エリオが槍の稽古をシグナムに乞い、そして意外にもカイムへも頼み、さらに意外な事にカイム
がそれを断らなかったのは、訓練場を使ったヴィータとの模擬戦の後日。魔導師ランク試験を魔力
を抑えたまま受け、標的を火球・ブレイジングウイングでひたすら燃やしまくった彼が、予定通り
のランクCを得てから三日が経った日のことである。
 ドラゴンはカイムを召喚士として登録することで、クロノの口添えもあったが制限をクリア。晴
れて正式に機動六課への助力が可能となったため、その日は部外者に見せられなかったオフィス各
部の案内を、シグナムが行っていた。協力する前線メンバーと親睦を深めるのが良かろう、その中
で時間に余りのある適任は彼女であろう、と。
 あわよくば剣の鍛練に付き合わせようという下心も、まあ少しはあったのだけれども。しかし買
って出たのは、それだけが理由ではないのである。

「シグナムさん、カイムさん! 今度、稽古をつけてくれませんか?」

 表情一つ変えず従うカイムを連れて、玄関の外へ。
 そこでちょうど昼の食事に戻ってきた新人たちとばったり出くわし、雪辱戦で返り討ちにされた
ばかりのティアナとスバルがどう反応すべきか戸惑った…その直後であった。エリオが言ったのは。

「……私でいいならいつでも協力しよう。それに、教導への協力は……」
「……………………」
「?」

 自分はさして特に問題ないし、異世界の技術を是非教練の参考にという、なのはの頼みを受けて
いたカイムも承知のはず。
 それゆえ至極当然といった様子のシグナムに対し、カイムは沈黙した。無言はいつものことであ
るが、流れる空気が微妙に変わる。そこに気付き、シグナムは振り返った。
 小さく口を開けたカイムの視線は、焦点が少しだけズレているように感じられた。
 驚きともとれるし、戸惑いを孕むようにも見える。とても僅かな、読み取り難い表情の変化。

――カイ……様……先代、より……これ……を…………

 男の脳裏に焼き付いて剥がれない、戦場を共にした騎士たちの存在を魔導師たちは知らぬ。
 雲を裂き地を砕いた、青き丘陵に降る破壊の雷光。業火に焼かれ死に絶えた連合軍の戦士の中に
は、帝国軍と黒竜に亡ぼされた故郷・カールレオンを生き延びた臣下も大勢いたのだ。
 皆、最期はカイムの名を呼び、無事に安堵し、その身を案じて…一人残らず、死んだ。
 真っ直ぐに強さを求め、鍛練に打ち込むひたむきな意志。エリオの瞳に込められたそれは、かつ
て故郷で共に生きた、気のいい、あの仲間たちの――

「……あの……」

 二度と思い出さぬはずなのに、今さら脳裏に過る、人間として生きた記憶。
 未練がましくて。
 惨めで。

「……………………」

 男から表情が失せた。再び唇を真一文字に戻し、重圧感に満ちた視線が少年に帰ってくる。
 微妙な変化だったけれども、あたかも何かを圧し殺そうとするかのようなそれであった。やっぱ
り怖いと思いながら、どうしたのだろうと疑問を感じるエリオ。小さなその姿を色を無くした瞳で
見つめ、カイムははその後にひとつだけ頷く。
 竜のような環境への適応能力を、人間である彼が持つ道理はない。
 「人間」を思い出しつつあって、なお戦禍の残滓に囚われ続ける哀れな男が、魔導師たちの前で
踵を返す。
 見送る新人たちに、その心の機微を窺い知ることはできなかった。
 そして彼を追うシグナムは、少しだけ顔を顰めていた。


 先ほどの反応もそうだし、今までのカイムの、特に戦闘に関する行動は確かに不可解だった。
 ヴィータが模擬戦で受けた奇妙な印象。戦った当人の表現は「全力を出したいけど出したくない
」という何とも言えないものだったが、それでも分からないわけではない。実際彼は剣を抜いたも
のの、自分から斬りかかることをしなかった。
 戦闘を嫌っているのか?
 いや、戦いを完全に忌避していわけでないことは先の任務に乱入したことから明らかだ。嫌な顔
ひとつせぬまま、情け容赦なく機械兵を斬り捨て焼き尽くしたあの映像には、争いを避けている印
象など何処にもない。
 機械に対してはできて、人間…或いは協力を約束した相手にはできぬことがあるのかもしれない
。今まで戦場にいたらしいが、そこに関係するのだろうか。
 ――全力の剣を振るう事が彼に、重大な何かをもたらすのか。

