や憎悪で向かって来た者は一人や二人では
ない。それらの者が向けてきた目の、激情のあまり漆黒に染まった色を、彼女は今でも思い出すこ
とができる。
 目と鼻の先で戦うカイムが甲冑どもに向けている眼光は、その種のものであるとヴィータは確信
していた。濃厚で果てのない、底の知れぬ闇の色。
 心の片隅で考える。ヴィータがカイムとの手合わせで感じた、この男が抑えようとしていたもの
が今ならわかる。あの印象は気のせいではなかったのだ。正体はこれであったか。
 以前一度だけ刃を交えたカイムが、その時リミッターのような外的な理由ではなく、己の意志に
よって全力をコントロールしていたのには気づいていた。
 それが精神的感情的な理由だろうということは何となく察せられたが、しかし殺意をまき散らす
カイムの変貌は、平静の無表情から可能な想像の範囲を超えていた。よもやこれほどのものであっ
たとは。永遠の戦いを宿命づけられてきたヴィータも人間からは見出したことのない、息の詰まる
ほどの死の気配であった。
 気迫そのものはヴォルケンリッターの四人衆も負けてはいないが、ここまで純粋な「殺意」とな
ると話は別である。しかもこの男は紛れもなく、異世界の住人とはいえ人間のはず……魔導生命体
でも、戦闘プログラムでもない。それはカイムに以前、少しだけ検査を行ったシャリオの結論だっ
た。
 一介の人間であるはずのこの男が、守護騎士の何百年にも及ぶ闘いの歴史と同じだけの、地獄の
ような苛烈な道を生きてきたとでもいうのか?
 そしてこの男は何故、目の前の甲冑にかくも強烈な殺気と怒りをぶつけるのだろう。もしやこれ
らの敵と、何かかかわりがあるのか――?

「っ」

 しかしそんな考察を続けている余裕は、百戦錬磨のヴィータとてあるとはいえない。思考を中断
し、シャドウの長剣の軌道を膝を曲げて避ける。バリアジャケットの防御はあるが、何せ全く知ら
ない敵の攻撃なのだ、その身に浴びた時何が起こるかは分からない。
 カイムとヴィータの激烈な攻撃を幾度となく受けつつもなお、肉無き鎧武者はそのたびにゆらり
と立ち上がり、何事もなかったかのように向かってきている。さきほどからその繰り返しだ。控え
目に言えば互角、悪く言えば打開の一手を欠く状況。当たり前だが不死身の「敵」を相手にして、
完全に勝利する手段は通常ほとんど皆無といっていいのだ。それは形は違えど、同じく不死者であ
るヴィータが身をもって理解していた。闇の書と守護騎士が滅ぼされず、今も現世に在り続けてい
るのが何よりの証である。
 ひょっとすればこの者たちは完全なる不死ではなく、鎧に限界を超える損傷を与えたり、内部に
コアが存在してそれを破壊したりすれば撃破できる――といったこともあるのかもしれない。
 だが、ガジェットとその弾丸に包囲された現状ではどちらも実現不可。現に今も、グラーフアイ
ゼンを振りかぶるヴィータの脇を、背後から光弾がかすめて飛び去る。
 必殺だったはずの一撃は威力を減じられ、異様に堅い甲冑の装甲に阻まれた。舌打ちがこぼれる。
シールドが対魔法仕様であった今のタイミングならば、確実に粉砕する自信があっただけに。
 攻略の手はないのか。
 カイムが口が利けないことを、これ程もどかしく思ったことはなかった。この男が敵を知ってい
て、効果的な攻めの手をもし持っているのなら、とっくに聞き出して試すものを。
 ティアナに援護射撃、スバルにその護衛を命じてから、未だに細かく指示を出す余裕はなかった。
彼女たちの御蔭でガジェットの数がみるみる減っていったのはありがたいが、それでも状況は打開
されていない。ふたりを巻き込むことを恐れてか、今はその援護射撃も数を落としていた。
 とはいえ、全く方針が立たないわけでもない。シャドウどもの障壁の切り替わるタイミングは相
変わらず読みきれないが、しかしなんとか傾向だけは掴めつつあった。
 硬い甲冑の騎士どもが展開する、その装甲よりも強固なあの障壁は、どうやら物理攻撃を当てれ
ば対衝撃、魔法攻撃を当てれば対魔法シールドに、少しの間をおいて変化するらしかった。さらに
シールドは続けて変化させることができず、次の切り替えまでには一定の時間が要るようだった。
 となれば。障壁が変化した直後に、シールドを貫通する攻撃方法で――物理障壁なら魔法、魔法
障壁には接近戦というように、一気に畳みかければ仕留められるしれない。本当に敵が、不死身で
ないのなら。
 だが、手が足りない。ヴィータ自身この慣れない甲冑の相手で手いっぱい、二体と斬り結ぶカイ
ムは言うまでもない。歯噛みした。あと一人がいれば、あと一手あれば。

