オークション会場であり警備任務の地であるホテル・アグスタ、屋上のヘリポート。留め金が嵌
まる音がふたつあった後、ヘリから降りたカイムの服のみの軽装は、再び革の外套に包まれた。外
見からはやはり大量の武器を持っているとは窺えず、背中に負った巨大な鉄塊以外は、完全に衣の
下へと隠れてしまっている。
 そこにはやての守護騎士の一人、シャマルが歩み寄り、ヘリの中でできなかった施設の構造、細
かい配置の説明と、任務に当たっての注意事項――被疑者を殺害してはならない、確保を優先する、
など――を伝えていく。カイムと彼から間接的に話を聞いていたドラゴンには、まだ任務内容の一
部しか伝えていなかったのだ。教練後などの時間でフォワードたちが事前に受け取っていた情報を、
この男にも伝えておく必要がある。
 ホテル外で何か異常があった時の指揮はシャマルに委任され、はやてがホテル内部に入り直接命
令をしないと聞いた時には一瞬疑問の視線を向けはしたが、ドラゴンが音なき声で割り込まなかっ
たということは了解の意志とみていいだろう。
 そのうちバリアジャケットも無くて大丈夫ですかと尋ねられたが、カイムはドラゴンの仲介で返
事をすることもなく、ただシャマルを見続けるだけだった。
 基本的に反応が無いときは手出し口出し無用なのだ、というのは六課の面々も理解しつつあり、
カイムと今まで接点がほとんどなかったシャマルも何となく察したらしい。同じ問いを二回繰り返
すことはなく、腕に巻いた通信機の受信方法を念のためにと確認しはじめる。
 その様子を、ティアナは笑みを消したまま見つめていた。
 先ほどヘリの中で男の持つ数々の武器を見ていた時のような、割と和んだ表情は無く、向けてい
る目はどこか厳しい。表情は固く、唇は真一文字に結ばれていた。
 目線の先には、カイムの背の鉄塊。
 それだけではない。外套の裏から視界には入らないものの、ティアナの脳裏には男が機内で見せ
た武器が、次々とよぎっていた。
 氷を生んで見せた黄金色の「草原の竜騎槍」、やはり以前自分たちにも使われた黒い雷の短剣、
竜の解説によれば縮小できないため魔法を使って見せることはなかったが、先の任務で鉄球を出現
させたという湾曲した鉤型の剣。
 当然だがどれも見たことのない武器であり、デバイスの造られていない世界からよくこれほどの
魔法具がと、その時は皆と同じように思った。
 自分と、そして飛び入りだが共闘を張ったスバルがカイムに再戦を挑んだ時、それらが全く使わ
れなかったことには、自分はまともに相手にされていなかったのかと思い一瞬だけ怒りを覚えはし
たが……よく考えればそれはヴィータも同じこと。実際次々と出てくる武器を目の当たりにして、
彼女は複雑そうな、でもどこか得心した顔をしていた。そういうこともあってティアナはもう、そ
の件については割り切ることにしていた。
 だが、カイムが鋸の様な刃を持つ白蝋の剣を手に取って魔法を使った時、ティアナの表情は途端
に一変した。
 剣に込められた魔法の名はインビジブルブレス、使用者の身体を透明にして視認を防ぐ魔法。自
分が使う幻術魔法の一部と、全く同じ種のものであった。
 竜の『声』がその説明をするのを聞き、まさかと思い見るティアナの前で、カイムが魔力を集中
し剣に通すと、刃から白い輝きが溢れ出して光の被膜が全身を覆っていく。そうして次の瞬間、彼
は見事なまでに不可視となってみせた。
 目を見開く自分の左右から、おお、と驚きの声が漏れて、スバルはティアと同じだなどと言い出
して、嬉しそうに肩を叩いてきて――。

