古びた外套に身を包んだ長身の男ゼスト。その傍らに寄り添う、幼い召喚士ルーテシア。林立す
るみどりの向こうに堂々とそびえるホテル・アグスタを臨む、森の中に彼らはいた。
 少女の小さな手が男の服の擦り切れた袖をつまんでいるのを見ると、その様はまるで親子のよう
でもあるのだが、現実には全く違うし血も繋がってなどいない。確かにルーテシアがゼストに懐い
ているのは、ゼスト自身承知しているし曲げようのない事実だのだが。
 彼らは旅人であった。
 各世界から集められた、骨董品のオークション。危険な品は無いとはいえロストロギアをも交え
て行われる、その催しの情報を偶然耳にして、少女の『探し物』の可能性を探るべく彼らはやって
きた。ルーテシアの求めるものは一般に出回るものでは決してなかったが、それでも万が一、万々
が一にも、入り込んだ密輸品の中に紛れていることは考えられたのだ。
 ただその可能性も、既に潰えているようだ。
 そう悟って去ろうとする男と幼子の前に、緑を背景にしてウインドウがひとつ、引き留めるよう
に開いたのはほんの少し前のことであった。
 中から彼らを覗いていたのはまたしても白衣の男、以前興奮気味で通信を入れてきたジェイル・
スカリエッティであった。薄っぺらな笑みを浮かべたその顔を、ゼストは威圧を込めた厳しい視線
で、ルーテシアは特に感情を込めない真っ直ぐな目で見つめている。

『ヘリを直接襲っても良かったけど、実験体に死なれたら困る。焦っても仕方がないしね』

 物騒なことを言うスカリエッティだが、モニター内のこの男の言葉を聞いてもゼストは眉ひとつ
動かさなかった。このマッドサイエンティストの言動も思考も趣向も、全てぶっ飛んでいるのはい
つものことなのだ。頭脳の明晰さを認めるにしても。
 かの科学者が言っているのは、先刻ホテル・アグスタへと至った、機動六課を乗せたヘリの事。
ゼストとルーテシアも森の陰から目撃していた機体であった。
 空の彼方から飛んできたヘリは視界に入るかどうかというところで、並んでいた紅いドラゴンか
ら離れ、竜はあさっての方角へ、機体そのものはホテルへと向かった。自分たちのような招かれざ
る客からオークションを守るためだというのはゼストにも想像がついていた。恐らくかの部隊が、
今ウインドウ内に居る男スカリエッティと、その私兵ガジェット・ドローンの襲撃を視野に入れて
いるだろうという事も。

『地下に隠してある密輸品も気になるけど、そちらの方を優先したくてね』
「……前回の襲撃で十分データを採ったと言わなかったか?」
『当初の目当てについては。ただ、イレギュラーのはまだなんだよ。剣士はまるでつまらなそうだ
ったし、赤い竜に至ってはブレスすら吐かなかったしね』

 その当人が、前回得られなかった竜と竜騎士の戦闘データが欲しい、協力してくれと言い出した
のだ。
 対するゼストの口調は鬱陶しげだが、当然である。そもそもスカリエッティと彼との関係は、レ
リックが絡まない限り不干渉が原則であったはずなのだから。そして今回はその限りではない。
 それに他人を利用することを屁とも思わぬこの男の身勝手さ、さらに言うなら人間を人間と思わ
ないイカれ具合は、大抵の者が思うようにゼストの好むところでもなかった。条件付きとはいえ手
を組んでいる自分に苛立ちを覚えるほど。

『私の新しい実験に、関わりが有る気がするんだ。現れた時期的に考えて』
「証拠は」
『ただの勘、非科学的な第六感だけど』
「その第六感で人を顎で使うのか。断る」
『つれないなぁ……ルーテシア、君はどうだい? データの採取、手伝ってくれないかい?』

 ゼストににべもなく断られたスカリエッティは、しかしその口元に笑みを絶やすことなく、今度
はルーテシアに向かって問いかける。自分をあまり毛嫌いしていない、少女の方に。