(……あれは)

 ふと、ヴィータは気づいた。
 丁度その時カイムとヴィータは、甲冑どもを挟んでちょうど向き合うように立ち回りを演じてい
た。その中央の地面に、うっすらと影がおりている。視線がたまたま地を向いたがための、本当に
偶然の発見であった。
 ちょうど今は昼で陽は高かった。上空に、陽光を遮る何かがある。これは何だ?
 シャドウの斬撃を受け流し、鉄鎚で吹き飛ばしてできた一瞬の間。その隙に見上げるとそれは、
淡い光を放つ道であった。視線を下ろすと地面から伸びたそれは、戦場を大きく迂回するように展
開し天へと伸びている。
 ウイングロードだ。そしてその先端には、開けていく道を追うように疾走する影が見えた。霞む
髪は青。鉢巻が風になびく。あの影は。
 しめたとヴィータは心の中で呟き、その上を走る影をスバルだと視認して唇を緩めた。円状に取
り囲む中央に入るには、わざわざ正面から行かなくてもよい。ガジェットにも気づかれぬよう、遠
回りに上から飛び越えればいいのだ。
 ティアナはと見ると、クロスミラージュを構えたままで円陣の外に居た。正解だ。四人が全員包
囲網の中に突入するより、一人が外に居た方がいいのは当たり前だ。
 ろくに指示も出せずに鎧武者との戦いに突入したというのに、よく動いてくれた。日ごろの訓練
の成果顕れり、と言えるだろうか。

「ん?」

 しかしスバルの手にあるものを見、飛び越えるにしては地上からの高度を異様に高く取っている
ことに気づいて、ヴィータの表情が疑念を孕んだそれに変わっていく。
 さらに、握った巨剣を重たそうにしながらも大振りにふりかぶっているのを見て、疑問が増して
いく。男のように剣の魔法が使える訳でもないのに、もう既に攻撃の構えを取っているということ
がやがてわかった。そこでヴィータは、やっと意図を察する。
 いや……まさか、スバルお前ちょっと待て。
 たしかに状況を変えるには好手かもしれないが、ちょっとお前よく考えろ。その高度からそんな
こと無茶苦茶、いやまぁこっちの力を信頼してるからかもしれないが、いくらなんでもお前それは
危険やめろやめろやめろやめやめやめやめ