「……」

 無言のままにティアナが見ると、説明を受け終えたカイムは硝子が陽光を照り返すのを見、屋上
から見下ろせるホテルの全容を眺めていた。かつて住んでいた世界はミッドチルダほどの文明を持
っていなかったこともあって、その視線はいつもの無関心さとは違い、珍しいものを見た人間の見
せる種の、興味の色がほんの少しだけ混ざっている。
 視界の隅では、カイムの様子を下から見上げていたキャロが、唐突に手を取られて驚き振り返る
ところだった。幼い召喚士が顔を向けた先にはフェイトがしゃがみこみ、ケリュケイオンの嵌めら
れたキャロの小さな手を、同じく横に並んでいたエリオのそれと一緒に、ぎゅっと握っている。
 疑問と共に訊ねる二人に目線の高さを合わせたフェイトは、何やら表情を引き締め、

「気を付けてね……」

と、いたく真剣な顔で言い聞かせた。
 そこに同僚や上司たちの視線も加わり、しかしそれもどこか微笑ましげ雰囲気が混じっていて、
二人の子供達はどうにも居心地が悪そうだった。とはいえ少なくとも、内心では決して嫌という訳
ではなさそうである。戸惑いと一抹の恥ずかしさは感じているようだが。
 ティアナは目を背けた。
 新型となった己の相棒、カード型の待機形態を保ったクロスミラージュをぐっと握り締めて、テ
ィアナは己の体内に巡る魔力の流れを確認する。何かに急かされるかのように。
 スバルのようにカイムの魔導を、自分のそれに同じ技術だと無邪気に喜ぶ気にはならなかった。
 見回せば背後には歩く巨大魔導砲、守護を司る四人の騎士とその主。二人の子供を気遣っている
のは疾雷の戦斧使いで、その子の一人が橋渡しをしているのは、戦場を生きたという竜の騎士。
 誰もがティアナの頭上の、遥か高みから見下ろしている気がした。
 実際彼らは新人ごときが到底力及ぶはずもない大魔導師であり、自分たちより長い時を生きた先
達であり、教師だ。おのれの上に居るのは当たり前のこと。そんな事をとやかく考えるほど、自分
はもう、幼くはない。
 フェイトの秘蔵っ子、竜の召喚士と疾風の槍使い。そして親友は自分の何倍もの魔力を持つ、勇
気あふれる拳闘士。レアスキル持ち。高魔力保持者。それが何だ。ティアナ・ランスターは才能と
いう薄っぺらな言葉に跳ね返されるほど、弱くなど、ない。

「そろそろ時間です。皆さん、頑張りましょう!」
「スバル、ティアナ、配置はヘリで言ったとおりだよ。ガジェットが確実に来るとは言えないけど、
気を付けてね」

 リインの激励を追って、隊員二人を気遣うスターズ分隊長のなのは。スバルとティアナの返事が
重なるのを皮切りに、有事の際に屋上で指揮を執るシャマルを除いて、魔導師たちが屋上からホテ
ル内部へ向けて歩を進めはじめた。
 その中カイムがどういうことか、他の魔導師たちが行くにもかかわらず動こうとしない。気づき
振り返るフェイト。フェイトの真後ろにちょうど位置していたなのはとキャロ、ティアナが何かと
目を向ける。
 屋上から森を見たままだったカイム。ここまでの道で別れたドラゴンを気にしているのだろうか。
それとも思念を飛ばして、二人だけで会話をしているのだろうか。
 だがキャロが近付き呼ぶと、彼は振り返って歩き出した。会話を切り上げたのか、単に気になって
いただけなのか。
 その内心を読みきれず、やはりどこか得体が知れない男だと思いながらティアナが視線を切って、
後ろで呼んでいるスバルの方へ向かおうと踵を返す。その時ちらりと、隊長二人の顔が視界に入る。
 そして、見た。

(え?)

