『正しく『楯』の任か。私に相応しいな』
『違いない』

 防衛ラインを抜けてきた敵と万が一の事態に対処するため、ホテル外最後の壁として残ることに
なったザフィーラ。通信で響いてきたその言葉は幼い部下を率いるシグナムに配慮してか、このよ
うにやや軽い口調であった。仲間のそんな言葉にシグナムもちいさく笑みを浮かべて返し、ホテル
内を地下へと駆け集合地点へと走り抜ける。言われずとも、気負っている暇などない。
 時を同じくして左右両方の柱の陰から、既にバリアジャケットを纏ったふたりの部下の姿が現れ
る。シグナムが既に招集をかけていたのだ。新種の敵とあらば攻撃防御方法の幅を広げるため、で
きるだけ多くの種の魔導師が集まった方がいい。それは四人の騎士のリーダー的役割を果たしてき
た彼女の経験則であり、事実でもあった。

「聞いたと思うが、ガジェット以外に新種が出た。上空から集結中だ」
「姿は?」
「シャマルによれば方形――ブロックのようだが、詳細は不明だ。気を引き締めていくぞ!」
「はい!」

 言いつつ走る守護騎士シグナム、走りながら規則正しく息をするエリオ、そしてフリードリヒを
伴ったキャロは、ホテル地下を駆け地上へと抜け出た。「敵」の第一発見者カイムに通信を入れた
シグナムが顔色を変え、シャマルがフォワード総員に未確認の敵の襲来を告げてから、まだ一分も
過ぎてはいない。
 正面玄関が壁面に隠れてしまうそこは、ちょうどホテル側面に位置していた。開けた空の青が網
膜をつき抜け、暗がりになれた眼に圧迫感に似た重さをもたらす。
 目をひとつしばたいて、キャロが次に感じたのは魔力の揺らぎだった。今までに何度か、時には
目の前で見せられた契約者の魔力の高まりが、ホテル正面、そしてその真逆の森の向こうにひとつ
ずつ。
 だが竜の『声』はない。
 エリオが声を上げ、キャロはシグナムとともに空を見上げる。確かに遠方、澄んだ空にばらりと
広がる敵影が視認できた。ただホテルに向かって直進しているのではないようで、おそらくはドラ
ゴンの方へ集まっているのだろうと推測する。シャマルによれば新出の敵はガジェットの群れの出
現と同時に、竜と竜騎士の方向へ、それぞれ空と陸から集結しつつあるとのことだった。
 しかし竜の音なき声は、まだキャロの精神に何ら響きをもたらしてはいなかった。ガジェットが
彼らに向かい、未知の敵が迫りつつあるのは、ドラゴンとて既に気づいているはずだというのに。

「……フリード!」

 ホテルではなくどういうわけか竜と竜騎士へと向かった襲撃。それに対し応答をみせぬドラゴン。
首を這うような、小さな予感であった。
 己と意を同じくしたフリードの、高い鳴き声に肯定の意志を感じ取り、呼んだキャロは勢いよく
両手を広げた。宙に敵の姿を確認していた仲間たちが振り返る。精神を研ぎ澄ませた幼い少女の両
手に何か、彼女の髪の色と同じにかがやく、粒のようなものが集まりつつあるのを彼らは見た。剣
を扱うシグナムが、まるで擦れる鉄の出す火花のようだと一瞬思う。それは魔力の煌きであった。
 その仲間たちが視界に入らないという様子の、完全に精神を集中したキャロが両腕を交差させる
と、集束していた光がはじけ散る。
 同時に宙に飛びあがった仔竜フリードリヒの純白の身体を、魔法陣の形成するスフィアが一瞬で
包みこんだ。竜召喚だ。以前の任務でもっとも間近に見たことのあるエリオが、思わず内心でそん
な声を上げる。しかし今回のそれは、あの時のようなゆったりとした巨大なスフィアの安定も、包
み込まれるような暖かな魔力を感じている暇もなかった。
 封印の解放は一瞬で終了した。
 宙に浮かぶフリードリヒを中心として展開した、おおきな球形の魔力の塊はあっという間に凝縮
し渦を巻き弾け飛び、その次に仲間たちが目にしたのはかのドラゴンにも迫る巨躯の白竜であった。
刹那の間の後、目の前の光景をシグナムとエリオが理解する。以前唱えていた呪文を、今回は完全
に破棄したのだ。所要時間の短縮、経過はわずか3秒にも満たない。

