はじめて人を斬り捨てたあの日からいくつの命を奪ってきたか、カイムはもう憶えていない。
 戦うことと生きることが同義であり、ついには神の児さえもが敵に回ったあの世界。殺す事で生き長らえる
生活、その繰り返しの中でカイムにとっていつしか、「死」こそが日常となった。
 兵どもの断末魔は鬨の声にかき消え、血肉の飛沫は渡り歩く戦場に埋もれていく。憎悪の炎に焼かれながら
肉を潰し、骨を砕き、ひたすら斬り続けるだけの日々。

「……」
「こっちです、カイムさん。あと、ここを右に曲がって……」

 その穢れた手が今、たったひとりの幼子に引かれていた。



「……我らの方から出向くと言った筈だぞ」
「それが、訓練スペースの調子が……」
「……あれだけ好きに暴れれば、仕方あるまいか。なあ」
「っ」

 バーチャルシステムを使う予定だった午後の教練。カイムとドラゴンが見に行くはずのそれは、当初の計画
から外れて急遽森の奥へと変更になった。
 先のカイムとヴィータの模擬戦は最終的に破綻したが、しかし激しかったのである。宙から落下し鉄槌が撃
ち放つ鉄球の連続に、頑丈な訓練施設といえど無傷とはいかなかったらしい。
 「さっすが、ヴィータさん!」とは調整に当たったシャリオの言だ。彼女に全く悪気はなかったが、ヴィー
タにとってはむしろその方が責められている気がするから不思議である。
 ちなみに昼食時、ヴィータにいろいろとカイムの見立てを聞いていたシグナムはここにはいない。
 教練にはもともと参加していない彼女であったし、聞くと「やりたいことができた」との事だ。自分たちと
別れた後にリインについて行ったところを見ると、ひょっとしたら今頃カイムのデータの解析に立ち会ってい
るのかもしれないと、なのはは思った。

「北に向かえば森は開ける。だがカイムは生憎、東の岩場だ」
「あ、じゃあ、私が迎えに行きます」
「きゅる」
「そうか……今、『声』をかけた。時間までに戻らなければ先に行くぞ」
「キャロ、大丈夫?」
「大丈夫です、道は知ってますからっ」

 連れてくるためにわざわざ竜の巨体に飛んでもらうのはあれかなと思ってキャロが言い出すと、フリードが
小さく肯き、そしてドラゴンが念を飛ばした。
 移動の時間を少々長めにとっていたため、訓練開始までそれくらいの余裕はある。加えればキャロは何度も
森へ出向いており、カイムも一応見慣れた顔ではある。邪険にはするまい。
 キャロは気を付けてねと心配そうに言うフェイトにうなずいて、そうした後くるりと踵を返してカイムのも
とへ向かった。



「……あの人……カイムさんの魔法は、剣から?」
「そうだ。カイムの得物は全て呪術の類いが秘められておる。お主らの杖と根源の違いはあるが、行き着いた
先は似ているようだな」

 残された魔導師たちはしばらく静かにしていたが、いくらかすると再び朝のように、ドラゴンに話を向けは
じめる。
 一度話をしているということで当初あった緊張気味の空気は薄れ、今回のそれは幾分和やかであった。

「じゃあ……あの時の黒い雷も、あの剣の魔法ですか?」
「火炎は大剣、鉄球は曲刀。使える術は一振りにひとつ。黒き雷は短刀のそれだ」

 今のように新人も時折混ざってはいるが、問うのは竜に面識のあった隊長の二人がメインだ。ヴィータはと
いうと先ほど言われたのが効いているのか、こちらはドラゴンと話す気は起きていないらしい。
 手合わせの機を逸してしまった反動か、それともこの先の共闘を懸念に入れてか――もしくはその両方かも
しれない。尋ねる内容は先の任務と模擬戦で見せた、カイムの魔法についてが多かった。
 出会ったばかりの者も少ない中で手札を見せるのは避けたくあるが、しかし助力を約束した以上、その意は
示しておかねばなるまい。今まで見せていないものは詳細を伏せ、言うなれば当たり障りなくドラゴンは語っ
た。
 以前クロノが「調査」とやらで森に来た時も、いやに武器に興味を示していたなと思い返しながら。