「……と思うのだが、どうだろう」

 自分でもまとまらないそんな考えを、シグナムは昼食の場でなのはとフェイトに打ち明けた。
 ヴィータとはある程度話をしてみたものの、彼女から新たな情報は得られなかった。そこでカイ
ム本人に少し接近を試みたのが午前だ。施設の案内を買って出たのはそのためであった。
 しかしそれも満足な答えには至らず、しかも男の行動はさらなる疑問を呼ぶ破目になった。なら
他に誰かと思い、たどり着いたのがこの二人である。カイムと出会ったのはキャロやフリードリヒ
とほぼ同時で、六課メンバーの中では最も早い部類に入るのだ。

「あれ? シグナムさん、まだ模擬戦誘ってないんですか? 私てっきり」
「……暗に貶されている気がするな。私を戦闘狂と勘違いしないでほしいものだが」
「あ、じゃなくて、……えっと、あはは……」

 まだ自分で確かめる機会もない、という一言に反射的に出た呟きを聞かれ、冗談交じりだがじと
りとした視線を向けられたなのはは笑って誤魔化した。
 確かに、カイムとの模擬戦を心待ちにしていたのは嘘ではない。今も、いずれ……と楽しみにして
いるのも事実だ。
 しかし彼がもし、戦うことに何か、重荷を背負っているのならば――自分が無理に戦いを強い
ることはできない。模擬戦を好むのは認めるにしても、それくらいの分別はあるのだ。

「……私は、気になります」

 なのはとシグナムのやりとりにそれまで苦笑していたフェイトが、ぽつりと言う。だいたいなの
はこそ、そんなシグナムさんだって、とじゃれながら言う口が止まり、二人の目が向けられた。

「……そうか……テスタロッサにもとうとう春g」
「あの人が今までどんな世界にいたのか、まだほとんど分からないし」
「クロノ君にも、最近は連絡取れないからね」

 すかさずからかおうとしたが華麗に見事にスルーされた。テスタロッサも成長したものだ、弄り
方を考え直す必要があるのかもしれない、と内心で思うシグナムであった。
 と、戯れはこの辺りにしておいて、だ。
 今度は真面目にフェイトを見る。快活ななのはに比べるとやはり表情の変化はそれほど激しくな
いけれども、それでもカイムよりは大きいし……付き合いも長い。考えていることだってはるかに分
かりやすいのである。

「……あの子達が、頼った人ですし」

 喜びに混じる、小さな羨望と後悔。フェイトの表情を言葉に直すならそんなところであろう。
 言わずもがな、向けられる先は二人の秘蔵っ子エリオとキャロである。戦いの世界に出ていくの
は正直まだ割りきれてはいないが、自ら成長しようという努力が見られるのだ。親としてこれ以上
嬉しいことはない。
 だがその道標に選ばれたのは、あの剣士だった。
 自分ではなく――という羨ましさ。そして仮に頼られたとしても、満足に相手をする事はできな
いことへの歯痒さ。一度キャロが竜に出会った時の繰り返しであるが、今回のエリオの行動で
甦ったのだ。
 悔しさの溶け込んだ、もどかしい思いが。

「……確か昨日、スバルとティアナが挑んでいたな」
「え? ……あの人に?」
「ああ。序盤は私も見ていたが、途中で主はやてに呼ばれてな。……どうだったんだ?」

 そんなフェイトの思いを何となく察して、シグナムはなのはに訊ねる。
 あの子たちの相手が出来ないのは、もう仕方のないこととしか言いようがない。ならば「彼」に
ついて少しでも情報を得ることで、安心して任せられるようになって欲しかった。