 なのはとフェイトが、こちらに向かって歩くカイムに目をやっている。その顔色に乗った、どこ
か不安と心配を孕む気配をティアナは見た。
 見たことのない表情だった。六課へ引き抜き配属されてからフェイトはともかくとして、なのは
と毎日のように顔を合わせている、ティアナですら。
 咄嗟に記憶をたどってみるも、なのはが彼女に見せたことがあるのは気づかいを含む優しい表情
と、教練時の厳しくも真剣なあの顔つきだけ。彼女はいつだって「スターズ分隊長」であり、「高
町なのは教導官」であった。それが今、何故あの男を見て、あのようなかおを?

「なのはさん?」
「……うん。行こう、ティアナ」

 ティアナがなのはに呼びかけるとその表情は消え、心配など微塵も感じさせない、普段通りのあ
の明るい笑顔に戻っていた。
 フェイトをも見るがこちらも、先程の名残のないいつもの顔だ。先に入口のドアへ向かったなの
はに続き、カイムがそこに向かうのを見て、金髪を揺らして彼女たちの後ろを歩きはじめる。
 ティアナもまた歩き出す。疑惑の男の背中を、目で追いながら。
 思い返せば、異世界から来訪したというこの男と竜は、今まで機動六課に割と良い影響を与えて
きた。彼ら自身の力に加えてさらに、なのは以外に竜にも教えを受けたキャロの竜召喚の制御、フ
リードリヒの火炎と翼の扱いはここのところ急激に成長している。もともと強力だった隊の陣容は
その戦力をさらに増大させ、制限付きとはいえもはや異常なレベルに達していた。その上エリオや
スバル、そしてティアナ自身の意欲を刺激したのもまた事実。
 なのに今の、見間違いとは思えないあの表情は、いったい何だったのだろうか。
 ――それが、カイムの過去を一端とはいえ知ったなのは達が、クロノから彼とドラゴンの最後の
闘いの顛末を聞いたがゆえに抱いた、未知のなにかへの言い知れぬ感情なのだと、ティアナが知る
術はない。
 だがなのはとフェイトの後ろ髪を眺め、カイムの後ろ姿を見て彼女は思い出す。以前自分とスバ
ルを雪辱戦で散々に負かしてみせたこと。
 そしてつい先ほど己と同種の幻術魔法を使い、ヘリの中で姿を、音もなく視界から消してみせた
ことを。

「……」

 舌打ちがこぼれそうになり、ティアナはそんな自分を戒める。先行くなのは達を追って、足の運
びを速めていった。心を乱してはならない。目指す夢がどれだけ遠くとも、どんな壁があったとし
ても、彼女はそこに辿り着く気でいた。
 自分の実力と勇気で、ティアナは「証」を追い求める。ランスターの弾丸の、力の証を。