「へー……ひょっとしてそこの、大きなのもですか?」
「全てがそうだ。あやつ自身は魔法より剣を好むがな」

 そう聞いたのはスバルだった。視線の先では剣と呼ぶのもはばかられるような、巨大な鉄の塊が木の根本に
突き刺さっていた。先の任務で竜が投げ、カイムが受け取り持ち上げるのはもう既に目撃しているが、しかし
何せあの威容だ。目を引くのは当然である。
 まだ訓練前ということで軽くになった空気に、スバルは新人たちの中でもいち早く警戒を解いていた。ドラ
ゴンが会話そのものを割と嫌ってはいないと悟ったらしく、先程から積極的に口を開いている。
 以前この森で黒焦げにされたのも、今はあまり気にしていないようだ。それが半分カイムの魔法の試し撃ち
を勧めたドラゴンのせいだったとキャロから聞いても、特に思うところはないらしい。

(……まったく)

 ティアナは内心呟いた。
 切り替えが早いというか、適応能力が高いというか。それとも三歩歩けば忘れるとするべきか。
 だがまあ少なくとも悪いことではないかと、横で見ていてティアナは思う。
 それによくよく思い出してみれば、確かスバルはカイムの援護に礼を言い、敵対心を拭えぬはずのティアナ
自身も、つられて頭を下げていた。彼女の正直さにを見ての反応であったが、傍にいるとたまにああいうこと
があるから不思議である。

「……持ってみてもいいですか?」
「好きにしろ。落として足を斬り飛ばしても知らぬがな」
「やたっ……って重っ!」
「す、スバルちょっと、こっち来たら危ないでしょ!」
「ティ、ティアっ、ヴィータ副隊長、援護えんごーっ!!」
「馬鹿言うなッ! 自分で持て!」
「……訓練前に筋肉痛めないでね、スバル」

 教練の準備運動とばかりに勢いよく剣を引き抜いたはいいが、あまりの重さにぐらつくスバル。
 ふらふらよろよろと近づいてくる親友にヴィータと一緒になって罵声を浴びせながら、いずれにせよ自分が
振り回されることは変わりないなとティアナは憂えた。



 カイムの魔法の話を一通り終えると、今度はドラゴンが逆に、なのはたちにミッドチルダの魔導について問うた。
 当たり前の話である。ミッドチルダの住人にとってカイムとドラゴンの魔法が未知の技術であるのと同時に、
ドラゴンにとってもなのはたちの魔法は初見のものなのだ。キャロを導きはしたが戦闘にまで顔を出す気はな
かったため、特にそれについて深く問うたことはなかった。
 ドラゴンの求めにはなのはとフェイトが応じた。これも共闘には必要だし、時間的に余裕もあるので異存ない。
 魔力の話はさて置くとしても、説明はデバイスの基本的な部分からということになる。とはいえ最近新人の
レクチャーをしたばかりの二人、特に教導には慣れっこのなのはには、説明はお手の物だ。通信をはじめとし
たデバイスの技術から、攻撃・補助に至る多彩な魔法能力まで、小規模ではあるが実際に例を見せて語っていく。

「あ……カイムさんにも、見せた方が」
「よい。あやつのことだ。簡単に話せば、一度見た時に理解しよう」

 初対面で自殺者と勘違いしてからおよそ一週間、竜騎士の名を呼ぶのにようやく慣れてきているフェイトが
思い出したように言い、しかしそれをドラゴンが遮った。事実あの男は闘いの技術、とりわけ武具の扱いに精
通している。その道についての理解は早いし、訓練の時に実際の魔法を見れば自分で考えるであろう。
 というのもあるが、話を暗に急かしたのは実のところ、ドラゴン自身の興味を引いたのが大きかった。
 特に明確な意志を持つ杖、レイジングハートとバルディッシュを見た時の驚きは、声には出さぬがひとしお
であった。邪悪な秘法や呪いの類いではなく、純粋に人間の技術で造られた意志の存在を見たことはない。

