白き魔導の装束を身に纏い、高町なのはは顔を真っ赤にして俯いていた。
 その頭上からは心底愉快そうな、しわがれたドラゴンの声が容赦なく響いてくる。恥ずかしさに耐えられなくなって
ちらりと横を見てみると、目に入ったのは更なる紅色、トマトのようになった首筋であった。
 当然の話だ。水没しつつある男の姿を見つけたのは確かになのはだ。そして彼女も男が溺死を望んでいるものと勘違
いしたのは事実だが、飛燕の如き疾さで迫り「救出」したのはフェイトなのだ。背中を向けた男の姿すら直視できてい
ないが、これも仕方のない話である。

「どうだカイム、自殺志願者となった感想は」

 つまり二人は今、後からやってきたキャロに事情を聞かされてとんでもない勘違いに気付き、案内された先に居たドラ
ゴンから大いに笑われている最中であった。

「………………」
「……す……すみません……本当に……」

 沈黙し背を向けているカイムに、なのはが蚊の鳴くような声で言う。契約者の跳躍力と心肺機能があるからと鎧も脱が
ずに水に入ったカイムが悪いといえば悪いのだが、それでも滅多なことで他者を責めない二人にそんな考えは浮かばない。
 横のフェイトなど黒布のバリアジャケットを着たまま、微動だにできず硬直している。自分も近い状態ではあるが、も
ともと恥ずかしがりな上に目尻に涙まで浮かべて説得にあたり、さらには先に帰っていったキャロが笑いを堪えるのを見
ていた親友はもはや口を開くことすらできないだろう。沸騰しそうな頭でも何とかそう想像できたが、それは正しくその
通りだった。

「謝る必要なぞ無い。気に入った、傑作よ!」

 己の意識から外れたものが笑いを引き起こすという、ずれの理論を唱えた者が人間にはいる。それが真実なのかを知る
術は無いが、少なくとも今のドラゴンにとっては当たっていた。
 確かにカイムが、生まれてきて良かったことがあったかと問われれば、九分九厘で答えは「否」だろう。しかし男は死
を望んだことは一度足りともないし、ドラゴンもそれは知っている。
 契約する以前のドラゴンはともかくとして互いに信頼を寄せるようになってからは、お互い何としてでも生き延び、抗
い続けるのが当然だと思っていた。自殺の二文字は二人の辞書には何処にも載っていない、だのに赤の他人からそんな風
に認識を受けた…ドラゴンをして笑いを呼ぶのに十分だった。

「…………」

 他方のカイムは、実を言えば自殺者扱いされたことはどうでもよい。
 それよりも戦場で見逃すはずのなかった、他者の接近を見落としたことが彼にとって衝撃だった。さすがに剣の間合い
に迫られた時点では気付いたが、それでも腕の重い水中では致命的である。しかし感が鈍ったかと言われれば、森でたま
に襲ってくる獣への反応を考えるとそんなことはないと言える。
 カイムは知らない。
 感じられなかったのだ。闘気と敵意には確かに鋭敏だが、善意を孕む気配は久しく触れていない、それゆえに。

「戯れは止そうか。娘ども、何用ぞ」

 ……思う存分に笑われたなのは達に助け船が出たのはおよそ一分後、そろそろ恥ずかしさで消えてしまうかも知れないと
思った頃合いであった。タイミングの点を言えば遅すぎるくらいだったが、それでも羞恥からの解放が二人に安堵を与え
たのは言うまでもない。

「こ、こほん……クロノ君……いえ、クロノ・ハラオウン提督からお話を伺いました。三日前来訪した竜と人、あなた方で間
 違いありませんか?」
「堅苦しい言葉は好かぬ。問いについては相違ない」

 詰まったものの咳払い一つで普段の調子を取り戻せるのは、やはり勤め人の為せる業、といったところだろうか。

「あの男からは何も聞かなかったのか。我らがこの場所を追われる道理は無いぞ」
「あ、いえ、会いに来たのは、個人的に気になったからで……」
「……尽く竜を恐れぬとは、妙な人間どもだ」