「データも採れるし、いいかなと思ったんだけど……」
「けど?」
「完敗。剣も、一回も抜きませんでした。データも前回と大差ないし……」
「……二人はどうした?」
「何となく、結果はわかってたみたいです。悔しそうにしてましたけど、極端というわけじゃ」
「任務の時、一番近くであいつの剣を見てたんだからな。嫌でもわかったんだろ」

 そう言いながら、ふらりとヴィータが、三人の座るテーブルにやってきた。
 トレイにコップを乗せていなかったなのはにペットボトルの水を一本投げ、自分もキャップを開
けながら、シグナムの隣の空席に腰を下ろす。

「力量の差が分かる位には成長したか。……それにしてもヴィータ、やけにあの男の肩を持つな」
「……あいつはあたしが倒すんだ。ひよっこなんかに取られてたまるか」

 やや憮然とした表情であった。そんなヴィータを見てシグナムの口元に笑みが浮かび、なのはと
フェイトも思わず頬が緩む。
 おそらくは彼の男との模擬戦で、その「ひよっこ」の眼前で巨大ゲートボールに興じてしまった
のを気にしているのだろう。
 新人たちの微妙な視線を前に、あたふたと誤魔化した時の狼狽ぶりは目も当てられないくらいで
あったし、思いっきり楽しんでいたのはバレバレだった。
 ……その欝憤の矛先となったカイムからすれば、知ったことではないのだが。

「それよりなのは、大丈夫か? 確かあいつ、午後の訓練で」
「大丈夫大丈夫。悪い人じゃないって」
「でもなあ……」
「……どうしたの?」
「あ、フェイトちゃん、言ってなかった? 次の教練はね――」


 近距離戦は誰がどう考えても却下。列車上で足元のガジェットのアームをものの見事に吹っ飛ば
したあの剣技を見ておいて、それでもなお「何とかなる」と高をくくれるほど、ティアナ・ランス
ターは自惚れていない。
 中・遠距離戦の実力は未知数。但し剣の間合いのはるか遠くに落としたあの鉄球、そしてかつて
自分も受けた、火炎と黒き雷の魔術を考えると油断は出来ない。「魔法を剣から引き出す」あの男
のことだ、まだ見せていない武器から初見の魔法を撃ってくる事は容易に想像がついた。
 隠密への対応能力は非常に高いと考えられる。魔力を完全に隠蔽するくらいだから、魔導師の居
所くらいは簡単につきとめられよう。だが自分の作る魔法の幻影は、ある程度魔力を有するのだ、
魔力のみを探知すると仮定した場合本物と見分けがつく確率はかなり低い。
 ……撹乱。
 今まで得た情報を統合し、剣士カイムに勝つべくティアナが導いた戦術はそれであった。幻影で
攻撃をいなし、奇襲で先制した上で、手数によって抑え込むのだ。それしかない。
 黒焦げにされたことへの怒りや悔しさは、もうかなり薄れてきている。しかしそれでも、傷つい
たプライドが真っ向からの対決を叫んでいた。あのような不意討ちではなく、一度きちんとした形
でケリをつけねばならないと告げていたのだ。
 ――という思考を経、スバルの飛び入りとなのはの許可を得て、口頭でカイムに叩き付けた果た
し状。その結果は散々であった。
 外套の動き、ちらりと覗く拳、視線の方向、足の運び、気迫。フェイントを何重にもかけてスバ
ルの機動力を封じ、常に同じ所に留まらず、中距離に陣取ったティアナに的を絞らせない。
 とうとう体勢を崩したスバルを引っ掴んで、ティアナめがけて砲弾のように投げ飛ばす。二人が
動きを止めればすかさず火炎を放ち、意識を反らしたとみれば次の瞬間には、もうその場に姿を残
してはいない。
 ……この人、「巧い」。
 戦後の、煤まみれになったティアナとスバルの感想は共通していた。
 魔法の威力の大小ではない。そんなものを問題とするのならティアナの弾丸もスバルの砲撃も、
カイムの火炎や鉄球と比べて決して引けは取らない。それ以前の話として、戦術の幅とバックボー
ンの差が、ティアナ達と彼ではあまりにも大きかった。
 賢いというべきか狡猾というべきか。いずれにせよ基本的な経験値が違いすぎた。彼女たちが挑
戦した剣士の戦いの技巧は、幾千幾万の敵に挑んできたことで既に老獪とも言うべき境地に達して
いたのだ。

