殺戮の衝動を、己の意志に従えられるかどうか――竜に向けられた彼の『声』は、
それを確かめたいと告げていた。
 カイムの精神は苛烈すぎる戦いの中で、人間の正常の範囲から一度崩壊してしまっている。
復讐に身を焦がして人を斬り続ける内に、いつしか「人を殺すこと」そのものに快楽を覚えるように
なってしまった。
 最近になってようやく安定してきてはいるものの、それでも先のガジェットの奇襲の時に、
決して己の中の獣がなりを潜めたわけではないと思い知らされた。
 だからこそ今回の手合わせを、「模擬戦」とやらを諾した。
 その試合は魔導師の一部が待ちに待ったものであったが、竜騎士カイムにとっては実験を兼ねていたのだ。
 実際、連れてこられた訓練場で、彼は愛剣を抜いたものの、手合わせでは攻めの手を高速の火球、
ブレイジングウイングの連撃のみにとどめた。
 相手を舐めていたのではない。逆に脆弱なあの鉄屑とは違うと、相対した時に認めたのだろう。
ある程度力を持つ者に自ら手を出すことで、檻が爆ぜるのを恐れたのだ。
 戦いは、序盤はほぼ拮抗。
 契約者の鋭敏な感覚は「敵」の攻撃をかわし続け、集束も圧縮もしない火球はダメージこそ少ないものの、
動きを止めるのには十分だった。
 反撃はあったものの、最初は問題にならなかった。カイムの反応速度は既に人間の域を超えている。

「何なのだ、これは?」
「これは……何?」
「ヴィータちゃん?」

 しかし戦意の高揚を見せる相手が、火炎ごときで足を止めるわけがなく。
 むしろ単調な攻撃に、自分をなめているのかとさらに奮起する始末。それに何やら恨みでもあるのか、
ヴィータの白兵戦は普段より一段も二段も激しかった。
 唸りを上げて振るわれる鉄槌が続けざまに胴を掠め、高速の火球は彼女の防護服に次々と弾かれていく。
気が付いたら殺していたという事態だけは何としてでも避けなければならなかったが、戦況はカイムにとって
あまりにも不利すぎた。
 気迫の分だけ増した隙に的確に火炎を叩きつけていくが、しかしあの布の鎧がどうにも破れない。
己の攻めの手を封じたカイムの方がジリ貧になるのは、当たり前の話だった。
 ヴィータとて、出し惜しみをしてなんとかなる相手ではなかったのだ。

「……え……っと……」
「…試合になっておらぬな」

 そして劣勢が確定した頃になって、ようやくカイムは火炎以外の魔法を使った。
 短剣「地竜の鉤爪」に封じられた呪術、クロウオブアイアンウィドウ。乱入したあの任務で、フェイトたちの
相手だったガジェットドローンの群れを圧し潰した、鉄球を空に呼ぶ魔法。
 小柄なヴィータの体を一回りも二回りも超える、八個の鉄球が宙に出現する。
 自分の足元に落ちる影に気づき、横っ飛びに回避するヴィータ。そのすぐ側を黒い塊が物凄い勢いで掠め、
さらに次の球が背後に落下し、訓練場のアスファルトを粉々に砕いていった。
 チッ、とカイムから舌打ちがこぼれる。
 放ったのは今使える全ての魔法の内、発動までの溜めが最も短いものの一つ。
それを、地面の影で察して、反応するとは。
 今までの戦いで見た防護服、バリアジャケットとやらの性能を酌んで割と多めに魔力を練っておいた筈だった。
防御力を過信していて取れる速度の回避ではない。はやてという女が言っていた、
「守護騎士」の名は伊達ではないということか。
 それでも今のところ、威力のある魔法を使ったからといって、精神のタガが外れてしまうわけではないと確認できた。
 魔力の消費は小さくないが、「未曾有の戦い」を経て膨れ上がったそれにはまだまだ余りがある。
追撃でもう一度、更に魔力を注いで鉄球を呼び出そうとして。
 それは起こった。

「……あの小娘、一体何をしておるのだ?」
「わ、私に聞かれましても……」

 ヴィータが戦闘を放棄した。
 口に出してその意思を宣言したわけではない。しかしそれは行動で示された。
 倒すべき(模擬戦上)不倶戴天の(個人的に)敵を前にして、それを無視する事は戦うことを棄てたと
見なされる。ヴィータがしたのは、まさにそれであった。
 具体的に何をしたか。
 確認しよう。ヴィータは自分で決めた事とはいえ、今目の前にいるこの男のおかげで、
毎朝毎朝都市部のパトロールをしてきた身である。
 そのうえ、目当ての「不審者」カイムはさっぱり見つからなかったのである。もちろん部下たちに
見せるようなヘマはしないが、友人や主が察していたように男への苛立ちは日々募り、ストレスは
溜まっていく一方。