 竜といえば恐怖と畏敬の対象。連合軍でも帝国の敵についてもそれが当たり前だっただけあって、ドラゴンにとっては
なかなかに新鮮な反応だ。
 時空監理局で働く中で違法魔導師を取り締まる際、不正に召喚された魔法生物と何度も戦ってきた二人である。さすが
に人語を話し確固たる理性を持つドラゴンと出会ったことは未だになかったが、竜そのものと相対したことは初めてでは
なく、そのような体験に乏しいキャロのように腰が抜けそうになる、とまでは至らなかった。

「して、目的は何だ」

 と、言われたなのはは固まるしかない。
 単なる物見遊山で来たわけではないのだ。クロノから竜と人の情報を聞いた時、すぐに思ったのはまず間違いなく監理
局の庇護に入るか、もしくは魔法の技術を買われて監理局で働くことになるだろうということであった。
 とりあえずクロノの話では悪人かどうかは分からないとのことだったし、カイムもドラゴンも、とくにカイムの方は自
らの復讐と快楽のために、幾千幾万の敵兵を灰にしてきた身である。さらに言えば「封印されたくなければ従え」と言わ
れてはいそうですかと頷くほど大人しい性格はしていないのだが、ともあれなのは持ち前の好奇心は自分の目で確かめる
を良しとした。
 異世界からの来訪、それはロストロギアの可能性を孕むのだ。
 クロノは否定したが、それでも情報を得られる可能性はある。さらに巨大な魔力を持つ竜と竜騎士ということで、戦闘
技術にも興味をそそられるものがあった。自分たちと比べてという意味でも、助けになるかもしれないという意味でも。
 そんな色々な考えが合間って、彼等と直接会ってみたいと思った。できることなら、完璧に人手不足の機動六課の力に
なってもらえないかと考えた訳である。有り体に言ってしまえば唾を付けておこうと、言葉を選ぶならスカウトできない
かと期待したのだ。

「え……っと……」

 とはいえ人間など遥かに通り越した高き種の姿と、剣士の無言の威圧感(本人にその意図はないのだし言葉が使えない
のだから仕方ないといえば仕方ないが、それでもカイムの纏う空気の重さは十分圧迫感があった)は過去経験がない。
 森に入る前はどんな人たちだろう、優しい人ならもしかしたら協力してくれるかもとフェイトと仲良く話していたのだ
が、実際いざとなってみるとどう話を切り出せばいいのか分からなくなってしまった。

「すみません、あの」

 何から言うべきかと思案に暮れていたなのはの横、口を挟んだのはその親友フェイトだった。
 笑われ終わった後もしばらく口を開けずにいたのだが、ようやく復活したらしい。

「あの、キャロ、何を……」
「竜の子……フリードリヒと言ったな。同族の気配を察した己の竜が消え、捜しに来たのだ」

 そう聞くと、フェイトは納得したようにドラゴンを見、そうですか、と小さく呟いた。
 湖に現れたキャロからは事情を聞き損ねていた(というより恥ずかしくて顔すら合わせられなかった)ので分からなか
ったが、おそらくキャロもフリードリヒも、部族を出てから自分たち以外にドラゴンを目にするのは初めてだったのだろう。
同じ種族を見たら追いかけてしまうのは当然かもしれない。
 一方のドラゴンは、その声色に単なる上下関係を超える情を感じ取っていた。
 そういえば、キャロの親の髪の色は。思い出し、フェイトの金髪を見て問う。