 厳重な警備が必要なほどの大オークションが行われるだけあって、ホテル・アグスタの敷地も施
設そのものも相当に巨大である。警備をすると一口に言っても様々な場所を入れ替わり立ち替わら
なくてはならない。
 その為には任務のデータを入力したデバイスによる位置や時刻のサポートが、スムーズな移動や
地形の把握に重要な役割を果たしてくれるのだ。
 が、当然ながらカイムはデバイスなど持っていない。
 腕に一つだけ巻いた通信機のみだ。いかなシャーリー製のスグレモノとはいえ、なのは達が持つ
インテリジェントデバイスの様な高度な機能はさすがに持ち合わせていなかった。
 その通信機に向かって逐一指令を出しても良いのだが、あまりにも頻繁になるようだとサポート
部隊の負担も大きい。デバイスによるデータのやり取りに慣れ過ぎてしまい、紙の地図をこの場に
持参しなかったのは隊長陣全員の失念であった。任務中に地図の紙を広げることなどてんで無かっ
たので、不可抗力ではあるのだけれども。
 そこでカイムはホテル周囲で、ある程度自由に動き、敵が出た場合の遊撃の任にあたる運びとな
った。こういう場合下手に行動を指示すると、バックアップの負担が増えるだけでなく彼自身の混
乱をも招くとの配慮があってだ。
 内部見取り図の無いカイムのために、一度六課オフィスをぐるりと案内していることもあって、
ややこしいホテル内の移動は、任務開始前限定でシグナムが付き添う事になった。
 引き受けた時は何やらカイムに言いたいことがあるような顔をしていたが、大体の意図ははやて
には分かっていた。任務がまだ始まっていない今のうちに、彼女を相手にして模擬戦をする意志が
あるかどうか、探りを入れておきたかったのだろう。
 そんな二人の剣士が、同じく地上を警備するティアナやスバルと共にホテル正面方向へ向かう。
シャマルは屋上に残り、ヴィータはホテル内の別の棟へと足を向け、ライトニングの二人の子供達
とザフィーラは地下の駐車スペースへ歩を運んだ。
 なのはとフェイト、そしてはやてはそんな隊員たちと別れ、受付を済ませた後、今頃一般客も入
りはじめているであろうオークション会場へと歩く。
 ホテル内もまた、外観を負う立派で清楚な造りをしていた。
 移動の便宜と幾何学的な美しさを両立した棟の配置、汚れや塵一つない清潔な硝子。けばけばし
さを感じないよう計算されたシンプルな塗りの壁の前には、観葉植物や緻密な描き込みの絵画が適
度な間隔に配されている。無駄に飾らぬ壁面の代わりに、鮮やかな緑や油絵の具の豊かな色彩が、
見る物の目を飽きさせることはなかった。
 そして、そんな道すがら。
 高級感ある赤絨毯の敷かれた通路。隊長達三人が歩くとある廊下で、一つの偶然が起こった。

「あ……」
「……え?」

 Tの文字に交差した通路、三人の中心を歩くなのはに、ばったりと出くわしたこの男。
 眼の奥の柔和な光。落ち着いた雰囲気、優しい表情は唖然としたまま固まっている。
 ややあって互いに事実を正しく認識できたらしく、口を半開きにした情けない顔のまま見つめあ
っていたなのはと男は、はっと我に返った。そうしてからようやく、体裁を保とうと顔面の筋肉に
意識を傾ける。あまり功を奏さなかったけれども。
 出くわしたのは、ユーノ・スクライア。
 幼少の高町なのはが故郷で出会い、魔導師となるきっかけをくれた男。お互い忙しくて最近は直
接顔を合わせることも少なくなっていた、大切な幼馴染みだった。

「ひ、久し振り、なのは」
「う、うん、そうだね、ユーノ君」

 二人とも心なし顔が赤い。
 事前にちらりと影を見ていればまだ違っただろうが、お互い存在を予想だにしていなかった。そ
のため二人ともまるで無防備からの再会だ。口がうまく回らぬのも無理はない。

「こ……こ、には、任務で?」
「う、ん。警備の依頼が、機動六課に来て、それで」

 何所からどう見ても、地から足が浮いている。驚きから立ち直ったフェイトとはやてが見かねて、
口をはさんだ。

「久しぶりだね、ユーノ」
「私らも居るんやけど。やっぱり、ユーノ君はなのはちゃん一筋なんやなぁ」

 悪戯っぽい笑顔で見つめるはやての前で、二人は目も当てられないほど赤面し狼狽した。



 とはいえフェイトとはやての存在を確認したことで、二人ともなんとか平静を回復した。
 あまりに唐突な再会ではあったけれども、お互い話したいことはいくらでもある。いつまでも硬
直していたのでは時間が勿体無い。この後ユーノはオークションでの骨董品の鑑定、なのはは当然
ながら会場ホール内での警備任務が待っている。
 ただオークション開始まで、そして任務開始まで幾許か時間があったため、会場へと向かいなが
ら近況を報告し、旧交を温める運びとなった。
 立ち上げたばかりの機動六課の新人教導の日々を送るなのは。相変わらず忙しい巨大データベー
ス「無限書庫」の司書長を務めるユーノ。機動六課設立からはあまり連絡を取る時間が無かったた
め、短い時間であったが、それでも大いに話の華が咲いた。双方充実した日々を送っているとわか
り、横で聞いているフェイトやはやても含めて、自然と皆の口元に笑みがこぼれた。