「わかった」
『本当かい? うれしいよ。今度、御礼に美味しいお茶をご馳走しなくてはね』

 予想していたこととはいえ、ゼストは内心溜息を吐いた。
 精神も感情さえもが希薄なこの少女は、どうやら人間の善し悪しを見分ける力まで不足している
らしい。仕方のないことではあるのだけれども。
 ルーテシアがゼストに懐いているようにゼストもまた、この未熟な幼い少女に愛着というものを
感じている自覚はあった。それ故に、この狂った科学者にはもう少し警戒心を抱いた方がいいと彼
は思う。自分の立場からは彼女の事を言えた義理ではないが、自分の手の組んでいる男が危険人物
であると自覚したほうがいいのではないか。

『今回は少し、ガジェットの他にも送ったモノがあってね。そちらの実験も兼ねているんだが……』
「?」
『あ、ルーテシアが気にすることは無いんだよ。君にはガジェットの補助と、ターゲットの指定を
お願いしたい。できるかい?』
「うん」

 そうゼストが考える最中にも話は進んでいく。彼女と共に旅をする身ではあるが保護者でも何で
もない以上、ルーテシアがイエスと言うのなら引き留めることはできはしまい。
 そのうち「じゃあガジェットを宜しく、ありがとう」と上機嫌のまま言い残して、スカリエッテ
ィが通信を切った。
 それを見たルーテシアは身体を包んでいた外套を脱ぎ始めている。やる気のようだ。また一つ、
息がこぼれる。

「いいのか。『探し物』は、ここには無いようだが」
「……」

 最後の確認とばかりにゼストが問いかけるが、しかし彼の手はもう既に、ルーテシアの幼い手か
ら外套を受け取っていた。召喚士へと、魔導師へと思考を切り替えつつある少女の態度を見れば、
意志を曲げる気がないのは明らかであったし、実際彼女が発言を撤回することはそう多くない。
 ルーテシアもゼストのそんな確信を察してか、その問いに対して特に答えを返さなかった。召喚
を媒介するグローブ型の己の相方、補助を主とするブーストデバイス・アスクレピオスの宝玉に手
を乗せて、瞑想に耽るかのように目を閉じている。体内の魔力の巡りを確認しているのだろう。
 が、そのルーテシアが、何かを思い出したかのように振り返りゼストを見上げる。まさか止める
気になったかと内心驚く彼に、少女はこう問うた。

