森の朝は早く、応じて住まう者のそれもまた然り。さらに付け加えるならば日々己に訓練を課し課される、新人魔導師
たちも行動開始は早いものだ。
 神の最大の落し児から世界を守った竜と竜騎士の住む、静謐平穏な森の奥。涼しい、というよりも肌寒い早朝である
が、やはりここでもそれは当てはまるようだ。静けさの残る木々の間から、しわがれた声とあどけない少女、小さな竜の
高いそれが聞こえてくる。

「力を恐れ、止めるのではない。常に一定の力は解放するのだ」
「はいっ」
「封印を解きつつ、抑える最小を見極めよ。……フリードリヒ、おぬしが力を抑えてどうする」
「キュッ」
「我が見逃すと思ったか。主を想うなら全力を出すのだ……おぬしも一度、気の向くままに空を飛んでみたかろう?」

 白き竜の口の前には火炎の吐息が漏れ出し、その周囲には少女の髪の色と同じ桃色の魔法陣が環をなしている。
 あの日から、つまりフォワード組が謎の火炎に追い回された翌日のことだ。力への恐怖を克服し、相棒を窮屈な現状か
ら出来るだけ早く解放したいと願う少女の決心は固く、未だに疲れの残る身体を引きずり朝早くから寮を出て、キャロは
再び森を訪れていた。
 昨日は結局火球に追われるだけ追われ、這う這うの体で逃げ帰っただけでドラゴンからは何の教えも得ていないに等し
かった。そんな事情があったのでもちろん今回は、森の入口にて念話を飛ばし竜の『声』と話をつけるのを忘れてはいな
い。流石に二日連続でレベルアップの機会を逃し、火焙りになるのは御免であった。

「どうにもならぬか」
「す、すみません」
「きゅる……」
「おぬしらの御せる範囲では、ガジェットとやらを焼くには到底足りぬぞ。守りたくば迷うな。召喚士の肩書きが飾りで
 ないのならな」

 早朝からの訪問に拘わらず、ドラゴンの言葉は丁寧であった。
 曰く「退屈しのぎに丁度いい」そうだ。しかしキャロにとってはその退屈しのぎも、この上なく価値のある教えとなる。
実際この一時間でフリードリヒの火炎の制御は確かに以前より良くなっていたし、集中すれば二つに一つは、本来の威力
に近いブレスを生成することさえできるようになっていた。相談してみてよかったと、心からそう思った。

(で、でも……何だか不満そう……)
(きゅくぅ……)

 ただ、それでもドラゴンの満足には到底至らない。
 ドラゴンからすればいったん引き受けた以上、中途半端な協力は以ての外だ。暇潰しとはいえ魔導師を導くのならば、
己の目に適うまでに育てなければ自分の誇りが収まらない。
 そのためにまず一部、火炎にかけた封印の解放と制御を行わせたが――力を出すことを恐れているというのは本当の
ようで、なかなか全力のブレスが出来上がらない。
 力を解放することに慣れ全く戸惑いを持たないドラゴンとしては、なかなかに焦れったい光景であった。

「……娘、一度封印を解放してみせよ。完全にだ」
「え……ええっ??」
「おぬしの力如きでは、我に傷一つ負わせられぬと知れ。さすれば少しは恐怖も消えようぞ」
「で、でっ、でも……」
「……よもや今のおぬしらが、我が翼に敵うと思ったか? そうか。面白い」
「そっ、そうじゃなくて、いえ、ですから……」
「…………」

 あわあわと手を振る駆け出しの魔導師に背を向け、カイムは静かに森を後にした。己の楽しみを見つけた竜にちらりと
やった視線は、深く、そして静かだった。


「全く、そんなどこの馬の骨とも知れない……い、いや、人語を解する竜となれば話は別か、そうだな」

 六課オフィスで偶然フェイトとすれ違い、キャロが喋るドラゴンと沈黙の剣士に竜繰りを師事することになったのを聞
いた、烈火の将シグナムの反応はこうである。
 当のドラゴンが聞けば全力でブレスを吐かれそうな発言をしかけるも、一瞬思い直して言葉を改めた。実際そう思
ったというのもあるが、目の前で聞くフェイトの顔がしゅんと沈み始めたのが大きかったらしい。

「……それにしても、思い切った事をしたな。初対面の相手に」
「いえ、キャロが頼んだそうです……私は後から聞いただけで」
「それでも、だ。なかなか許せるものでもないだろう」