「お前たち、いつの間に」
「乗って下さい!」

 術者は当然のこと。それだけでなく被召喚体、すなわちフリードリヒ側からの適切な魔力操作が
伴わなければ、絶対にかなうことはない高速の竜召喚。呆気にとられて呟いたシグナムだが、切迫
した少女の声を聞いて目の前の光景から我を取り戻した。ドラゴンに出会ってからの竜の扱い方の
上達は既に知っているはずだ、驚いている暇はない。
 エリオが二度目となるフリードリヒの背に、キャロの隣へと飛び乗る。自力で飛行することはで
きるシグナムもそれに続いた。自分は空に生きるものではない。「空」は本来、剣士の戦場ではあ
らぬ。
 全員の姿を視界に確認しようとキャロが振り向く。その顔は何か、差し迫ったものが感じられる
表情だった。
 召喚士として同時に培った少女の感覚に、何かひっかかるものがあったのだろうか。白竜の両翼
が大きく振りあげられるのを横目に見ながら、そう考えてシグナムが問う。

「キャロ、どうした。何か感じるのか?」
「わかりません。でも何か、何かが……フリードっ」

 答えと同時に、キャロが相棒に呼びかける。白竜の眼がかっと見開かれる。
 純白の翼が空気を裂き、唸りを上げて振り下ろされた。
 跳躍したフリードリヒの巨体が、ミッドチルダの空へと飛翔する。吹き付ける大気を切りながら
ぐんぐんと高度を上げ、竜はあっという間に森の上へと舞い上がった。上昇に伴う強烈な負荷を受
けて竜の背に身体を伏せるエリオに気づき、キャロは慌てて謝ってみせる。対して同じように慌て
ながら、手を振りつつ気にしないでと言うエリオ。出会ってから訓練などでかなりの時間を一緒に
過ごしてきている二人だが、こういうところを見るとまだ少々ぎこちないなと思うシグナム。
 フリードリヒの上昇が止まり、ひとつ大きな爆音が背後から響いた。見やると、ホテル正面に砂
埃が吹き出て煙幕のように視界を遮っている。カイムの居た場所だ。戦闘はもう始まっていた。
 「話している時間はないようだぞ、二人とも」シグナムが言い、ちいさなふたりは前を向き直っ
た。ただ幾分緊張が和らいだようで、再び前を向いたキャロは視界の中に真っ直ぐ「敵」をとらえ
る。
 エリオがその近くの地に視線を向けると、そこから時を同じくして赤き竜の姿が舞い上がった。
 豆粒のように小さい黒い影が、遥か彼方で火竜との距離を縮めていく。ドラゴンの咆哮がとどろ
く。遠方から大気を震わせ、耳を抜け鼓膜をつらぬいた。
 長大な竜の首が、おおきく反った。空気をも焦がす灼熱のブレスが、口元に集束する。
 解放する!

「エリオはフリードの護衛、キャロは制御に集中しろ……追いつけるか!」
「はい、掴まってください!」

 ドラゴンの牙の間から業火が放たれる轟音と共に、キャロが叫び白竜が動いた。巨大な翼をやや
高くに掲げて首を低くした、力を溜めるかのような姿勢であった。遠方で焦熱のブレスが次々と、
寸分違わず黒い影を射抜いていくのを見ながら、その背に全員が両手を乗せ、身体を伏せる。
 フリードリヒが嘶いた。
 煙を上げて墜落し、あるいは空中でかたちを失い灰となって舞い落ちる「敵」。限界までたばね
られたブレスを矢のように連射するドラゴン。そこに首を向け視線の先を合わせ、白竜が後方へと
その羽翼を切り、加速した。
 形容するならば爆発的というのが最適であろう、急激かつ強力な加速であった。自身の高速に慣
れているシグナムもエリオも、己以上の高速の乗りものに乗ったことはなかったため、風をさえぎ
る障壁の展開が一瞬遅れた。伏せた者たちの布の鎧に突風が吹き付け、髪を撫ぜ払う。
 その猛接近に気づいたのか、八機が集団から離れてこちらに向かってきた。空戦に最適化された
ガジェットU型だ。ドラゴンの脇を迂回し、追尾する灼炎にニ三機を失いながらも、フリードリヒ
目がけて向かって来る。合流はさせないということか。