「……あの子たちも」
「?」
「お茶、飲むのかな?」

 何のことかという一瞬の逡巡の後、どこからかルーテシアが連れてきた、小さな青と赤の妖精が
頭をよぎる。

「……分からん。そう言えば、また居ないが」
「アギトが探してる。また遠くに行っちゃったって、追いかけてた」

 ゼストが首だけで振り返り、それに向かってルーテシアが答える。語気からはいくらか柔らかさ
が感じられた。付かず離れずで旅についてきているふたりを、どうやら彼女は気に入っているらし
かった。
 水と炎、蒼と紅。どこからともなくやって来たちいさな妖精たち。彼らはいつかルーテシアが見
つけてきた、彼らの旅に新たに加わった『同伴者』であった。しかし言葉にすると随分な言い草だ
が、ゼストからすれば何やら訳の分からない存在でもある。
 今そのふたりを追いかけているらしい、ゼストたちと長く行動を共にしている烈火の剣精アギト
とは、その在り方も振る舞いもかなり違っているようにゼストは思う。あの快活な小人のように人
語を使って語りかけてくる訳でもないし、古代ベルカ式の魔導の遺産と言う訳でもないようであっ
た。ついて来ているとはいっても追従しているのではなく、ただ単に行く宛がないからであるよう
に彼は感じていた。
 付け加えるなら彼らは今まで、ゼストやルーテシアとも、触れ合いを持とうとは決してしなかっ
た。特に意識を向けていない時は近くに居るのに、存在が頭にちらつき始めると途端に姿を消して
しまう――そのくせ何処をどう探しても見つけることはできず、その有様はいつか聞いたおとぎ話
を彷彿とさせるような存在だった。
 出会った当初はまるで兄弟が出来たように喜んでいたアギトも、彼らの放蕩癖はさすがにイラつ
くようで、そのうちまたひょっこり顔を出すと半ば悟りきった二人に代わって、今のようにぶつく
さ文句を言いながらしょっちゅう探しに出ていた。そうして疲れ果てて帰ってくるアギトの目の前
を、青と赤の光の玉がふわふわと通過して、怒って説教でもと近づくとまたどこかへ消え……その
繰り返しが、最近の彼らにとって日常茶飯事になりつつあった。
 彼らの生い立ちを知っているわけでもないため、ゼストにとってはまだ信を置ける者たちではな
い。
 ただ、その存在をルーテシアが随分と気にかけていることが僥倖であった。ゼストやアギト、そ
して己の召喚する者以外には愛着すら見せない少女であったが、その外にも意識や興味を向ける存
在が出来たことが、彼女自身の精神に何か良い影響をもたらすのではないかとゼストは期待してい
た。それにアギトも、何だかんだ言って気にはかけている様子とも見えたのだし。
 だからこそ、このふたりの同行者の存在をゼストはまだ、スカリエッティに告げてはいない。
 そもそも不干渉ではあるし、アギトの例から考えて可能性は低いのだが、制約を破ってでも新た
な研究対象を掠め取るくらいのことはやりかねない。少なくともゼストはそう思っていた。彼はか
の男を、全くと言っていいほど信用してはいなかった。
 とはいえあの天才科学者であっても、あの妖精たちを捕捉するのは不可能ではないかと思わなく
もないのだけれども。

「……相手の実力は未知数だ。ここを勘付かれたら直ぐに脱出する。データ採取で命を危険に晒し
ては洒落にもならない」
「わかった」

 ゼストが釘を刺すと、ルーテシアは一つだけ返事を返し、再び意識を魔導の式の中へと戻し始め
た。己の中を巡る魔力が、掌の宝玉を介して『門』の形成をはじめていくのが分かる。
 召喚のはじまりであった。
 あの科学者の頼みごとを聞い入れたのは、ルーテシア自身がゼストほどスカリエッティを嫌って
いないというのもあったが、己の召喚士としての練習になると考えたから、ということもあった。
 魔導師としての技術が高まれば、探知の能力も必然的に上昇しよう。召喚の腕を磨けば必然的に
自分の「探し物」を、機動六課の邪魔を掻いい潜って奪取できるようにもなれるはずだ。
 それが彼女の目的であり、全てであった。それが己に希薄な「心」をも生むはずだと、彼女はそ
う信じてもいたから。
 幼い唇に慣れ親しんだ呪文を紡ぎ、ルーテシアの周囲の地面に彼女の髪と同じ、紫色に輝く魔法
陣がゆっくりと広がる――こうして彼女の戦いはまた、いつもと同じように始まった。
 母の声を聞く。ただそれだけのための、宛てのない戦いが。



『さて。完全でないとはいえ、"卵"の混沌より造りし駒。どれほどのものか……嗚呼、楽しみだ』

 通信を切った男のほくそ笑んだ顔と内心、そして彼の為した事が何なのか、知らないままに。



 心に虚を生じたカイムが眼に光を呼び戻すや否や、茂みから勇躍した影がなにかを閃かせる。
 咄嗟に背後へ跳び、愛剣で受けて直撃を免れるも、握りの甘い掌に痺れが走った。それが瞬き程
の間に「敵」の数だけ、すなわち三閃。距離を置いて横一文字に構えた長剣の、白銀の刃の向こう
側に、黒い立ち姿がやはり三つ、霞んでいる。像が輪郭を欠いている。
 ズレた焦点を重ねた。意識に集中を取り戻す。
 受けたのが斬撃であると、カイムが悟ったのは一寸後のことであった。視線の先に剣を見つけた
のだ。己が受けたのと同じ数だけの。
 現れたのは、黒い鎧武者であった。
 熟達した人間が一枚ずつ丁寧に打ち出したであろう、精巧に鍛えた鋼板を継ぎ合わせた、重厚な
漆黒の鎧。簡素ではあるが視界を遮らぬ造りの兜は、身の軽い剣士の為にあつらえられたものだろ
うか。それらを纏ったナニカが、カイムの視界の先に佇んでいた。ガジェットとは明らかに異なる、
なにかが。