 手放しにして褒められる話ではない。しかし、シグナムはその点では感心していた。
 良い師とは必ずしも良い指導をする者を指す訳ではなく、最適な指導者を弟子につける者をいうのだ。
 己が適切に指導をしてやれるのなら越したことはないが、残念ながらキャロの召喚、特に竜召喚の場合はフェイトも、
教導を取り仕切るなのはですらそこに当てはまらない。
 その竜と竜騎士、カイムとやらが彼女の竜召喚に通じているとまでは思わないが、彼らという存在が少なくとも、誰よ
りそこに近い場所にいるのは間違いない。ならばキャロの成長には、基礎訓練以外の時間に彼らから教えを受けた方がい
いと考えるのは至極当然の事。
 そうは言うものの、自ら素直にそれを実行できる人間はなかなか居るものではない。高レベルの魔導師ともなれば、自
分のプライドが邪魔をすることだってあるのだ。

(…………)

 しかし実際、フェイトはシグナムが言うほど割り切っていられたわけではなかった。
 そもそもの話、エリオとキャロが戦いの世界に出ることすら望んでいなかったのだ。しかし彼らの熱意に押され、なら
ばせめて自分の隊にと上役を買って出たはいいが、今では肝心の教導すらなのはにほぼ任せきりになってしまっている。
 そこに降って湧いた、キャロのドラゴンへの師事。
 聞いた当初はシグナムの言う通り、キャロにはそれが望ましいと思ったし単純に嬉しかった。しかし今考えてみれば、
そして思い出すほどに、自分を情けなく、二人に申し訳なく思ってしまうのだ。
 保護者として一緒に居る時間も取れず、魔導師として力を貸すことも満足に出来てはいない…そんな現実を、改めて突
き付けられた気がして。

「テスタロッサ」
「……」
「……そう暗くなるな。あの子たちが見たら心配するぞ」
「はい……」

 溜め息の一つでも吐こうかといった雰囲気になりはじめ、シグナムがその肩にぽんと手を乗せた。
 この金髪の魔導師がエリオとキャロをいかに気にかけているかは、よく知っているのだ。
 親愛の情は言葉に移る。気を許す者には意外にもフランクな一面を見せる騎士の慰めに、悩めるライトニング分隊長の
気分は少しだけ軽くなる。
 ……と、空気を読んだシグナムはここで話を変えようと、こう切り出した。

「しかし、ドラゴンはともかく。どうだ? 竜騎士の方の腕は」

 刹那の硬直。

「……それは、模擬戦で見たかったんですけど……その」
「……?」
「う……」

 そこに及ぶと、声が小さくなる。
 その竜騎士の水浴びを入水自殺と勘違いし、ドラゴンから思い切り笑われた後だったのでまともな精神状態ではなく、
すっかり注意散漫になっていました……とはさすがに言えまい。

「……とにかく、私も一度会ってみよう」
「そ、そうですね」
「迎えに行くついでにな。……っと、ヴィータか……何? 不審者?」

 言いにくそうにするのを見て、何かあったのだろうと踏んだシグナムが話を止める。そしてタイミング良く入った通信
音声に耳を傾けた。金髪の魔導師はほっと胸を撫で下ろした。


 今日も今日とて戦闘データの整理に明け暮れるなのはに差し入れでもしようかと思い立ち、この日鉄槌の騎士ヴィータ
はたまたま都市部へ出てきていた。
 普段から多忙な日々を送っているなのはであるが、連日の教練に蓄積したデータの処理も相俟って、ここ最近の彼女の
仕事は減るどころから増える一方だった。本人は大丈夫と言い張るものの、間近で見ている身としてはこちらの頭の方が
くらくらする位だ。
 そんな状態の若き隊長に、心配になるのは何も不思議な話ではない。それに幸いというべきか午前中は教練の予定もな
かった。そういえば最近新しく栄養ドリンクが出たっけかと思い出し、ついでに小さな妹分にも何か買ってやろうかとオ
フィスを出たのだが――

(……怪しい)

 ――その視線の先には先程から、一人の男が留まっていた。
 ヴィータからして、男は遠目に見ても怪しかった。怪しいと一言で片付けてしまうのも躊躇われるほどに。
 服の下、首から見える肌の上には帷子の銀色がちらちら目に入り、腕は手首から肘先までを厚手の籠手がすっぽり覆っ
ている。さらにそれ以上にこの男を一際目立たせているのは腰に下げている物体、明らかに刀剣とその鞘とみられる何か
だ。デバイスか何かかもしれないが、それにしたって普通人の目につかぬよう小型化しておくはずである。
 そんな異様の男が、そびえ立つビルを何をすることもなく眺めている。どこからどう見ても怪しさ爆発であった。道行く
人々も鈍感ではないらしく、近くを通る内何人かはわざわざ振り向いてから行くほどだ。

(あいつ、……あ、入った……?)