「お主ら全てが、これを持つのか」
「杖だけじゃなくて、いろいろ種類はありますよ」

 肯定したたなのはがちらと目くばせすると、ヴィータが鉄鎚・グラーフアイゼンを掲げ、「鉄塊を何秒持て
るか対決」に興じていた新人たちも小型化した己の相棒を手に取って示した。
 なのはたちがカイムの得物に対してそうしたように、ドラゴンもまた興味を持って視線を向ける。
 その様子が魔導師たちには、何だか少し新鮮だった。何でも知っていそうな目の前のドラゴンには、とても
未知の物があるようには見えなかったのだ。

「そちらの方が小回りも利くようだな。威力もカイムの火炎に劣らぬ。便利なことだ」
「補助も防御も攻撃も、全部できますから。近接戦闘もこなせますし」
「全身に武器を仕込む必要もないという訳か。……竜の娘の、手甲の宝玉もこの類か?」
「はい。ケリュケイオンは攻撃じゃなくて、補助や強化の方が得意ですけど」

 召喚士とやらに合わせてか、とドラゴンが言うと、なのはは肯定の意を返した。その後に続いて、ポジショ
ンで分けて行動を決めていると告げるのはフェイト。
 昨日の列車での任務を思い返せば、確かに二人一組で迅速巧みに戦いを繰り広げていた。集団戦という考え
が基本的に無いドラゴンにとっては、割と意外であった。
 どうやら魔法の体系もそうだが、戦い方そのものが、少数での戦闘を主とする契約者たちとは違うらしい。

「あの……その、キャロのことで少し」
「何だ、黒金」

 そんなことを考えるドラゴンに、ふとフェイトが声をかける。

「…………」
「何をする心算だ。何やら白いのが見ておるぞ」
「え」

 その横顔を、少々恨めしげに見つめる顔があった。
 なのはだ。

(……黒金……いいよね、フェイトちゃん……かっこよくて……)
(な、なのは、それは私に言われても……本人に言った方が)
(……朝、それでからかわれたもん……)
(大丈夫だよっ、もう一回言ってみれば……きっと)

 昼の続きらしい。再びどんよりと沈み始める親友に、張本人たるドラゴンは一体何なのだと首を傾げた。
 その後もなのはとフェイトの密かな会話は続き、フェイトが本題、今までキャロが森で行ってきた訓練につ
いて竜に訊ねたのは、見かねたヴィータがひとまず場を収めてからの事であった。

「あたしもそれは聞きたかった。映像で見たけど、あいつ降下前から顔つきが違ったしな」

 とは、なのはが立ち直ってからのヴィータの一言である。ようやくドラゴンとも、会話をする気にはなった
ようだ。
 任務の一部始終はリインがしっかり記録しており、そこに参加できなかったヴィータもシグナムも、新人た
ちの(実質的な)初出動はどうだったかと昼のうちに確認していた。
 今まで封印をずっと維持し、訓練の時も解放できなかったフリードリヒの本来の姿。それをヘリからの落下
の途中で、何にも迫られず己の意志で解き放ったキャロの顔は、普段見ているそれにはない凛とした強さがに
じみ出ていた。
 もちろんだがそんな姿は今まで見たことがなく、知っているとすればまずこの竜以外にはいまい。