「……」

 カイムは前髪で半ば隠れた目に殺気を込め、猛禽類を思わせる眼光でそれらをぎろりと睨み付け
た――しかしそれは目の前に居る"鎧武者"が、己の命を脅かそうとしたからではない。
 そもそも現れたのがただの人間であったなら、カイムがこうまでも不意を突かれることは無かっ
た。姿を森の隅に確認した時点で躊躇うことなく火炎を放ち、殺してはならぬとはいえ行動不能に
するくらいのことはしていた。実際カイムはそうしようとしたのだが、見えた影が何かを悟ったが
ゆえに精神が動揺し、正常な魔法に必要な冷静さを欠いてしまったのだ。
 鎧の中に肉は無かった。
 甲冑の関節部をつないでいるのは本来身にまとうべき人間の肉体ではなく、漆黒に揺らめく魔力
の炎であった。黒光りのする鎧の継ぎ目、兜の隙間から覗いているものは人の肌ではなく、紛う事
なきただの虚空であった。
 ゆっくりと切っ先を降ろしたカイムの呼吸が、感情の激流に中てられてか細く荒い物へと変わっ
ている。血を身体に浴び炎で肉を焦がした戦場の記憶が、奔流となって身体の中を駆け巡りはじめ
ていた。
 その姿が、カイムがかつて戦場で剣を交えた異形に、余りにも似すぎていたから。

『ガジェットの撃破を開始してください! スターズの三人がすぐに…………え……』
『何だ、それはッ』

 通信機から開いたウインドウ、カイムの左右に出現したシャマルとシグナムの顔が、敵影を視界
に収めるとともに驚愕のそれへと変わる。任務時の凛とした雰囲気こそ崩さないものの、想定して
いたガジェットとは異なる敵の姿を前にして、流石の歴戦の騎士たちも動揺は禁じえない。
 聞くや否や通信をぶつりと切り、カイムは跳んだ。
 移動をドラゴンに頼ると思われがちな竜騎士だが、竜に飛び乗る為には強靭な跳躍力を要するの
だ。助走もなく、文字通りの一足飛びで、先ほどの後退によって開いた距離、十歩の間合いを瞬く
間に詰める。刹那の内に敵の頭上、森に茂る木々の高さまで躍り出た。
 制空権を奪った。
 唐突に消えた姿を追って、空洞の兜を宙へと向ける肉無き甲冑たち。その姿を射抜くように見据
えながら銀と紅の剣を大きく振りかざし、剣の刃全体に紅色の魔力を圧縮して通したカイムは、落
下の加速度を乗せた渾身の斬撃を中央の一体にたたきつける。己の中の濁流を、全て込めるかの如
き強烈な一撃であった。

「スターズ04、ティアナ・ランスター、援護に……ッ」

 ホテル外周を守っていたティアナがバリアジャケットを身にまとい、疾風の如く駆けつけた直後、
その眼の前で地面が爆ぜた。
 文字通りの兜割り。ただしそこにカイムは己の剣の魔法、火炎の力をも込めていた。甲冑の構え
た剣を己の長剣がとらえると同時に解放された、凄まじい爆発が暴風を引き起こす。脆い地盤はい
とも簡単に砕け、土砂の塊そのものがおびただしい粉塵と共に舞い上がった。
 その直前に見えたカイムの影にこの爆発を起こした者の正体を悟り、その威力に一瞬驚くティア
ナ。だが直ぐに正気に返って両手で眼前を覆い、そこに居るはずの「敵」の姿を捉えようと必死に
目を凝らした。まずは敵影をとらえなければ、あの剣士が居るかも知れない以上この状況ではろく
に援護射撃を入れることも、ましてや肩を並べることもままならない。