――目の前には黒光りのする、見たこともない大きな鉄球。

――手には鉄槌。邪魔はいない、いるかもしれないがもう頭にはない。

 ストレスを解消するもの、人によるがそれは一般に「趣味」と呼ばれることが多いのである。
そして、ヴィータの趣味は――


「おおおおりゃああああっ!」

 物凄い勢いで振りかぶったグラーフアイゼンが、自分の身長を超える鉄球の芯を打ち抜いた。
 カイムを狙ったわけでもなく、まるっきりあらぬ方向へ飛び去る黒い球体。
 まっさらな平地では味気ない、障害物用にでもと用意されたビルを打ち抜き、三つ、四つと貫通したところで
ようやく失速して落下する。

「一度、一度やってみたかった……ッ!!」

 俗な例ではあるが、たとえばショッピングモールにある買い物のカート。
 人を載せて思い切り発射してみたいと思った事はないだろうか。
 人間、少なくとも普通の人格を持つ者の多くは、法に触れる事はないが「常識的にやってはならないこと」の
誘惑に多かれ少なかれ駆られるものである。
 言うなればそれは巨大ビリヤード、いや彼女からすれば巨大ゲートボールだろうか。
妙な衝動に襲われたヴィータは最終的に、模擬戦ではなくストレスの発散を選択した。
 少女は不審者より趣味を選んだ。
 自分の魔法が遊びの道具にされるのは流石に気に食わないのか。意味不明な光景を眺めていたカイムも、
これでも喰らえと言わんばかりに鉄球の魔法を連発する始末。

『だぁぁああらああ―っ!!』
「ヴィータ、パトロール続きで結構苛ついてたしなぁ……カイムさんのこと、捜してたみたいやし……」
「カイムが告げた、街で後を追ってきた妙な幼子とはあやつの事だったか」
「恐らく……」
「……どうする心算だ、白」

 こうなってしまうと、もう模擬戦どころの話ではない。ため息混じりにドラゴンが言った。
 一体誰の事か、一瞬皆判断に迷う呼び名。
 しかし視線の先にいるのは一人で、ドラゴンと面識のある、白い魔導師と言えば。

「シロ……わ、わたし!?」

 鳴り響く鉄球の轟音の中で、愕然と声を上げるなのはであった。



「…………」
「た、楽しくなんかなかったぞ、楽しくなんか!」
「……まだ、何も言ってないんですけど……」
「ぐっ」

 戦闘ですらなくなった、馬鹿馬鹿しい手合わせが終わった後。
 というより埒が明かなくなって強制的に終了となった後、いつものように、
または無視した気まずさに口を開けず、無言のまま帰ってきた剣士と鉄鎚使い。
 そのうち鉄鎚の方に視線が集中し、慌てて返した言葉はスバルに切って捨てられた。

「まあいい。娘、話を続けるぞ……戦力を限る、と言ったな?」

 まったくやれやれといった様子でドラゴンが言う。それを追って視線がヴィータからあさってに外れた。
 この時ばかりは、ヴィータはまだ信用していないこの竜であるが、本気で感謝したという。

「はい……機動六課の保有戦力は、これでもリミットぎりぎりで……」

 答えるはやての声は小さめだ。勧誘に成功し、そして模擬戦の相手を選ぶことになった時点では
喜びやら焦りやら何やらですっかり頭の中に無かったが、模擬戦の中でデータを測定するリインを見て
気付いたのである。
 一部への戦力の集中を避けるという理由で、管理局内で一部隊の保有できる魔導師のランクには
ある程度のラインが定められている。
 そのためはやてをはじめ、なのはやフェイトといった隊長クラスの魔導師たちは皆本来のランクを
抑えるべく、魔力を封じるリミットが今も課せられているのだ。
 ドラゴンに関してはキャロとフリードと同じ関係ということで申請すれば、事なきを得ることは可能だろう。
確実かどうかはやってみなければ分からないが、彼らを知るクロノにでも口添えを貰えばそのくらいは
きっとどうにかなる。
 だがその場合、ドラゴンを使役する立場として扱われる、カイムについてはそうはいかない。
 先程の模擬戦では序盤は攻撃手段と魔力の限定、終盤はもはや戦闘の様相すら呈していなかったという
こともあって、一応データとしては規定を超えてはいなかった。しかし実際管理局に嘱託するには試験を
受けなければならず、そこにおいては恐らく誤魔化しは効くまい。
 そう。よほど強力に、魔力を封じでもしない限りは――