「じゃあ、ここで。気を付けてね、なのは」
「うん。ユーノ君も頑張ってね」
「ほな、行こか」

 なのはたちは会場内へ、ユーノは舞台の上へ。オークション出演者専用の通路への分かれ道に辿
り着いた四人。
 やはり少々名残惜しいが、公私混同は厳禁である。一瞬残念そうになった表情は、道の向こうを
見据えると同時に毅然としたものに引き締まった。ユーノが脇道に入り、なのは達は会場へと足を
踏み出した。

「ユーノ、ちょっと」
「ん?」

 が、途中でフェイトが引き留める。
 てっきりこのまま会場に直行するものと思っていたこともあって、なのはとはやても何だろうと
振り返った。
 顔を向けたユーノの穏やかな瞳が、視線で静かに話を促す。見てとったフェイトは、一つ呼吸置
いて、こう尋ねた。

「封印魔法『声紋』と、『おおいなる時間』……この言葉、聞いたことある?」
「クロノも同じことを聞いてきたけど……」

 問いの内容と返事になのはとはやてが驚き、この返答にはフェイトもまた目を見開いた。

「お兄ちゃんが?」
「うん。だいぶ前に、個人的に連絡してきたんだ。何かあったの?」
「違う世界から来たドラゴンと竜騎士が、いま機動六課にいるんだけど……」

 なのはは語った。突然現れ、ミッドチルダにクロノが連れてきたカイムとドラゴン。彼らが最後
に戦ったという敵が破壊を企んだのが「おおいなる時間」であり、それを防ぎ封印した彼らの手段
を、クロノが「声紋」と呼んだこと。
 耳を傾けるユーノは興味津々といった様子だった。考古学の道を歩むが故か、それとも自分の得
意とする結界や封印の魔法の中で、未知の種の話である故か。

「そうだったのか。クロノも、話してくれてもいいのに」
「クロノ君は何て?」
「『個人的な興味』の一点張り。口止めもしなかったし……きっとなのはたちも聞きに来るって、
読んでたんじゃないかな」
「……」

 思案顔のフェイト。義兄とその興味の向く先が、彼女もかなり気になるらしい。
 クロノらしいや、などと言っていたユーノはそれを見て、こう提案した。

「僕も聞いたことは無くて、ちょうど今調べてたんだ。何か分かったら、そっちにも連絡するよ」
「あ、うん」

 そう彼は締めくくると、じゃあと言い残して、手を振って去った。



 任務開始の時刻を通信機が告げてから暫く時間が経ったものの、視線の先に広がる森は未だに静
寂を保っている。
 同じくホテル外周を守ることになっているティアナから離れ、ホテルの逆の端にカイムは独りで
陣を構えた。即刻戦闘を行うならともかく、今はまだ索敵の段階であり、しかも今回は防衛戦だ。
一か所に複数の人間が集中することは目的にそぐわない。
 任務の範囲を超えてはいけないとはいえ、久しぶりの単独行動であった。ドラゴンはここの西の
森で、六課オフィスとホテルのいずれの非常事態にも駆け付けられるよう待機している。
 「封印の女神」となった妹と別れ、連合軍の傭兵として剣を振い続けた頃の記憶が思い起こされ
る。当然ではあるがあの時まさか自分が世界を旅立ち、異世界を訪れるなどとは、カイムは予想だ
にしていなかった。
 全く、数奇な旅路であった。