「……」

 そのカイムが次の訓練場、森に到着した新人たちの目の先に、あのドラゴンとともに佇んでいた。

「……何で、ここに」
「わたしが呼んだの。説明したいことも、たくさんあるし」
「なのはさん?」

 そこになのはがやってきた。毎回きっちり定時の少し前にやってくる彼女だ、ということは今は
教導開始の約五分前であろう。
 しかし様子が変だ。なのはの背後にはフェイトとヴィータ、そして普段この場に姿を見せぬはず
の、シグナムさえもが顔を見せていた。

 混乱気味の新人たちに、なのはは語った。
 自分たちにはできぬ白竜フリードリヒの飛行訓練を、ガジェットを相手としない基本教導の時間
を使ってドラゴンに頼んだ、と。
 そしてミッドチルダにおける魔導師のポジションや、その役割といった基本的な事項をカイムに
知ってもらうのが、なのはが告げた彼の来訪目的であった。その上で、今後どのような形で協力す
るのか――つまりフォワードに加えるのか、それとも指示の量を落とし、行動を任せるいわば遊撃
の、自由の剣とするかを決めるのだと。

「という訳で、今回の教導は観客付きです。みんな、気合い入れてね!」
「はいっ!!」

 前から思ってはいたが、魔導師の修行にしてはやけに勢いが軽いなと、会話を聞くドラゴンは内心
呟いた。


 ――しかし見られている側、特にカイムと戦ったばかりのティアナとスバルは、やりにくいこと
この上なかった。
 普段教練にギャラリーが付くことなどない。仮にあったとしても、参加していないシグナムや暇
つぶしのヴァイスくらいのものであった。それに遠方からモニターウインドウで眺めているのと、
視界の中でじっと見ているのではやはり意識が違う。
 この男が訓練を見ているという状況は前にも一度あったが、あくまで非公式なもの。正式な形で
の参観はこれが初めてだったし、男がこちらを見る目もやはり幾分真剣さを増していた。
 そしてその分鋭さがきつくなった視線は、無視して集中するには少々プレッシャーが強すぎる。

(……あの子たち、よくまともに……って、そうよね。慣れてるわよね)

 なのはの魔導弾をなんとか捌ききり、五分間の休息を得たティアナは見た。
 視界の隅でキャロが補助魔法の訓練に励んでいる。そしてその強化を得たエリオは、望みどおり
稽古の相手をシグナムにしてもらっているらしい。ストラーダでレヴァンティンを受け、返す光刃
のせめぎあう音がこちらにまで聞こえている。
 彼らを連れてきたクロノ・ハラオウンを除けば、キャロはミッドチルダで最も早くカイムとドラ
ゴンに出会ったのだし、顔を合わせる頻度も多かった。彼らが居るという状況には、特に違和感を
覚えるまい。
 フリードリヒは竜と竜騎士にものすごく懐いているので言わずもがなだ。それにエリオだってわ
ざわざ自分から稽古を頼みに行くくらいだから、彼に慣れ始めているのだろう。そういえば最近、
呼ばれてオフィスを訪れるカイムに対し、近くまで行って挨拶したりもしていた。
 対してスバルは、確か「仲良くしたい」などと言っていたが、こちらはまだそこまで馴染めてい
るわけではないようだ。首を左に90度回すと姿が見えるが、ヴィータの鉄鎚を受け止める障壁の
展開速度にいつものキレがない。
 男の視線に、緊張しているのが見え見えだ。元凶が何かはまだ、教導相手のヴィータには気付か
れていないようだが。