「ブラストフレアッ!」

 敵の姿を確認したキャロの選択は、敵を丸ごと飲む火炎ではなく、圧縮された火球であった。解
放された魔力を存分にこめた炎の球体が、空を疾走するフリードリヒの口元の、キャロが生成した
魔法陣に集束し放たれる。数は四。
 正面から向かってきていたガジェットに、カウンターの要領で叩きこまれた火炎を避ける時間は
なかった。以前V型のAMFにはじかれたそれとは異なる、集中し貫通力を高めた炎の塊が直撃し、
ガジェットそのもののにも匹敵する大きさのそれは装甲を熔かし焼け焦した。完璧な被弾に動きを
止めた四機。その落ちゆく残骸には目もくれず、残る一機の射出する魔力弾に対しては、身体全体
をスライドすることでこれを回避する。すれ違いざまにフリードリヒが尾で薙ぎ払い、金属の潰れ
る音が竜の背の三人の耳に届き、直ぐに後ろへと流れて行った。

「気を抜くな!」

 その様を見て一瞬気が緩んだキャロに言うや否や、シグナムが竜の背から頭上へ跳躍した。
 幼い魔導師たちが遅れて見上げると、赤い魔力弾がレヴァンティンの直刃に弾き飛ばされるとこ
ろだった。ガジェットに気を取られている間に、無音のまま「敵」の接近を許していたのだ。
 再び緊迫感を取り戻したキャロがフリードリヒを旋回させ反転し、エリオがストラーダの槍に接
近迎撃用の光刃を展開するのを確認し、シグナムは高度を上げる。今しがた防御した魔導弾に、小
さくない違和感を覚えながら。
 天空で上昇を続けながら、シグナムは自問する。今まで彼女たちが相手にしてきたガジェットの
攻撃手段は、完全に直線方向に射線を限定された、追尾機能のない単純な「弾丸」であった。しか
し今受けた赤色のそれは、弧を描いて接近しては来なかったか。
 僅かな違いだが、確かな差異であった。今のは、もしや新たな「敵」のものなのか――?
 答は直ぐに出た。高度を上げていくシグナムが接近に反応して振り向きざまに斬り捨てた、その
時感じた炎の魔剣の、石を斬ったような鈍い感触によって。

『降りよ。巻きこまれるぞ』

 脳に直接響く、低いその声には聞き覚えがあった。
 手のひらに感じた剣撃の反動に強烈な違和感を感じながらも、シグナムはすぐさま後方へ身体を
反らして浮力を切り、重力に身を委ねて空域を離脱する。
 その脇を何かが通り過ぎた。
 落下に任せながら目で追う。それは確かに、シャマルの情報通りの方形の、箱型のかたちをして
いた。独楽のように回転しながら逃げるそれがみっつ、よっつ。
 フリードリヒのそれよりも強力な、おおきなドラゴンの炎の砲撃がそれを追う。猛追にあったそ
れらはしかし振り切ることは叶わず、ブレスの直撃を受けて潰れ落ちた。燃え尽きたのではなく、
着弾の衝撃で圧壊したのだ。それを呑み込み、炎が熔かす。