「ヴィータ副隊長、カイムさん! 助太刀します!!」

 通信は間に合わず。
 スバルが鉄塊を、ヴィータとカイムのいる敵陣の中央に向かって。強化した腕力で、凄まじい加
速度をのせて。



 ぶん投げた。



 砲撃特化型のなのはよりかはオールラウンダーのフェイトの方が、どちらかといえば不測の事態
にも強い。ガジェットに加えてアンノウン来襲の報を受けたはやてが、援護に彼女を向かわせたの
にはそういう意図があった。
 欲を言えば二人とも前線に送りたかったが、会場をはやてと、最後に残した砦ザフィーラだけで
守りきることは難しい。それに究極の最終手段としてはやてが大魔法を使う場合、無防備な魔法詠
唱時間を耐えきる護衛がいなくなる――そう考えての苦渋の決断であった。スバルとティアナの身
を案じるなのはに申し訳なく思いながら、はやては会場での警備、すなわち実質的な待機の指示を
告げた。
 そしてはやて自身もシャマルに大まかな通達をすべく、オークション会場のホールを後にするこ
とになった。自身が前線に立つのは難しいため細かい指示をシャマルに委ねてはいたが、大まかな
方針を決める者は部隊長たる彼女以外にはいないのだ。会場内でホテル外の様子を映す訳にもいか
ず、はやてはホールから外に出ることになった。
 つまり事実上、とうとうなのははひとりぼっちになったのである。部下たちの援護もできず、激
励の言葉すら十分にかけることができぬまま。
 どれほど歯痒いだろうかと、はやては席を立ちながら思う。
 報告によればすでにガジェットや未知の敵との交戦ははじまっており、スターズ分隊は地上のそ
れを抑えるよう、シャマルを通して通達を出したのだ。先に戦っていたカイムに加え、今はヴィー
タも合流しており、互角に戦っていると報告は受けている。頼もしいことだが、しかし敵はアンノ
ウン。何が起こっても不思議ではない。
 はやて自身、この状況には苛立ちを禁じえなかった。危険に対し臨機応変かつ迅速に対処するこ
とを設立目的とする機動六課の分隊長が、部下の危機となりうる事態に動けないとは――最高の皮
肉である。

「なのはちゃん、大人になったなぁ」

 しかし席を立つ直前、はやてはなのはにこう言った。
 はやての目に映るなのはは、隊員が交戦中との報を受けても、その相手が未知の敵だと分かって
も、動じることなく冷静を保っているように見えたのだ。今すぐにでも駆けつけて、助けに行きた
いであろうにもかかわらず。
 はやてが昔から見てきたなのははもちろんのこと、なのはの過去の冒険譚――かつてフェイトと
戦ったころの話を聞いていたはやては、幼いころのなのはがどれだけ情熱的で、いわゆる「熱血漢」
的な少女であったかを知っている。かつ組織というものに完全に属していなかったその頃の彼女で
あれば、今同じ状況に立つ者のもとに、すぐさま救援に駆けつけるということは容易に想像がつい
たから。
 たとえどんな障害が立ちふさがったとしても、それこそそれらすべてを、文字通り薙ぎ払って。

「え……?」
「落ち着いてる。エースオブエースの貫録が出てきたみたいやね」

 すこしの間をおいて、なのはは顔を伏せたまま返す。

「違うよ。ちょっと、考えちゃってただけ」

 はやては問うた。

「何を?」
「あの人たちと――同じだ、って」

 はやても少しはっとしたようになって、思うところがあるのか、何かを考えるそぶりを見せた。
 唐突に現れた未知の敵。何の前触れもない異端の者の来訪という点では、あのドラゴンや竜騎士
カイムと共通している。
 シャマルの報告音声をはやてから受けながらも、そのことがちらちらと頭をよぎってしまったの
だ。わずか一端でありながら悲惨とわかるカイムの過去を竜から聞き、彼らの最後の、異常という
べき戦いを、クロノから聞いたがために。
 管理局さえ知らない、全く未知の世界と、そこに住まう者たち。ひょっとしたら、この「敵」も
その類なのではないか。
 カイムやドラゴンのように、自分たちの知らない強力な戦闘力を、持っていたりはしないだろう
か。歴戦のヴィータはともかく、新人のスバルやティアナに命の危険が及びはしないだろうか……
そう考えたのだ。だからはやてが言うように、落ち着いたりエースの平静を保てていたわけでは、
決してないのである。
 貫禄を身に纏っているつもりなど、なのはには毛頭無い。本当ならば、今すぐ飛んで行きたい。
なんとかしてあげたい。
 助けに行きたい。

「……でも」

 いけない。そう、なのはは自分を戒める。
 それではいけないのだ。
 ひとりで全部何とかしようとしたから、そして大抵の事はそれで何とかなってしまったから、だ
からなのはは、かつて死の淵に立った。減じた体力を省みることなく、体の限界を超えた魔法を使
い続けた結果、彼女は一度、再起不能寸前の傷を負った。
 そして彼女は、「頼る」ことを学んだ。
 縋るでも、依存するでもない。他人の力と知を認めた上で、他者を信頼し任せ、預けることを知
ったのだ。
 友とともに在りつつ、それでも尚ひとりで戦っていた、あの頃のなのははもういないのだ。

「信じてるから。スバルの爆発力と、ティアナの戦術眼、勇気と、知恵と」

 なのは顔を上げ、はやてを見た。
 信じて、任せよう。
 新人たちは決して一人ではない。過去のなのはのように、心の奥で誰にも頼ろうとしないのでは
ない。
 彼らには、仲間がいるのだから。

「私は、スターズ分隊長高町なのは」

 命を張って隊員を守るのは隊長の責務である。
 しかし仲間を信頼するのも、その役目であるはず。
 難しい二択である。だが、さらに言うならば――

「隊員を……自分の教え子を、信じるのは当然だよ」

 それが自分には居なかった、師というものの務めだろう?