「あの娘の養い親か」
「……はい」

 返答には若干の間があった。
 顔に陰りは見えないが、微弱に感じたそれは「親」という単語を聞いての反応だ。娘の話からおおよそ事情は掴めてい
るが、なるほど確かに負い目によるものと取れなくもない。
 確か普段なかなか家族として一緒に過ごす時間は無く、さらにキャロが戦闘に出ることを言い出した時も反対したと言
っていた。引き取りながらも良い親として振舞えず、その上危険な選択をさせてしまったのを気にしているのだろう。
 とはいえ、ドラゴンからすれば子供が戦いに出ることなどどうでもいい。
 まだ成人もしていない兵士など帝国にも連合軍にも掃いて捨てるほど居たし、実際にそれらを掃いて捨ててきた身だ。
そんなものを否定する気はない。
 全ての選択肢と可能性を与えられた上で戦いを選ぶのならば、それに他人が口を出す資格はない。問題はそれを他者が
強いることにあるのだ。
 だが少なくとも、このフェイトという魔導師からはそのような気配は微塵もなかった。むしろその瞳が小さな葛藤に揺
れるのを見れるくらいだ。恐らくは親と上役、所謂板挟みなのだろうとドラゴンは思う。ならば埋まらぬ河であるはずも
なく、然したる問題ではなかろう、とも。
 と。

「……」
「どうした、カイム」
「えっ?」

 唐突に、そして自分たちから見てあらぬ方向に掛けられた声に、なのはもフェイトも何事かと目を向ける。
 そして視線を追い、気づいた。今まで背を向けて我関せずを貫いていた剣士カイムが、赤き竜に視線を投げていたのだ。

「………………」

 カイムが無言のままドラゴンを見つめ、ドラゴンもまた視線を返す。その様子は互いに会話をしている時そのものだっ
たが、男の声帯が空気を震わすことはなく、竜もまた同じだ。
 音無き『声』の会話、内容は件のキャロだ。彼女が二人をこの場に案内した後、その去り際に妙な言葉を残したのだ。

「礼を? おぬしにか」

 竜の言葉に目を白黒とさせ、思わず顔を見合わせるなのはとフェイト。
 話の内容が分からないのもそうだが主たる驚きはその通信に対してである。竜騎士が口を聞けないということは聞き及
んでいたが、魔力を全く使わない意思の通信はクロノの話には出てこなかったのだ。
 そんな二人を他所に、無言の男と竜の話は進む。口を挟むこともできないので聞いていると、ドラゴンはこんな事を口
走った。

「あの娘が…いや、そうさな。一応は竜繰りの先人だ。教わる上の礼儀だろう」
「…………?」
「聞いていなかったのか。あの幼子、我等に教えを乞うたのだぞ」
「え?」
「えっ」

 なのはもフェイトも、これには思わず声を上げる。
 人柄を見てスカウト、などと考えていた二人である。まさかキャロがそれを口にしているとは思ってもみなかったし、
それが竜の口から出てくることはもちろん夢にも思わない。

「不服か」
「い、いえ、とんでもない!」
「私からも、是非お願いします」

 不服などとんでもない、むしろ願ったり叶ったりだ。
 召喚もそうだが、竜を使役し戦うのは機動六課にはキャロ唯一人である。スバルとエリオに近接戦闘を、ティアナに射
撃術を教えることのできる人間は確かにいるが、キャロ本来の力を理解してやれる人間は隊の中に一人もいなかったのだ。
 基礎体力や補助魔術についてはいくらでも鍛えてやれるが、それ以上は何もしてやれない。なのはも、そして保護者の
フェイトはより強く、ずっとそれを歯痒く思っていた。それを本物の、しかも知性ある竜と竜騎士が力を貸してくれると
いうのだ。二人にしてみれば喜びこそすれ、拒む理由などどこにもなかった。

(……不用心な)

 ただ、それがドラゴンにとっては逆に危うく見える。
 単に目が曇っているだけなのかもしれないが、カイムにもドラゴンにとっても、お互い以外の他人を一目で信じるなど
あり得ないこと。それをこうも容易く信を置き、娘を任せるものなのか、疑問に思った竜は一つ問いかけをした。