「名をガーゴイルという」

 落下中に接近してきたガジェットを二つ十字に切り砕き、再びフリードリヒの背に降りたシグナ
ムの鼓膜に紅きドラゴンの声が届く。精神に語りかけるそれではない、あの低い肉声だ。だがその
声の中には、理知的な声色の他に激烈な何かを孕んでいるようにシグナムには感じられた。
 エリオ、キャロ、大丈夫か。一寸とはいえ目を離していた二人に問うと、同時に肯定の返事が返
ってくる。フリードリヒも一つ鳴いた。それに安心して正面を見ると、そこには赤い竜の岩肌の様
な背があった。
 二騎の竜の火炎を受けてか、竜たちの背後上下にもう敵の姿はなく、残すは正面に撒き広げたよ
うに散った一団のみとなっていた。かなりの数が隊列を組んでいるのを見ると、これが空の敵の本
隊か。
 その規則正しい、三機一対のガジェット・ドローンの配置の中に、シグナムが見たあの異形が紛
れている。
 ガジェットU型の鉄の翼とは違う、金属とも非金属とも見れる鈍い色の肌。一瞬垣間見たとおり
やはり立方体のブロックの形をした奇妙な物体が、七、八を一単位に方陣を組んでいる。ガーゴイ
ル。石像の魔物の名。確かに見たところ、その造りは鈍く光る石のようにも捉えることができた。
 と、そこまで内心で分析したシグナムが、思い返したかのように目を剥いた。そして訊ねる。

「何故、名を」

 答えず、ドラゴンは振り返ることもない。

「外殻は脆いが、群れで動く。煩い小蝿どもだ」
「ドラゴンさん――」
「先ずはこれらを全て灰にする。話をしている暇なぞ、今はない」

 キャロの言葉も、竜は取り合わなかった。
 言っている間にも六体のガジェットが接近し、ガーゴイルのうちいくつかの周囲には折れ曲がる、
奇妙な軌跡の赤い光弾が出現する。フリードリヒの火炎が三機を落とし、ドラゴンの灼熱の尾が二
機を薙いで、その脇を抜けた一機をシグナムが斬り捨てた。そのまま振り向いたシグナムが疑念を
こめた視線で竜を見るも、止めた。確かに話している余裕はないし、そこまで奢ってもいない。
 と、何かに気づいたようにドラゴンが首を向けた。何かと疑問を抱く面々に向かって、そのまま
言う。

「援軍が来たか」

 刹那、金色の魔力のリングが二騎の竜の脇を奔り、光球を旋回させていたガーゴイルが不意打ち
を受けて真っ二つに切り裂かれた。
 キャロが振り向き、エリオもまた振り返る。後方から猛烈な勢いで迫る何かがいた。しだいに接
近とともにその姿がおおきくなり、正体が知れる。
 フェイトだ。

「あれが新種――みんな、怪我はっ」

 加速を止めフリードリヒとドラゴンの間に割っていったフェイトは、ガジェットの中に奇妙なア
ンノウンを確認するや否や、問うた。大丈夫です、と子供が二人。全員怪我は無いと一人。いなな
くのが白竜。
 が、火竜は答えない。
 革紐にカイムの物らしき赤い刃を結わえた、おおきなその背を見ながら、キャロがちいさく口を
開いた。フェイトが来たことへの安堵がありながらも、不安を隠せない表情だった。
 常に理知的で冷静なドラゴンの言葉や気配に、これほど激しい何かを感じたのは、はじめてのこ
とだったから。

「……でも」
 
 そのキャロを遮り、「見よ」とドラゴンが呼びかけた。
 少女が目を向けると、赤い竜の口もとに更なる火炎が凝縮されつつあった。火球のひとつひとつ
に、膨大な魔力を惜しみなく練りこんでいるのだ。あまりの高熱のためだろうか、牙の間から放射
される光は紅とともに白い輝きさえ帯びていた。
 解放される前から強烈と分かるその火炎は、なおも渦を巻き集束する。あたかもドラゴンの心を、
激情を表すかのように。
 地上でカイムが見たシャドウ、そして目の前のこのガーゴイル。かつて自分たちが戦った「敵」
が、何故この世界に、時空を超えて現れたのか。カイムが戦闘に精神を塗りつぶす直前に届けた、
『召喚』という言葉は何を意味するのか。何が起こっているのか。どうなっているのか。疑問は尽
きない。竜の叡智を以てしても。
 だがそれを越えて、竜の逆鱗に触れるものがあった。何故あの男は戦わねばならぬ?
 今。ドラゴンがこの空に、カイムが地上に居るのは、確かに魔導師キャロに口を出した責任とい
うこともあるが、切っ掛けは愚かにも手出しをしてきたガジェットの黒幕に罰を下すため、あるい
は誅戮するために他ならない。彼らの帝国軍との戦いは、それに続く神への抗いは、もうすでに終
幕を迎えたはずだった。あの男が命を危険にさらし、帝国や神への憎しみで戦うことは、異形と戦
うことは、もう二度とないはずだった。
 あの男に許される平穏は、どうしてこんなにも短い。
 修羅と墜ちた身でも人間を取り戻せるのだと、かつて竜は男に言った。それは慰めではなかった
はずなのに。それは真実であるはずだったのに。それが、運命だというのか。
 これがあの男の未来か。