『敵は二手です! ガジェットの一団がホテル正面に、もう一団がドラゴンさんの方向に集結中!
さらにホテル正面、ガジェット以外のアンノウンを確認! カイムさんが交戦中、スターズ04が
援護に到着しました』

 視界が戻るのは今か今かと焦れるティアナ。総員に向けたシャマルの通信がクロスミラージュを
介して、彼女の精神にも直接響いた。
 敵がガジェット以外にもいると聞き、ティアナは一瞬驚愕の表情をその顔に浮かべて絶句する。
遠方から少しだけ見えた黒い影は確かにガジェット・ドローンの形状とは思えなかったが、よもや
今まで出現していないアンノウンとは。
 だがそれも束の間、一瞬の硬直の後に平静を取り戻した。唐突に未知の魔導弾が飛んでくるよう
な事態は、なのはの訓練で何度も経験していることだ。驚いている暇など無い。

「……シャマル先生!」
『八神部隊長から通達――スターズ分隊はホテル直前で迎撃、ライトニング分隊はドラゴンさんと
合流して敵を殲滅、その後可能であれば敵召喚士の捜索! ホテル正面から、必要とあれば対空迎
撃にフェイト分隊長が出ます! 繰り返します――』
「了解! ……来たわね、スバル!」
「お待たせティア!」

 一度の通信で行動を完全に暗記し、二度目で念のための確認をしながら、到着した相棒に声をか
ける。策敵目的で部隊のほとんどが散っていたため、副隊長のヴィータは完全にホテルの反対側に
いたことを思い返し、まだここに至るまで少々時間がかかるやも知れぬとティアナは踏んだ。
 そして目の前で噴き上がる砂埃、劣悪な視界を前にして、リボルバーナックルを構えながらも逡
巡するような表情を見せるスバルに、あらかたをティアナは語った。恐らく中に居るのはカイム、
そして敵はガジェットではない何かが三機。援護も共闘もこの視界では不能、回復し次第攻勢をか
ける、と。

「アンノウン、見た!?」
「遠目に見て色は黒! マントの色と区別がつくわ!」
「わかっ――」

 粉塵の中、金属音。
 スバルは思わず口を閉じた。巻き上がった砂埃に遮られた視界の向こう、何かが、誰かが戦って
いる。それは男の剣が金属を弾く音であると、スバルもティアナも瞬時に飲み込んだ。
 だが、同時に彼女たちの脳裏に一つの疑問が浮かんだ。後から映像で見たのだが、前回の任務で
あの男は人間の腕力の限界を超えた巨剣・鉄塊を豪快に振り回し、ガジェットの装甲など有って無
いものと言わんばかりに次々とぶち割って行ったはず。
 なのに、今砂煙の中から響く音は一向に止む気配は無い。一撃必殺のあの剣を、次々と繰り出さ
ねばならないのか。それ程の相手なのか。

「ティアナ、スバルッ!」
「ヴィータ副隊長!」

 ようやく少しずつ晴れてきてはいるが、それでもまだカイムも敵影も捉えられぬまま焦れている
と、紅のバリアジャケットを纏ったヴィータが二人の背後の空から猛烈な勢いで飛来した。
 鉄鎚グラーフアイゼンを片手にぐんぐんと二人に迫り、激突するかどうかというところで強力に
制動をかけて制止。スバルとティアナの眼前に、背を向け立ちはだかるかのように着地する。
 そして後ろを振り返り、二人に怪我がないと知ると人知れず内心で安堵する。しかしそんなこと
は億尾にも出さず、辺りを見回し目の前の劣悪な視界を確認し、副隊長としての厳然たる口調でこ
う問うた。