「……エリオ、どうしたのぼーっとして」
「えっ?! あ、いや、何でもないです!」

 何かを思い出すように少々抜けた顔をするのは、光輝くスフィアの中でその顔を間近に見ていたエリオであ
った。
 その頬は心なし朱に染まっている。
 スバルもティアナも、それで察しがついた。
 まあ、バレバレというやつだ。しかし何となく微笑ましくなって、二人は慌てるエリオの横顔を見やった。
 そんなのどかな声を背景に、竜は己がキャロに課したものを語ることにした。
 この程度なら別に渋ることはなかろう。そう思い言った内容は実際、ドラゴンからすればあまり大したこと
もないと言えた。
 火炎や魔力の制御などはドラゴンが気がつけば身につけていたものだし、それを教えると言っても実際に炎
を作らせて、あれこれ口を出していたくらいのものである。どんな過酷なことをと思っていた新人たちは案の
定拍子抜けしたようで、時折の相鎚もどこかおざなりな様子だ。
 求めるレベルの高さにキャロが苦労したのを知らないのだ。無理もない。

「具体的には?」
「本来の火炎を吐かせた。暴走した分は我が相殺してな。……一度ではあるが、封印を完全に開放させたことも
あったか」

 しかし「教える」立場にいる隊長格、なのはとフェイト、ヴィータは別であった。ドラゴンの言葉に真剣に
耳を傾け、どんな、どうして、と問い返しさえしている。
 キャロ一人を特別扱いするわけではないが、自分たちの知らぬ「竜」についての技術を得ることで、少しで
も彼女の助けになればと思ったのだ。
 それにもしかすると、今後の教練で参考にできることもあるかもしれない。

「そんな、強引な……」
「危機に瀕さねば出せぬ力など、所詮は付け焼きの刃に過ぎぬ。それ程都合良く戦いは進まぬものだ。それで
は戦場は生き残れぬ」

 強制的な封印の解除という言葉を聞いた時に、無理矢理といえば無理矢理な内容にフェイトが呟く。
 しかしまあ、ドラゴンの言うことにも一理はあった。土壇場で身につけた力よりも、修練の果てに身につけ
た技の方が身体に馴染むのは明白。
 危険な訓練ならば頂けないが、さすがにその辺りはドラゴンも配慮してくれていたようだ。

「……そうですね。そうかも」
「幼子の身には厳しくあったのは認めるがな。少なくとも弱音は吐かなんだ」
「キャロは、強いですからッ」

 ……親馬鹿という言葉は実在したようだ。
 全く迷いなく言いきったフェイトを見て、ドラゴンはそう思った。そしてふと、思い出して告げる。

「……そういえば黒金、お主を心配してもいた。少しはまともな休みを取れとな」
「それは、私よりなのはに言った方がいい気が……」
「私? そんなことないよ?」
「嘘言うな。昨日も資料探しまわってたじゃねーか」
「……な・の・は? 私、任務後はゆっくりしようって言ったよね……?」
「……あ、あはは……」

 初対面に比べて大分意気投合してきた魔導師たちとドラゴンの視界の隅に、困惑気味の竜騎士を連れた、
件の少女が映っていた。


「キャロは、あの人怖くないの?」

 森での教練を終え竜と竜騎士に別れを告げた帰り道、スバルはふとキャロに訊ねた。
 訓練を見ていたカイムは常に沈黙したままだったが、射抜くようなあの目と重々しい空気は、黙っていた方
がむしろ強くなったように感じて恐ろしい。事実それほど気が強いわけでないスバルは、未だにカイムと正面
から目を合わせられてはいない。
 これから協力することが確定した今となっては、仲間として少しでも近づくのはスバルにとって当たり前で
あった。そのためにはまず、普通に彼の名を呼び、迎えに行って呼んで来さえするキャロに話を聞こうと思っ
たのである。
 ティアナが思ったように、火炙りにされたことについてはもうあまり気にしていない。それよりも仲間が増
えたことで、仲良くなりたいという気持ちの方が大きかった。

「? いえ、カイムさん静かですし……」
「……慣れってすごいね」
「ていうか、あの人一体何歳だろう。結構年取ってそうだけど」

 ほぼスバルと同じ状態のエリオが言い、ティアナが思い出したように顎に手を当てた。
 彼らもまあ、これから協力する人間ではあるということで、カイムの事をスバルほど熱心ではないにしろ、
知りたいとは思っていたのである。