『殺さぬ戦いを、お主が呑むとはな』

 ここにはいない、竜の声が男の頭に響く。任務の事を言っているのだろう。
 返事の『声』は返さず、カイムは少しだけ首を曲げて、ホテルの玄関へと視線を投げる。ホテル
そのものの人員は機動六課が前線を守るということで、会場の方に割と多くが向けられていた。そ
れに万が一戦闘になった時に足手まといになるという事は解っているのだろう、入口に人影は無い。
 見取り図の無いカイムのためにと、広大なホテル内の移動には女騎士シグナムが付き添ってきた。
 その際「定期的に模擬戦をするといい。対魔導師の練習になるだろう」とか「手合わせの相手を
探しているのだが、中々骨のある者が居なくてな」など、何やら言いにくそうに言葉をこぼしてい
たが、当たり前だがカイムが返答をできるわけもない。
 頷くことも首を振ることもしないカイムを見続け、しばらくすると彼が口を利けぬのだとようや
く思い出したのか、「この任務が終わったら手合わせして欲しい」と半ばやけになって言ってきた。
首を縦に振ったカイムに「最初からそうすればよいものを」と響いたのは、一部始終を聴いていた
ドラゴンの内心の愚痴である。
 
『――――――――』

 先程の返答を、カイムは思念の波に乗せてドラゴンに飛ばした。
 一瞬驚いたような気配がした後、それでもどこか納得したような空気を感じる。
 そして竜の側から何か『声』を送ろうとする気配があって、ほどなくカイムへと届き……それと
同時に、彼らは気づく。
 音。魔力。森が、騒ぐ。
 直後、ふたりの意識はお互いに、全く同じ言の葉を投げかけた。


 ――来た。


『召喚魔法を確認しました! 敵が来ます!』

 そう通信が入るよりも早くカイムは革の衣の中に腕をまわし、愛剣を鞘から抜いて外套の内側に
握りしめた。どこか無機質さを感じる異音が遠くから鼓膜を震わせ、彼の鋭敏な聴覚はそれをすで
に捕えている。
 森に在らぬはずの、命ある者の出さない奇妙な音だ。「召喚魔法」と通信が告げたのは本当のよ
うで、その向こうには確かに魔力のゆらぎを、魔導の気配を感じる。
 茂みから姿を現そうとしているのが機械兵・ガジェットドローンであると予測し、カイムはおの
れの内に闘志の火と、赫怒の炎とをくべ始めた。
 術者の魔導師の存在を予想してのことだった。召喚という言葉から小さな娘を思い出し、確証を
得て。
 自分と竜に一度牙を剥いた者を、カイムはもう許す気は無かった。戦う相手は彼らの平穏なる生
を、生きる為に殺す必要のあらぬ夢のような時間を、一瞬でも踏み荒し蹂躙した者。どんな理由が
あろうと、誅に付さねば気が収まらなかった。
 おのれの殺人の欲望ではなく、純粋な怒りから来る衝動だった。それに殺してはいけないのなら、
別の方法で償わせるだけのこと。
 ――殺さぬ程度に膾斬りにするまで。
 殺さぬだけ、お主も少し変わったようだなと、聞いたドラゴンはそう返していた。

 音が近づいてくる。やはり生者ではない。茂みの向こう、霞む視界の果て、急速に接近する影が
三つ。カイムは長剣を握りしめ、体内から魔力を練り始めた。わざわざ姿を晒す愚を犯す所はやは
り、魂無き者の振舞いに相応しい。この種の相手は間合いに入る前に先制して、叩き伏せるに限る。
 だが、近づく者たちの全容が木陰の中から視界に入るにつれ、カイムの目はしだいに疑念の光を
宿し始める。
 そしてある瞬間、深海を思わせる瞳の暗黒が驚きの色に塗り潰された。
 普段は滅多に変わらぬ表情が驚愕に歪み、カイムは、大きく目を見開いた。

 現れた影は、ガジェットではなかった。
 魔導師ですらなかった。



前へ 目次へ 次へ