「何か気が入ってねえな……」
「す、すみません」
「……仕方ねえ。あたしが嫌でも気合い入れてやる! アイゼン、でかいの行くぞ!」
「ひゃあああっ!?」

 遠くで上がるスバルの悲鳴には「バカね」と小さく呟き、ティアナは太い木の幹に身体を預けな
がら、なのはの説明を聞ききつつ訓練の様子を眺めるカイムを見やった。
 一貫した無表情。初対面での印象と変わらぬ、感情を宿さない横顔がそこにある。
 最初はまともに目も見れないくらいだった。でも面と向かって果たし状を突き付けられたくらい
だから、まあ、少しは慣れてきている……とは思う。それに。
 興味もあった。
 齢二十四といえば、あの提督クロノとほぼ同年齢。だがその年代であそこまで異様な雰囲気を持
つ人間を、圧倒的な「力」の匂いをにじませる人間をティアナは知らない。
 自分を完全に負かしたということもある。どのような人生を送り、どのようにして「力」を得た
のか、それが知りたいと、ティアナは思った。
 まだ深い意味はなく、単純な興味でしかなかったけれども。

(……ん?)

 なのはの説明が終わり、カイムが小さく首を振る。それを見届けてこちらに歩いてくる白いバリ
アジャケットの向こうに、ちらりと見えた影があった。
 影は歩き、外套を纏うカイムへと少しずつ近づいて行く。影は人間のものであった。鍛えた視力
を総動員し、目を凝らしてそれを見る。

(あれって……)

 髪の色は金。
 そこで確信した。今教練を行っていない魔導師で、今この場に居る者は、一人しかいない。


「あの……」

 少年少女たちの奮闘を眺めるカイムに話しかけたのは、ティアナが思ったとおりフェイトだった。
 初対面で大きな勘違いをしてから、実に三週間近い時が流れていた。そのことに対する恥ずかし
さは消えてはいないものの、流石にそろそろ薄れてきてはいる。
 「気にしておらぬ」とドラゴンが言ったし、なのはもあの事について考えるのは止めたと話していた。
もっとも彼女の場合、ドラゴンにシロ呼ばわりされることの方が気になっているのかもしれないが。

『何だ』
「え? あ」

 目を向けたカイムの口は開かず、その代わりに上空にいるはずの、ドラゴンの『声』が精神に直
接響く。見上げるとちょうど、小さなフリードリヒの放つ大きな火炎の玉を、さらに一回り容量の
あるドラゴンのブレスが、3つ同時に打ち消しているところだった。
 何故、と思った直後に悟った。喋る事の出来ぬこの男を代弁しているのだろう。
 それとも会話が通じぬのを見かねて、ドラゴン自身が放った言葉なのか。
 だがとにかく、そのままフリードリヒの相手を続けているところを見ると、ドラゴンにとっては
片手間で出来ることのようだ。
 通訳なのか口を挟んだだけなのかは分からないが、カイムが何かを言いたいなら訳してくれる
らしい。フェイトはドラゴンの好意に甘える事にした。カイムに向かって、ぺこりと一つ頭を下げる。

「あの子たちの事、よろしくお願いします」
「…………」
『『何を今さら』だそうだ。協力すると言った筈ぞ』
「あ……そ、そうですね……」

 カイムの言葉ではなく、反射的に思った事を『声』にして飛ばすドラゴン。聞いたフェイトは小
さく返事をしてうつむいてしまった。
 そしてそのまま、沈黙する。
 
「…………」

 フェイトは気づいた。いざとなると、聞きたいことも切り出せなくなってしまう。
 彼らに任せる子供たちが心配だった、だから、話を聞きたかった。
 大事な部下、いやそれ以上に大切な二人を、二十四時間でないとはいえ任せることになった男だ。
ドラゴンについてはいくらか会話があったためそうでもないが、まだフェイトにとって、カイムと
いう男は得体の知れない存在である。
 親として自分が押してやれぬ、小さな背中を預けることになる人間なのだ。だから彼の身の上を、
少しでも知りたかった。
 ――だが同時に、それを聞くことすら躊躇われる気がした。
 自分に、そんな資格があるのだろうかと。
 あの子たちが進みたいと願う道の、その助けにさえなれていない自分。なのに果たして、彼らが
選んだ道標たる人間と竜を、真正面とはいえ詮索する資格があるのか? そんな気がして。