「アイツは!」

 ティアナが答える間もなく、答えは直ぐに出た。他ならぬカイム自身の手によって。
 大きな爆発音が響き、振り返っていたヴィータが再び前に目を向けると、視界を遮っていた土埃
が暴風に吹き飛ばされ急速に晴れていった。轟音がまたふたつ、みっつと大気を震わせ鼓膜が振動
し、次の瞬間外套を纏った男が、煙の中から跳躍して彼女たちの眼前に舞い降りる。
 長剣を片手に携えたカイムは魔導師たちに背を向けたまま、着地と同時に間髪をいれず、空いた
掌を晴れつつある視界に向ける。その先に三つの影を認め、ティアナは反射的にクロスミラージュ
の銃口を突き出した。

「ヴァリアブル、シュートッ!!」

 八発一組の火炎が男の剣から放たれるのと時を同じくして、トリガーを引いたティアナの射撃魔
法が、その中心に向かって同じ弾速で発射された。AMF対策として外殻を膜状に魔力でコーティ
ングしつつ練り上げた、ティアナ特製の強力な魔導弾だ。
 唸りを上げる火球と橙色に輝く魔力の球体が、ようやく視認が可能となりつつある三つの機影に
着弾する。しかし鉄をも熔かす灼熱の業火も、抗魔力フィールドを貫通する弾丸も、その影を燃や
し貫くことは無かった。
 甲冑と知れた敵の手前に、淡く輝く壁の様なものが、うっすらと展開した。
 AMFとは異なる、今までに見たこともない障壁が炎と弾丸の行く手を阻み受け止めた。驚愕に
歪むティアナの表情、驚きを隠せないヴィータとスバルの視線。
 その障壁にひびが入り、破れるかと思った次の瞬間、甲冑が異形を思わせる無機質な動きで射線
から脱出する。直後「敵」の左右から撃ち放たれた黒紫色の妖しい光弾が、これを迎撃した。火炎
の爆発とともにティアナの魔力の玉も弾けて消え、混じりあった爆発が熱風を伴い、魔導師たちと
甲冑どもとの間に吹き荒れる。

「あたしが行く! ティアナは援護、スバルはその護衛! 隙があったら一発入れてやれ!」
「はい!」
「……了解!」

 魔導に対する異様なまでの防御力は、歴戦の騎士ヴィータにも全く経験がないという訳ではない。
いち早く現実を認識して冷静に立ち戻り、首だけで振り向き手早く指示を出すのは流石副隊長とい
ったところか。

「アイゼン!」
『Jawohl.』

 ぎ、と悔しそうに歯を食いしめるティアナの顔を見つつも、今はそれどころではないとばかりに
ヴィータは「敵」を、甲冑の一団を正面に見据え直す。初見の敵だが躊躇してはならぬ。己の相棒、
以前模擬戦でカイムをも苦しめた鉄鎚・グラーフアイゼンの柄を両手持ちに握り、ヴィータは小柄
な体をさらに低くかがめ、地を踏み蹴り、敵の中央へと間合いをあっという間に詰めきった。
 目の前の甲冑たちが何物かは知らないが、剣を持っていると判断した上で、あえてヴィータは制
空権を確保しようとしなかった。鉄鎚の名の如く重力を加えた裁きの一撃を見舞う事も考えたが、
剣術とは上からの強襲よりも、足もとからの奇襲に弱い。以前そうシグナムが語り、直刃の魔剣レ
ヴァンティンを手に下段の構えを色々と試していたのを思い出したのだ。

「はあぁぁあッ!」

 案の定ヴィータが「敵」の一体に肉薄するとこの、漆黒に塗られた鎧兜を着たナニカは、一瞬姿
を見失い宙に目をやっていた。それが先ほどの、激昂したカイムの兜割りを再び想定しての事だと
ヴィータが知るはずもなかったが、いずれにせよ好機。逃す手はない。
 横手に回して背に振りかぶった鉄鎚を、裂帛の気合と共に解放する。華奢なこの腕の何所に、と
思わせる程の強靭な膂力から放たれた一撃が、唸りを上げて甲冑の継ぎ目を襲う。
 脇腹に突き刺さった破壊の鎚が鋼板をひしゃげさせ砕き割り、それで「敵」は、ふたつに減る。
 はずだった。