「問題無い。詰まるところは、魔力を抑えれば良いのだろう?」
「へ? あ、はい」
「……だそうだ。カイム」

 考えそのものをずばり当てられて、どこか抜けたような声を上げるはやての横、カイムが静かに目を閉じた。
 何をと思った次の瞬間、あっ、と幾つか声が上がる。
 その体から魔導の気配が、感知の最小まで消え失せたのだ。

「一時は手こずったが、今は魔力の制御なぞ造作も無いこと。牙すら隠せぬ愚鈍の輩が生き延びるほど、甘い生を送っておらぬ」

 魔導師たちが知る術もないが、強者ひしめく空中要塞をはじめ、カイムたちの戦いは敵地での遊撃が主であった。
 大きな戦争のないミッドチルダの、その中でも潜入が必ずしも前提でない機動六課の面々よりも魔力の隠遁に長けてい
るのは必然である。
 それに。そうでなければ、とうに赤子に喰われている。

「…………」

 開いた口が塞がらないとはこの事だ。一体どういう生活を送れば、これほどの隠密を体得できるというのか。

「これで文句は無かろう。それにどうせ、先の手合わせでは何の記録も取れてはおるまい?」
「あ、はい。魔力量しか……」
「全てを解放した訳ではない。その量も高が知れていよう……御蔭で動きやすい。その点では、そこの小娘はよくやった
と言うべきか」
「……楽しんだ割には」
「ちっ、違う! 楽しんでなんかないっ!」

 じっとりとした視線を向けるシグナムに対し、ヴィータが慌てて否定する。
 しかしあれだけ暴れ回った手前、信じる者はいなかった。


 話もついたということで、その後集まりは一旦お開きとなった。
 気が付けば、陽が高く昇っていた。昼食の時間が近くなっていたのだ。
 午後の教練を見に来ると約束を取り付けると、カイムとドラゴンはさっさと森へ帰ってしまった。人目に姿を晒すのを
あまり好まないのか、それとも自分たちを信用していないのか。

(目立つからやな、多分)

 隊長格の魔導師、なのはやフェイト、そしてリインを交えた食事を楽しみながら、はやてが結論したのは前者だった。
 欠片も信用されていないのなら、恩があるとはいえそもそも力を貸すような話も出ては来るまい。
 キャロの件もある。ドラゴンが彼女を見るときの目は、なるほど確かに師が弟子を見る穏やかさが感じられた。
出会ってから日は浅いが、ひょっとしたらいろいろ気を揉んでくれているのかもしれない。

「……で、なのはちゃん……どうしたん?」

 あまり考えても仕方がないか。そう思って顔を上げると、やや控え目に盛られたスパゲティの皿の向こうには、
なのはの沈んだ姿があった。
 その周囲からはずーんと暗い空気が漂っている。見かねたフェイトが何やら慰めているようだが、
伏せられた顔が上がってこないとかろから察するにあまり効果は無いらしい。

「…………シロ…………」

 小さく呟く声は、本当に暗かった。

「……ま、まあ、さすがにあれは酷かったかもしれへんな」
「な、なのは、悪気はなかったんだよ、きっと」
「……あの後、散々からかわれた」
「あ、あはは……」

 それを言われると、二人とも笑って誤魔化すしかない。
 なのはが言っているのは、去り際ドラゴンと交わしたこんな言葉だった。

――この世界の魔導にも興味がある。昼の鍛錬とやらに顔を出すが……構わぬな、白?
――しっ…あ、あの、できれば、違う呼び方に……
――何だ、白。
――〜〜〜〜〜〜っ!

 不幸中の幸いは、新人たちを先に帰らせていたことか。
 どう聞いても、ドラゴンに弄ばれているようにしか聞こえない。
もし新人たちに聞かれていたらと思うとぞっとする。

「……フェイトちゃん……わたし、犬みたいに見えるのかなぁ……」

 カイムに出会うまで基本的に人間と距離をおいて生活してきたドラゴンからすれば、
数少ないまっとうな知人であるが故の行為である。
 それにドラゴンがペットの名前の定番など知る筈もなく、ただ狼狽するなのはを弄って遊んだだけだ。
しかし当のなのははそんなことは知らない。
 管理局において名実ともにエースオブエースと評され、実際多くの任務を経験してきたが、
さすがにペットみたいに呼ばれたことはなかった。
 相当ショックだった。