 とはいえ不法入国者がこんなに堂々と街中を歩いているとは思えないし、どこぞの爆弾魔が爆破予定の建物を見に…来
ているにしては目立ち過ぎである。声をかけることもできず見ていたヴィータだったが、しばらくすると男はとある店に
目を向け、たかと思うとドアを開けた。
 追うヴィータ。人混みを抜け視線の先を目指し、目の前に現れた店、そこは寂れた洋服屋だった。
 あんな所に何の用だろう。ウインドウのガラス越しにはカウンターの向こうの店主が訝しげに男を見ているのが目に入
るが、どうやら彼らに繋がりがあると言う訳ではないらしい。ますます疑念が募り、ヴィータは店の外で見張ることにした。

 しかし男は、その後しばらく待ってみても一向に店から外に現れない。
 十分待っても、二十分待っても何も変わった様子はない。ウインドウからは店内の様子は見えず、当然ながら男の姿も
確認はできない。そうしているうちに痺れを切らし、ようやく中に入ったヴィータが見たのは…

「……に、逃げられた……」

 もぬけの殻だった。小さな店内にいたのは、たった一人たたずむ店長の老人だけである。

「あン?」
「な、なあ、さっきここに来たヤツ、どこに行ったか知らないか?」
「……そこの裏口から出てったよ。外套だけ買ってったな、妙な男だった」
「あ、あたしとしたことが……!」

 いきなり現われた上に奇妙な質問をされて一瞬眉を寄せる老人だが、慌てているのを酌みとってやるくらいには人間が
できていたらしい。
 ともかく店主は嘘偽りなく答えを返し、それを聞いたヴィータは裏口から外に飛び出した。しかし当然ながら、男の姿
などどこにもない。

「シグナム、不審者を見かけた! 腰に剣さげた変な男っ!」
『剣を? ……というかヴィータ、何を怒っている?』
「あいつ、あたしが尾行してたのに裏口から逃げやがった! 絶対捕まえてやる!」
『は?』

 ただ今は、この男との出会いに感謝することになるなどと、ヴィータは夢にも思っていなかった。


 そんな理由でシグナムが急遽ヴィータのもとへ出ていってしまい、フェイトは一人でキャロを迎えに行く事になった。
 しかし、あの竜騎士と顔を合わせるのはまだ恥ずかしい。
 森に入る際聞いたドラゴンの『声』によると、カイムは今森の外へ出ているということだった。ならば今のうちに、と
心なし早歩きで木々を抜け、キャロの待つらしい湖へと急ぐ。

「……キャロ、だいじょ……寝てる?」

 湖岸に下ろした木の根に体を預け、キャロは穏やかに寝息を立てていた。
 着ている訓練着は所々が煤けて黒い。まさかドラゴンの炎に焼かれたのかと腕を捲ってみたが、綺麗な白い肌に火傷の
痕は見られない。どうやら単に、疲れて眠っているだけらしい。

「きゅる……」
「大丈夫?」

 傍らで羽を休めているフリードリヒも疲労困憊といった様子で、こちらは目を開いているもののいつもの元気がない。
とはいえ声が出せるところを見ると、完全にグロッキーという訳ではないようだ。

「……おいで。一緒に帰ろう」
「きゅる」
「明日はなのはの全日訓練だから、ちゃんと休まないと駄目だよ? ……エリオも、無茶してないといいけど……」

 声をかけると白竜は浮き上がり、金髪のかかる肩にふわりと留まった。その背に負われたキャロを気遣うように見つめ、
しかし自身もそう余裕はないようで、そのまま顎をつけてへたりこむ。

「……おつかれさま」

 追う子を振り返る、静かなその表情は慈愛に満ちていた。
 不可視となった一人の男が、ふと目を向けるくらいには。



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