――認めぬ。

 純粋かつ強烈な怒りが、ドラゴンの高潔な精神を満たす。
 火炎がさらに輝きを増した。赤を残していた業火は色を失い、純白のそれへと変貌する。

「光栄に思え、フリードリヒよ。世界最後の竜の炎、その一端をしかと見るのだ」

 危機を察してか接近をはじめた敵に向けた、凄絶な声色。
 火竜の背を見る白竜と、息を飲む魔導師たちの前で、竜はやがて、静かに告げた。

「滅びよ」


 ガジェットT型の光球が矢のように飛び交い、漆黒の鎧武者シャドウの剣が合間を縫って閃く。
 魔剣が受け流し、鉄鎚が弾く。焼く。撃つ。裂く。潰す。敵陣中央、目まぐるしい攻防。
 カイムとヴィータは機械兵、ガジェットドローンに周囲をかこまれながら、いまだに肉無き甲冑
を相手に斬り合いを続けていた。カイムは二体を、ヴィータは一体を相手に、さらにガジェットか
ら射撃を受けつつもなお。
 彼らのまわりに無惨にも鉄屑と化したガジェットの残骸が、いくつもひしゃげて転がっている。
対してその身体には、まだ傷の一つすらついてはいなかった。互角を超える戦いであった。包囲網
から外れたガジェットを撃破していたティアナもスバルも、目を向けずにいられぬ程ハイレベルな。
 二人とも知ってはいたが、挙動のひとつひとつすべてについて練度のケタが違う。最小の動作で
回避を済ませ、斬り、砕き、壊す動作には一片の無駄も見当たらなかった。以前模擬戦をした二人
の、人間を相手とした時とは違う、潰すためだけの動き。幾多の死線を潜った者の、凄まじい気迫
と闘志を伴った殺陣であった。 
 そしてカイムの見せる凄惨な表情に、ふたりの魔導師の目は釘付けとなっていた。
 この世のすべての激情を、一つに集約したらあのような顔が造形されるのだろうか。歯牙を剥き
邪に眉間を歪めた、壮絶な形相がそこに在る。スバルとティアナの目には、その様が等しく悪魔の
ようにも見えた。
 声無き咆哮を上げ呪怨と殺意と、そして邪悪を撒き散らし、カイムは暴虐に剣を振っていた。隣
や背後でヴィータの鉄鎚が唸っているが、それを気にしている素振りは皆無。二体のシャドウと戦
っているという事もあるが、心を全てドス黒く染めてしまっているというのが大きかろう。つまり
眼中にないということだ。
 対してヴィータの相手は一体のみ。時折飛び出してくるガジェットに射撃魔法を連射するだけの
余裕もあり、シャドウを鉄鎚で殴り飛ばしては時折カイムの援護をも行っていた。一度彼と戦った
ことがあるからだろうか、即興にしては剣士の動きがよく見えているようであった。
 ただいずれも、ガジェットの包囲を抜けることが出来ない。
 シャドウを一体でも始末できれば状況は変わってくるのだが、この黒き甲冑との戦闘経験者のカ
イムに二体、未経験のヴィータに一体という分配はどうやら最適のようで、一騎当千のふたりを抑
え込むのに十分な役目を果たしていた。退けば剣の追撃を受け、跳躍すればガジェットの光弾の集
中砲火を受けるのは明らか。脱出の手が彼らには無かった。
 バリアジャケットで耐えることのできるヴィータには唯一離脱できる可能性があったが、そ
の場合カイムが包囲網に取り残され、一瞬ではあれど三体を相手にしなければならない。彼女には
分かっていた。それ故に動けなかった。