 スバルの投げた鉄塊の剣身が、矢のように疾走する。
 上空から響く声に、戦いの淵にどっぷり浸かっていたカイムも目を向けた。重力をその味方とし
た鉄塊は、風を切りつつちょうど六回転目にはいっている。貫通力を上げるべくスバルが剣に与え
た、横方向の回転であった。
 いつか飛び入りで参加した、ティアナと組んでの再戦で目にしたカイムの高い身体能力と、常日
頃から見てきたヴィータの、前衛としての驚異的な腕前。これらを見込んでスバルが選択したのは、
ガジェット・ドローンによる包囲網を力ずくで破ることだった。
 ガジェットとシャドウの攻めで身動きが取れない二人を同時に脱出させ、包囲の内外に分かれて
しまった戦線を立て直す。そのための崩しの手としての投擲であった。スバル自身は単純に、早く
二人を助け出さないとと考えていただけだったが。
 鉄塊の回転が十を超え十五を過ぎ、二十に達しようかというところで敵陣中央の地面に突き刺さ
る。雷が落ちたか、はたまた小さな隕石が直撃したかのように、轟音がとどろき地面が震えた。再
び粉塵が巻き上がり、視界がたちまちに煙におおわれる。
 文字通り開戦の狼煙となったカイムの兜割りがそうしたように、重力の乗った鉄のかたまりが足
場を砕いて抉る。スバルの腕力までもが乗った巨大な矢の直撃に耐えられず、地盤が割れて隆起し
陥没した。シャドウどもの敷く陣の中央に亀裂が走り、足場がまた崩れ、甲冑の挙動が大きく乱れ
た。
 脱出可能なその隙を逃すほど、敵に囲まれているふたりは愚鈍ではない。着弾の衝撃の直後、ヴ
ィータはスバルの待つ上空へ飛び、カイムは包囲するガジェットを斬り飛ばしにかかった。
 そして唐突な襲撃を受けたガジェットの、砂ぼこりに飲まれる前に発射が間に合った弾丸が、全
力の一投を終えたスバルに向かう。攻撃の出所を、彼女の声から気付いたのだ。
 しかしこれは、クロスミラージュの魔弾を受けて相殺された。ティアナの援護だ。スバルにひと
つ出遅れたとはいえ、ヴィータに言いつけられていた、相方の護衛をきっちりこなしていたのだ。
迅速な対応。さすがティア、とスバルは通信で称賛をおくる。

『ありがと、ティア!』
『……ったく。次が来るわよ。早く副隊長を回収し……』

 ティアナの通信が途切れる。
 どうしたのか、何事かと振り返るスバルの頭上に、何かが降ってきた。
 拳骨だ。

「この馬鹿この馬鹿! あんなおっかねぇモン投げやがって!!」

 スバルの頭を拳でぶっ叩いたのは、ガジェットの弾丸を防げるように片手でシールドを張り、空
中からウイングロードへと着地したヴィータだった。罵声を浴びせるその息は荒く、心なし目が血
走っているようにも見える。
 いくら脱出の隙を作るためとはいえ、人間の背丈を越える剣をかなりの高度から、さらに肉体を
強化したうえで投げつけられたのだから無理もない。当たらないようにちゃんと狙いは定めている
だろうと予想がついていたものの、当たり前だがはっきり言って怖い。
 なのはの砲撃をはじめ、大魔法ならば何度も目にしたことのあるヴィータだが、魔法以外の大質
量がごうごうと迫ってくるのはあまり経験がなかった。相当焦ったのか顔には血が上って、赤みが
かったままである。