「――っ!」

 先制して叩き伏せるはずの見事な一撃は、またしても甲冑を打ち滅ぼすには至らなかった。
 鉄鎚の進行を止めていたのは、先ほどと同じ形状の四角い壁。
 驚愕と混乱に歪むヴィータの表情。しかし今度のそれは色に黒みを帯びており、魔法を止めた時
のものとは少々違うものだと、乱れつつある頭脳で分析するのは「守護騎士」の名を冠するが故か。
 そのまま満身の力を込めてヴィータが鉄鎚を押し込むと、一度は完璧な防御を見せた障壁に、み
し、みしりと亀裂が走る。だがそこに目掛けて、まるで邪魔だとでも言わんばかりに、肉無き鎧武
者が手にした長剣を大上段に振りかぶって叩きつけた。
 シグナムの一閃に比べればインパクトを欠いた攻撃ではあるが、精神の集中を乱したヴィータの
回避は間に合わなかった。仕方なしにグラーフアイゼンの長い柄で受け止め、そのまま拮抗した鍔
迫り合いの形に持って行かれる。迂闊に押し引きが出来ない。

「……」

 その様を鋭利な視線に憤激の情を乗せて睨めつけながら、カイムは確信を深めた。
 物理攻撃と魔法攻撃、その双方を完璧に遮断する2枚のシールド。カイムの初撃を、砂煙の中で
の乱舞を止めたのは前者であり、彼の火炎とティアナの魔導弾を弾いたのは、突如として切り替わ
った後者の方であった。そしてその強靭な魔力の盾を持つ異形を、カイムはよく知っている。
 死霊の騎士。名をシャドウ。障壁にヒビが入ることから完全に同じというわけではないが、行動
も外見も酷似していることは変わりない。攻防ともに優れかつてカイムを苦しめた、難敵だった。

「っ」

 横目に見たティアナが初めて男の顔を見て、思わずぎくりと息をのみこむ。その隣で構えていた
スバルも、何かと視線の先を見やって絶句した。
 カイムの表情が彼女たちの目の前でひしゃげ、底知れぬ憎悪の塊となって醜悪に歪んでいた。唇
を引き、歯を剥き出しにして。
 伸びた前髪で目元は隠れているものの、明らかにそれと分かる鬼の形相であった。見た者の脳裏
に焼き付いて暫く忘れることが叶わぬ、なまじ歯並びが整っているだけに恐ろしい、凄まじい赫怒
の表情。
 その憤激の剣士に向かって、ヴィータの攻撃を受け止めた一体以外の二機の甲冑が、ゆっくりと
歩を進めていく。目の前に居るヴィータではなくどういう訳か、カイムの方に狙いを定めているら
しい。
 この中で最も危険な人間が誰かを理解しているのか、それとも――

『何処からともなく這い出たか……まとめて灰塵と帰してくれる』

 身軽になるため鉄塊を地に突き立て、外套の中に隠していた草原の竜騎槍を無造作に放ったカイ
ムの、漆黒に塗りつぶされていく精神に、ドラゴンの静かな声が響く。
 聞いているのかいないのか。カイムが向ける視線はすでに、二機の甲冑から固定されて動くこと
はなかった。
 その向こうに、茂みの中から再び異音が響く。甲冑どもが剣を引きずるのとは違う音。今度こそ、
ガジェット・ドローンの駆動音に間違いは無かった。増援がやってきたのだ。
 再び地を蹴るカイム。同時にその西方の空に、二頭のドラゴンの鮮紅と純白の翼がはためいた。
向かう先からはばらりと撒いたかのように、黒い影が接近しつつある。空戦用の、大量のガジェッ
トU型の群れが。

『死ぬがいい』

 その中に見知った、箱形のナニカの姿を認めたドラゴンの『声』であった。



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