『……遠い昔』

 暫くの間を置いて、ドラゴンの声がした。
 フェイトはふっとカイムに視線を戻す。しかし男は自分ではなく、頭上で滞空する竜の背を見つ
めていた。その表情、意識の向け方からすると、語りかけているのがドラゴン自身だとフェイトは
悟る。
 ドラゴンはもう低空にまで降りてきていた。疲労のたまったフリードリヒがキャロの方へひょろ
ひょろ飛び去るのを見届けてから、赤い翼をばさりと大きくはためかせる。
 思わず顔を腕で覆いたくなる強烈な風を地上に吹かせて、ドラゴンは紅い衣を纏う半身と、金髪
の魔導師の眼前へと降り立った。
 そして言った。

「母に愛されることの無かった、一人の娘が居た」
「っ」

 身に覚えがあり過ぎる言葉。ドラゴンの低い肉声を聞き、フェイトは思わず目を見開いた。
 しかしフェイト自身、まだ自分の身の上を語ってはいない。きっと別の話だろうと少ししてから
思い、竜は語るのにただ耳を傾ける。低くも小さい竜の声。それは時折みせる、聞かせる者の話し方
であった。
 ――竜の話によれば、主の愛を得られれば母に愛されると信じた娘は、神の人形となった。
 疑うことなく人間を弄び、心の闇に付け入って操り、一国の軍を掌握するに至った少女は世界の
破滅を導く。
 最終的に少女は実兄の手で死を迎えたが、その目は最期まで神への盲信に彩られ、血のように赤
く、そして邪悪に澄んでいたという。

「あの幼子たちは少なくとも、愛されぬ者の目の色をしてはおらぬぞ」

 そんな伝説じみた『おとぎ話』の最後に、竜はそう付け加えた。
 キャロからの話で、世話をしたくても出来ないフェイトの生活の大変さは聞かされていたのだ。
その事に負い目があるのではないかと思ったドラゴンの、ちょっとした老婆心であった。
 しかし事実、それは当たっていた。

「……そこの白。立ち聞きとは感心せぬな」

 励ましてくれているのだろうか? ――そんな考えを抱きながら、だが確かに元気づけられてい
るように感じたフェイト。
 その背後の木陰から、白いバリアジャケットが小さく覗いていた。

「あ、……あはは……」
「弟子が真似をするぞ。……初めて会った時にこの男に何をしたか、暴露されたくはあるまい?」
「そ、それは駄目ですっ!」

 笑って誤魔化しながら出てきたなのは。再びドラゴンに弄られる彼女の隣で、フェイトは小さく
笑みをこぼした。
 ちょっとだけではあるが、分かった気がする。キャロとエリオが彼らを認めた理由が。
 絶対的な経験量。
 心配など微塵もいらぬ、そういわんばかりの安定感。
 たぶん、それが。

(……わたしは)

 いいお母さんになりたい。
 フェイトは心からそう思った。あの子供たちが何も気負うことなく、安心して頼れる大人に――

 吹いた風が、少しだけ温かく感じた。


「………………」

 ふと、カイムが立ち上がる。
 ん? と声をもらすなのはの前で、カイムは外套を翻し背を向けた。
 そのまま森の中へ足を踏み出し、新人たちの訓練場所とは逆、森の奥へと歩いて行く。
 伏せがちになっていたため前髪に隠れて、その表情はよく覗えなかった。

「あの……」
「…………風に当たって来るそうだ」

 その向かう先を見て、若干の間をおいてドラゴンが言った。
 口調に普段と異なるものを感じ、なのはとフェイトが竜の顔を見る。
 私的な感情をなかなか外に出さないドラゴンだ、そこから感じられるものはそう多くない。
 だが複雑な何かが竜の中で渦巻いていることだけは、二人にも何とか、察せられた。

「憐れな男よ。忘れろというに」
「?」

 ひゅう、という音が通り抜ける。

「……無理もないか。『壊れた』のは、あの娘の所為なのだ」

 え、とこぼすフェイト、首を傾げるなのは。竜の言葉の意味が、二人には解っていなかった。
 しかし、少しして、気づいた。今まで語っていたのはあくまでドラゴンの言葉。彼の意志で紡が
れた言葉を、誰も聞いてなどいない。
 全てを失い人間を捨てた、竜騎士カイムが駆けた道。
 そしてその心の闇をまだ、誰も知らないのだ。

 吹き付けた風が、少しだけ冷たい気がした。



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