「……ふくたいちょー」
「うるせぇ黙れ」

 じんじんと痛む頭を抱えながら恨むような縋るような目を向けてみたが、しかしそれは一蹴され
る。せっかくうまくいったのに、世の中は理不尽だとスバルは憂えた。

 とまれ、ここに脱出は成った。

「……アイツが居ねぇ」

 ただあの瞬間ガジェットに斬りかかったはずの、もうとっくに脱しているはずのカイムの姿が見
えない。妙だとヴィータは思う。合流しようと思えば、とっくにできているはずであろうものを。
 いや、合流する気がないだけかもしれない。
 普段は感情の揺れが少ないように見えた、あのカイムがあのように豹変したこと考えても、彼が
一体何を考えているのかはいまいち想像がつかなかった。隣で戦っていたヴィータと協力するつも
りはまるでなかったようだし、はたして共闘する者の存在が、意識の中に残っているかどうか。
 同時にヴィータはカイムの、彼女ですら薄ら寒さを感じさせる、あの凄まじい表情を思い出す。
過去任務に乱入した時ガジェットには向けなかったというのに、今回の黒い甲冑に対して何故、歯
を剥き出しにして剣を叩きつけたのか――少しの間ができてようやく、ヴィータはそこに考えが至
った。
 甲冑のみに激情を顕わにしたという事を考えるとどうやら本当に、今回の「敵」と彼の間には、
何らかの縁があるのかもしれない。
 上から見ていたスバルに問うと、見ていた範囲では少なくとも、カイムは砂煙のなかから出てこ
なかったという。しかしあの男なら空は飛べぬとはいえ、包囲から脱する力はあろう。大丈夫でし
ょうかとティアナが言い、スバルも目を向けるのには、心配いらないだろうと返した。二人とも複
雑そうな顔をしている。やはり男の豹変は、彼女たちにも全く予想外だった。そして戦慄を禁じ得
なかったらしい。

「手荒だったが……いちおー礼は言っとく。二人とも、助かった」

 ともあれ、上々の成果だと言えよう。陣の立て直しは概ね完了した。
 展開し続けるウイングロードの伸びゆく先がティアナの方向へ向かう。光の道の先端が地上へと
至り、上を走っていた二人が跳躍し着地する。同じく落ち合うべく移動していたティアナとの合流が
果たされると、ヴィータは一言礼を述べた。
 粉々になった岩盤や砂がまたも煙幕のように視界をふさいでいるが、あの一瞬の隙を見つけたカ
イムも動いていたのは目にしている。甲冑二体と斬り合っていたあの男の実力なら、突破は容易で
あろうとヴィータは踏んだのだ。
 砂粒の舞い荒れるホテル前を見据え、鉄槌をヴィータは構え直した。ガジェットの狙撃に備えて
薄くシールドを張ったまま、再び煙に隠された戦場を見やる。
 砂塵はもうそろそろ晴れるようだった。薄茶けた空間から、ガジェットのシルエットが浮かび上
がってきている。ヴィータはティアナとスバルに、視界が晴れたら積極的に攻めるように命じた。
地に転がっていた草原の竜騎槍を手に、先ほどやったことと似たような作戦を考えていた、スバル
の頭をぽかんと叩いて。
 その背に向けて、違う、とティアナは呟いていた。
 「二人」でなく、「スバル」のおかけだ。
 包囲の上を飛び越えての救援を、ティアナとて考えなかったわけではなかった。山なりに弧を描
く弾丸でガジェットを避けて援護したり、敵陣の一角を崩した後幻影で陽動してさらに隙を作るな
ど、考えていた策はいくつかあった――しかし、成功させたのはスバルだ。
 それ自体は、ティアナにとっても好ましいことであった。スバル自身は思い付きでの行動だった
かもしれないし、ヴィータに言われたとおりやり方も手荒ではあったが、それでもあの時点では、
悪くない選択だったように彼女は思う。魔力量がある代わりに戦略や戦術の組み立てがティアナほ
ど巧みではなかったことを考えると、一手だけの構成とはいえ、そちらの方面についてもいくらか
成長した証と言えるのではないだろうか。
 だが、ティアナは思う。自分はどうだろうか。魔力が大きく増えたわけでも、新しい魔法を編み
出したわけでもないのに、自分はこの機動六課で、果たして成長できているのか……
 風は微風。しかしそうこうしているうちに、煙が晴れる。