「我が邪竜で、この男が快楽殺人者だったらどうする心算だ。自らの娘をみすみす生贄にする気か?」

 果たして、

「えっ……えっ?」
「い、けにえ?」

無表情なカイムに頭を下げて口々にキャロを頼むと言っていたのが、急に「突拍子もない」事を言われて振り向き戸惑
う二人。
 本当に心から、そんなことは微塵も考えなかったらしい。
 悪いことではない。どこまでも良い世界を生きたのだなと、そうドラゴンは評した。





「ああーっ!」
「な、何なのは、どうしたの?」
「正式スカウトと模擬戦の申し込み、言ってみればよかった…」
「あっ」

 そんな訳ですっかり気を良くして帰途についた二人は、森を抜けたところでこんな会話をしたという。





 さて、話は翌日に移る。
 空は快晴、風はほのかに心地よい。その日はそんな、空を舞うには絶好の日和であった。
 そして幸い、この日の午後もまた自主訓練の時間。

「この辺りの……あった、あの湖」

 ドラゴンには「いつか」と頼んだだけだが、そんな最高の状況を前に若い魔術師の気がはやらないわけがない。案の定
キャロは午前の訓練を終えると機動六課自慢の訓練スペースから出て、フリードと共に再びあの森へと訪れていた。

「ここから西か……えっと、キャロ、結構かかる?」
「ううん、そんなに遠くないよ」
「ねぇねぇティア、竜種ってやっぱ火吐くんだよね! あ〜、楽しみ!」
「口の利き方に気をつけないと、アンタみたいなのは食べられるわよ」

 ただ計算外だったのは、そこに同僚のフォワードたちが皆ついてきたことであった。
 やはり皆、あの竜の行方が気になってはいたのだ。そこにきて午前中やけに張り切っていたキャロと妙にそわそわして
いたフリードの様子には誰もが首を傾げており、昼食を終えた途端どこかに行こうと立ち上がるのを見れば気にもなると
いうものだ。すると当然、

「あれキャロ、どこ行くの?」
「え、あ、そ、その……」
「そういえばフリード、なんかさっきから挙動不審だけど……どうかした?」
「キュッ」
「……あやしいわね。何かあったの?」
「あう」

あっという間に捕まった。そしてこの少女は基本的に隠し事など出来るはずもない。
 竜と竜騎士の話をキャロが洩らし、皆ついて行きたいと言い出すのは至極当然の反応であった。その上話に出たのが喋
るドラゴンときたものだからなおさらだ(これにはティアも思わず身を乗り出して聞き直した)。

(大丈夫かな……でも、ちゃんと話せばきっと……)

 湖岸をつたって西へと回りながらキャロは思う。
 自分が来ることを伝えてはいないが、これはたぶん大丈夫だと思っていた。問題はキャロ以外の三人が来るのをドラゴ
ンが知らないことにある。
 許可を得ていないのだ。カイムとドラゴンには『声』という非常に便利な連絡手段があるがキャロにはそれがなかった。
一応来客が増えたのを伝えた方がいいかと思ったまでは良かったのだが、よく考えればカイムもドラゴンも当たり前だが
デバイスを使ってはいなかった。
 念話も使えず、どうやって通信すればいいのかも分からないまま来てしまったのだ。ここまで来ると、いや最初からそ
うだが、竜に何も聞いていないから追い返すのは無理な話である。何とすべきか、迷いながらキャロはてくてくと三人を
先導しているのであった。

『やれやれ、千客万来だな』
「!」

 重い声がどこからともなく響き、キャロは飛びあがって辺りを見回した。
 そして一瞬の後に思い出す。確か口の利けない竜騎士とは、『声』と呼ばれる念話の一種で会話していた。この声は正
に、あの時のドラゴンのものであった。

「どうしたの、キャロ?」
「今、『声』が……」
「声?」

 少女の不思議な反応に問いかける同僚たち。だが耳を澄ませても何も聞こえない。
 どうしたのだろう。もう一度聞こうと三つの口が開いた瞬間、再びキャロが聞いたのはこんな言葉だった。