「……」

 そして当然、問われたフェイトがそれを聞いたことも有る筈はなく。
 ふと、家を守っている己の使い魔アルフの姿を、頭の中で重ね合わせる。
 栗色の髪からぴょこんと飛び出た耳。
 純白の衣の向こうでふわふわと揺れる、長めの尻尾。

「…………」

 ――それはそれで、いいかも。

「……うぅ」
「あ、み、見えない、全然見えないから元気出してなのはっ!」
(……リイン、さっきの映像って記録しとった?)
(い、いえ、でも音声なら)
「は、はやて!」

 一瞬あらぬ方向へ走りかけた自分の思考をバルディッシュで天の彼方まで吹き飛ばし、フェイトは必死になって叫んだ。

「わ、悪ふざけはの辺にしといてやなっ……あの人達、どう思う?」

 さすがに拙いと気付き、いい加減に真面目な話に切り替えるはやて。
 語気が今までの冗談混じりのものから「部隊長」としての真っ直ぐなものへと変わり、
フェイトは立ち上がりかけた腰を再び椅子へと戻す。
 鬱屈していたなのはもまた、遅れてではあるが普段の調子を取り戻して顔を上げた。
仕事とプライベートの切り替え。手こずりはしたが、基本である。

「……まだ、力は隠してたと思う」
「あそこまで魔力の制御が完璧だと、データもちょっと信頼度は低いです」
「うん。私も……ヴィータちゃんに聞いたけど、本気を……『出したいけど出したくない』みたいだった、って」

 フェイトとリイン、続いてなのはの意見は一致した。そこに唯一の模擬戦経験者ヴィータの言葉も加味すると、
同じ見解に四票が集まったことになるか。
 そのヴィータは現在、シグナムと一緒に自分の食事を調達している最中である。何でもシグナムが、
聞きたいことがあるのだそうだ。想像はつく。大方、カイムの腕についてであろう。
 ……しかしそうだとすると、シグナムはモニタリングを見ていたにもかかわらず、
わざわざ尋ねに行ったことになる。
戦い方に疑問をもったという点では、もう一人増えたと言えよう。そしてそれは、はやても同じこと。

「……『出したいけど、出したくない』?」
「うん。そう言ってたよ」
「信用されてないってことやろか?」
「でも……それだったら、『出したい』の説明がつかないと思います」
「まだ事情を詳しく聞いた訳じゃないし、仕方ないのかも……」

 それもそうかもしれない、とはやては思った。言われてみれば確かに乱入の理由や事情は
模擬戦の間に聞くことができたが、そういえば彼らの過去や、素性は未だに白紙のままだ。
 キャロはどう、とフェイトに聞いても「特に何も聞いていないみたい」という答えしか返って来ない。
頼みの綱といえば残るはクロノだが、なのはによれば彼からも情報は得られていないそうだ。
 となれば、自分たちで訊いてしまった方が早いか。

「今度、聞いてみよっか」
「せやな」

 幸い助力は約束してくれたのだ。無理な詮索さえしなければ、話してくれる機会は遠くはあるまい。
「戦う以外に出来ることはない」とはドラゴンの言だが、共同戦線を張るのに互いを知ることが鉄則なのは
言うまでもないし、ドラゴンだって承知のはずだ。

「それにしても……前も言ったけど、素性も知らずによくキャロを任せる気になったなぁ」
「あはは……それは、シグナムさんにも言われたけど……」
「でも竜召喚なんて技術、私たちには無いから」

 フェイトが思い出しながら言い、なのはが言葉を引き継いだ。

「専門かは分からなかったけど。少なくとも、私たちよりはキャロに近いしね」

 そう言った顔には一点の陰りもなかったが、はやてもフェイトも、皆忘れてはいない。
 正式な訓練も受けず、過酷な戦いを続けてきたが故の、とある事故の事を。

「……せやな。けどまあ、エースオブエースの人を見る目は正しかったみたいやな」
「人じゃなくて竜ですよ、はやてちゃん……」
「……そのドラゴンに散々遊ばれちゃったけどね……」
「ああ、またなのはが欝モードにっ」

 己の過ちを二度と繰り返させない。その最大の配慮をもって、なのはは今も新人たちを導いている。
 スバル、ティアナ、エリオとキャロ。少年少女たちにとって、これ以上幸せな環境はあるまい。

(せやな。無理は、あかんな)

 あの竜と竜騎士が、なのはの力になってくれれば。はやては心からそう願った。



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