「あ、確か二十四です」
「あはは、そんなまさか…………え? ほんとに?」
「はい。前に聞いたら、ドラゴンさんが言ってました」
「……見えない。絶対見えない」

 長い時間を過ごしてきた者の持つ、乱入した任務で見せた不動の安定感。
 戦い続けてきた絶対的な経験量に由来するそれは、二十やそこらで出せるものでは決してなかった。さらに
口周りに無造作にたくわえた無精鬚、古びた革の外套を纏った厳然たるその風貌も、キャロが口にした年齢と
は到底結びつくものではない。
 歩きながら聞き耳を立てていたなのはもフェイトも、ヴィータでさえもこれには思わず顔を見合わせた。隊
長達と五つしか違わないとは、思ってもみなかった。

「でさ、他に何か聞いてない? 生まれた場所のこととか、好きなこととか剣の名前とか。フリードリヒは何
か……って、喋れないか。ごめんごめん」
「きゅる」
「さ、さあ、特には」
「スバル。熱心なのはいいけど、キャロが困ってるわよ」
「だって仲間になるんだし、仲良くなりたいなあって」
「まったく、少しは警戒しなさいよね」

 ふうとため息を吐きつつ、ティアナが言った。しかしまあ、スバルのこういうところの御蔭で自分も友達を
得たと思えば、そこまで悪い気もしない。
 そのせいで今まで大変な目にあってきたのは、否めぬ事実なのだけれども。


「じゃあみんな、今日は解散。明日は訓練場が直ってると思うけど、万が一もあるからその時は連絡するね」
「ちゃんと休めよ。明日も早いんだからな」
「キャロ、エリオ、もう暗いから気を付けてね」

 ともすると帰り着き、隊長たちは口々に言いながら新人たちと別れて行った。これから彼女たちにはデータ
の整理から始まり、特になのはは翌日の訓練メニューの設定という仕事も待っている。
 新人たちも隊長を見届けると、それぞれ思い思いの場所へと向かった。シャワーを浴びに行く者もいれば、
その前に軽く一口と食堂へ向かおうとする者、汗臭い身体で馬鹿言ってんじゃないわよとその後ろ襟を引っ掴
んでいく者などさまざまである。
 ……つまりは、行先は同じになってしまうのであるが。

「じゃあ、ここはエリオも一緒にみんなでシャワーにけってーい!」
「ええっ、い、いいですっ、僕はそのっ」
「冗談だって。あれ、どうしたのエリオ。キャロの方なんか見ちゃって……」
「〜〜〜〜〜っ」

 ニヤニヤしながら白々しく言い、真っ赤になったエリオに追いかけられるスバル。
 あれではエリオが可哀想だ。シャワーから出たら少しは自重しろと言ってやろうと、ティアナは一応心に誓
っておく。
 見ていて面白いので、今回は放置しておくけれども。
 
「キャロー、置いてくわよー」
「あ、はい」

 お疲れのフリードリヒに小さなビスケットをご馳走していたキャロが、後ろから呼ばれて振り返る。その顔に
はどこか嬉しいような、ほっとしたような表情が貼りついていた。
 カイムとドラゴンが六課の面々に顔を見せると決まった時はどうなることかと心配していた。
 だが任務前に色々あったにもかかわらず、特に軋轢が生じることもないと分かったのだ。
 フェイトと共に任務へ出る時もそう思ったが、自分の師匠が仲間として共に戦ってくれるのは、嬉しくも心強
くもある。そう思うと、自然と笑顔が浮かんでくるのであった。



「平和な人間どもだ」

 魔導師たちが去って静けさを取り戻した森。開けた草原でカイムの体の重みを脇に感じながら、ドラゴンは
そう言った。
 戦争がない世界で育っただけの事はある。カイムに話しかける者もいれば、恐る恐るドラゴンに触れてくる
者もいた。これほど僅かな時間で警戒を解いてしまうなど、あの世界では決してあり得ないことだというのに。
 人間でない者が混じっていたことから、皆それぞれ訳ありの人間かとは思う。
 しかし竜と竜騎士の目の前に現れたのは、一点の陰りもない真っ直ぐな者たちばかりであった。地獄を経験
していないだけあって甘さを感じたのは否定できないが、それでも人間としてどちらがより望ましい姿かとい
えばそれは、明らかに――