「何でッ――!」

 飛びこんできた光景に思わずヴィータが叫び、スバルもティアナも、驚愕に目を見開いた。
 劣悪な視界が晴れた後、確かにカイムはそこにいた。表情は髪に隠れて覗えず、足もとに散らば
る鉄屑はその数を増している。ガジェットの残骸だ。鉄塊の着弾の隙に、かなりの数を切り落とし
たらしい。実際煙が晴れた時に見えたガジェットの数は、ヴィータが中に居た時よりもかなり減っ
ている。
 ただしその周囲は、甲冑とガジェットの群れに包囲されたままであった。
 そんな馬鹿な。自分が一度手合わせをしていただけあって、ヴィータはこの得体の知れない男の、
剣の腕は評価していた。新人とはいえ二人の魔導師を、ほとんど一方的に負かすほどの使い手だと
認めてはいた。包囲するガジェットを幾らか斬ったのなら、いくらでも脱出する機会はあったはず
なのに。
 包囲網を脱して危機を逃れたと思った面々の空気が、一気に張り詰めたそれへと変わった。ガジ
ェットの数はもう十体ほどしか残っていない。しかしあの黒い鎧武者たちは、全て健在だった。そ
れが拙い。このままだと二体と互角だったカイムに、ヴィータが抑えていた一機までもが加わって
しまう。剣一振りで三体を相手にするのは、いくらなんでも無茶だ。

「ティアナ!」

 脱出しなかった男の行動に疑念を向けるよりも、その身の危険を察してヴィータはティアナを呼
んだ。こうなったら強引だろうが何だろうが、ガジェットを全部外側から撃破して加勢に行くしか
ない。
 呼ばれたティアナも既に、クロスミラージュを両手に構えて銃口を前方へと向けていた。ヴィー
タの声から間髪を容れずに、弾丸の集束を開始する。
 しかしチャージされた魔導の弾丸が、男の援護に向かう事は無かった。

――邪魔をするな。

 そんな声を聞いたような気がして、ティアナは息を飲み立ち竦む。
 カイムを囲んだままのガジェットが光の弾丸を生成し、だらりと下げられていたシャドウの長剣
が上段に構えられ、包囲の距離はじりじりと詰められつつある。
 なのに、ティアナは動けなかった。横のスバルもヴィータも、同様に。

 「敵」を睨めつけたカイムの口唇が三日月のように、にイィ、と弓を引いたから。

 整っているはずのかんばせに、彫り刻まれた深い皺。
 輝きの消え失せた青い瞳。鬼の面の如く盛り上がった頬の肉。それは男が、戦場で見せた顔だっ
た。復讐の蜜に酔う者の、醜悪な微笑み。
 そしてそれは復讐を通り越して、殺戮自体にさえ悦びを感じるまでに堕ちた男の、壊れきった笑
みだった。これから異形を殺戮する、その歓びに打ち震える狂った笑顔であった。
 背を凍りつかせた魔導師たちの前で、彼は手を高く掲げる。
 ヴィータははっと我に返った。地面に何かの紋様が光り輝いている。カイムを中心として広がっ
たそれは、カイムを包囲するガジェットのさらに外側を、取り囲むように広がって、輝きを増して
いる。
 悪寒。

「伏せろ!!」

 ヴィータが言い、その眼前に魔力のシールドを展開する。それが早いか遅いか、凄まじい爆発が
「敵」を飲み込んだ。その中心にいた、カイムをまきこんで。
 しかし爆風が吹き荒れる中、男はゆっくりと歩む。己の肌が爆発の熱で焼けつくのも、向かう先
で火の粉がはじけるのにも拘わらず。
 甲冑の障壁が、強力な爆発魔法の直撃を受けて、一体、二体と切り替わっていく。己を襲ったも
のに対応すべく、魔法に対して強固なそれへと。
 剣を阻むものはなくなった。
 カイムの笑みが、さらに深化した。

 邪悪に対し邪悪で報いてきた男が、重い踏み込みで地盤を揺らし、銀と紅の長剣を薙ぎ払った。



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