「マズいわね……」

 舌をひとつ打ちながらティアナが呟くのを、スバルが聞いた。何が、と尋ね返す。目を向けずに
答える。
 「決め手がない」。
 状況は拮抗している。それを劇的に変えるための、最後の一手が欠けているようにティアナには
思えた。彼らとてまだ切り札の一つや二つは隠しているのかもしれないが、如何せんひっきりなし
にガジェットの弾丸と甲冑の剣閃が飛び交うこの状況だ、どう考えても出す暇は無い。それに彼ら
の体力も、魔力も無限ではないのだ。このまま行ってもあと何時間だって戦えそうな二人ではある
が、持久戦で体力が落ちれば判断が遅れる。そうなれば命取りだ。
 そうしているうちにもカイムの剣がまた一つガジェットを斬り潰し、返す刀でシャドウの長剣を
受け止める。ヴィータが裂帛の気合と共に放った一撃は、甲冑の前に展開した障壁に直撃して威力
を弱め、粉砕には到底至らなかった。
 本来このふたりの近接戦闘は、その全てが一撃必殺の技であるということはティアナもスバルも
知っている。それを弱めているのがこの障壁であった。魔法攻撃と物理衝撃を強力に妨害する二種
類の障壁がランダムに入れ替わり、カイムとヴィータの攻めを受け流していくのだ。
 対魔法のシールドを張っている時は剣や鉄鎚が届くのだが、それでも一体どういう構造をしてい
るのか、いやそれが甲冑の本分であるが故なのか、鎧を形作る鉄はひしゃげはしても砕けはしなか
った。そして追撃を叩き込もうとするとバリアが切り替わり、今度は物理攻撃を弾くものへと変化
する。そうなればもう、次のシールドの変化までは、剣も鉄鎚も届かない。

「ティア」

 隣から声が聞こえる。
 静かな声。強い響き。もちろんパートナーのスバルだ。しかし、とティアナは思い返す。
 これは……。

(――ヤな予感)

 ティアナは感じた。
 ふと隣を見ると、スバルが何かを決めたような、確固とした表情でカイムとヴィータを見つめて
いた。ティアナは慌てる。この語気で喋った後スバルが、今まで何をしてきたか思い出したのだ。
 思い起こすのは、訓練場で振り回された日々。確かに大量の魔力を保有しているスバルは、しか
しその実不安定でいろいろと無茶苦茶で、フォローに帆走したことは一度や二度ではなかった。暴
走するスバルに振り回されるのはいつだって彼女だった。しかもスバルがティアナの想定を外れて
動く時は、決まっていつも今のような顔をして、そして――。

「ちょっと、スバルっ」
「行ってくる!」

 間に合わなかった。スバルはもうすでに前しか見ていない。ティアナの制止を聞かず、スバルは
マッハキャリバーのホイールを全開に回し急激に加速した。
 向かう先は当然、カイムとヴィータの戦いの場、ガジェットが取り囲む円陣の中心へ。

「ああもう、何でアンタはいつもいつも……っ!」

 文句を言いながらもティアナは銃を向け、援護の体勢に入る。この友が何を考えているのかは分
からないが、彼女の目にそれは愚かしい特攻に見えた。それ故の反射的な構えであった。
 が、ティアナの両腕はそこで硬直する。
 加速していくスバルが持っている物体に気がついたのだ。
 どうしてそれが。いや、確かにあれは男が闘いの前に、身軽になるためだろうか地面に突き立て
て行った。
 しかしティアナは心の中で問う。スバル。アンタ、何のためにそれを――。

 疾走するスバルの手には、カイムの巨剣『鉄塊』が、両手持ちにしっかり握りしめられていた。



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