「…………」
「……そうだな。戦いの無い世界に、皮肉なことだが」

 それに訓練を見て分かったことだが、彼女たちの戦闘技術は決して底の浅いものなどではない。長年の研究
によって生み出されたデバイス、それを使いこなす技量、特に隊長たちのそれはどれも、カイム達の予想を超
えている。
 実際なのはは、カイムの火球と似た光弾をいとも簡単に作りだして見せた。
 あの様子では、さらに魔力を練った時にどれほどの威力になるか。「母」との戦いを経て力を増したドラゴ
ンの奥の手、竜語魔法には及ばないかも知れないが、それでもあちらも力を封じているとの話を考えると、一
撃の破壊力はカイムの火炎を集束しても及ばないと見た方がよいであろう。
 しかし異常なほど高い魔法への抵抗力を持つ、自分たちにそれが通じるかは別の話ではある。
 それにカイム達には人智を超えた魔力量と、如何なる者をも屠る剣と火炎の技、どれ程の絶望と苦痛にも抗
う精神力があるのだ。
 まあ、それ以前の話として敵対することが無いと決まった以上、比較することにも意味はなかろう。

「……そうだな」

 デバイスを始め、見せられた技術を思い返しながら、竜は言った。発達させてきた技術は、カイム達の世界
のそれとは随分方向性も、程度も違う。
 それは戦いの質そのものの差異のせいだと、ドラゴンはそう捉えている。カイムに『声』で訊ねたところ肯
定の意が返ってきた。任務中、任務後の様子と今日の訓練で見た情報を踏まえた、彼なりの結論はドラゴンの
それと一致していたらしい。
 つまりなのはたちの「任務」は、長期戦を前提としていない。
 昨日の空で見たなのはやフェイトの攻撃魔法はほぼ直線一方向のみで、ヴィータの鉄鎚を受け止めるスバル
の防御は一対一とはいえ、後方への意識の払いが甘い。その外にも足元や頭上など、個人差はあれどどれもみ
な、どこかに隙が見つけられた。
 逆にいえばそれは意識の集中であり、一撃の威力を上げれば単独撃破、短期決戦には強力な武器となろう。
逆に次々戦力を投入された場合を考えると、隊長はともかく新人たちにはどうしようもあるまい。
 一対多の戦いを繰り返し、最後まで生き抜くことが目的だったカイム達とはまるで真逆の力だ。

「……そこまで考えて我らを誘ったのなら、あの娘も大したものだ」

 足りぬものは外から持ってくる。実に合理的な考えだ。
 そうなのかとはやての顔を一瞬思い出し、そして首を振った。聞けばわかるが、それもどうでもよいこと。
 鉄屑の襲撃はあっても、問題ではない。どうせ赤子も、操られた帝国兵の大群も、もういないのだから。
 対人海戦術に特化した自分たちの、特にドラゴンの力が、使われぬのならそれでいい。
 それでいいのだ。



――きゅる……
――……あ……、左だっけ、フリード? す、すみません、カイムさんっ……


「…………」

 カイムの名を呼ぶ者が。
 ドラゴンを師と慕う者が。
 キャロだけではない。世界にたった二人残された者たちに、お互い以外に何の打算も悪意もなく語りかける、
喪われてしまった者がここにいる。
 穢れの無い幼子が、手を優しく引いて歩く。この男にあるはずのかったそんな未来が、ここにはあるのだ。

「今宵は冷える。寄れ」

 優しさなどでは決して救われぬこの男も、癒されることはあるのかもしれない。
 カイムの心に生じつつある、微かな変化。それを見抜いたドラゴンは、ひそかにそんな事を考えていた。


 人を滅ぼす主の意志も、呪われし契約者の手も、この世界に及ぶことはない。ふたりはそう信じていたのだ。
 この時は。



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