『まあいい。カイムがまとめて遊んでやるそうだ』
「え?」
「……キャロ、何か聞こえるの?」
「あの、カイムさんが……」
「危ないっ!!」

 問われたキャロが向き直り、ティアナの方を向いたのを、隣にいたエリオが急に引き寄せる。
 何事かと皆が見た直後、その目と鼻の先に、何かが唸りを上げて通り過ぎて行った。
 驚きとともにきっと目を向けると、そこに浮いていたのは紅い炎であった。歪んだ球体に回転しており、それはどう見
ても自然の炎などではない。

「魔法?! 一体どこから……!」

 竜へ教えを乞いに来たキャロはもちろん、今まで半ば遊び気分だった三人にも戦慄が走る。
 ざっと辺りを見回す四人。何もなくても背中を合わせるのは、日々の訓練の賜物といったところだろうか。

「キャロ、一体あなた誰にうっきゃあああ!」

 どこからともなう業火の弾が現れ、ティアナの肩すれすれを唐突に掠めていった。

「あの、カイムさんが全員まとめてっ」
「カイムって誰!? ていうかティア、ティアが焦げてるよぉ!」
「焦げてないわよ! 馬鹿な事言ってないで早く先行して元凶探しなさい!」
「駄目です、囲ま……れ……」

 エリオが周囲をぐるりと見回し、硬直する。何事かと他の三人も顔を上げ、そして固まった。
 バレーボールくらいの大きさはあろうか。紅蓮の炎の塊が、上空にも地上にも広がっている。見覚えのあるその光景は
白い教導官の放つあの光の弾に酷似していた。

「う……そ……これ……全部……?」

 完全に包囲された。
 いつの間にかドームのように展開した炎の弾に、思わずティアが呟く。まさかこんな歓迎を受けるとは思っていなかっ
たらしく、皆唖然として空を見上げていた。
 これらを一度に撃たれたら一体どうなるだろうか…想像したくもないが、術者がなのはやフェイトでなく六課に無関係
の人物である以上、それをされない保障はどこにもない。だが焦る四人がいくら周囲を見回しても、術者の姿は依然とし
て見えなかった。
 絶体絶命。と、そこに竜から『声』が届く。
 救いの言葉かと思い、慌てて耳を澄ませるキャロ。しかしそれは逆に、崖っぷちの彼女たちの背中を押した。

『竜繰りには体力が要る。死にたくなくば、捜すのだな』





「……さすがのお主も、制御は容易くないか」

 ところでその元凶もまた、それなりに苦戦中であった。
 母天使から奪い、膨れ上がった魔力は想像以上に巨大だった。雛鳥たちの手助けを承諾したのはその制御に丁度よかっ
たからなのだが、それも甘い話ではなかったのだ。
 己の剣が封じる魔法「羽炎」、ブレイジングウイング。先ずは今までと同じ出力で撃ったつもりなのだが、吐き出され
る炎は止まらなかった。大きさもどこか不揃いで、形もいびつに歪んでいる。

「大丈夫か」

 予想を超えて暴れる魔法に、気遣うように竜が言う。やって来たキャロたちが本当に黒焦げにならないよう、その位置
の調節に介入しているのは実を言うとこのドラゴンだった。こちらはそもそもの魔力が大きいだけあって、魔法の制御に
不安はないのだ。
 返事は勿論なかったが、しかししばらくすると『声』から焦りが消える。
 ようやくの安定をみたらしい。止まることなく打ち出されていた火の玉がしだいにカイムの意志に依ってゆく。形は球、
しだいにサイズは揃い、無秩序だった弾丸はやがて、八発一組で規則正しく撃ち出されるようになった。

「………………」

 しかしそうなると、カイムから目的が消えたことになる。
 『退屈』、『声』はそう告げた。
 視界の彼方では火焙り寸前の子供たち、そして小さな竜が逃げ惑っている。なるほどこれでは弱い者虐めだ。憎しみに
駆られ戦いを愉しむならまだしも、こうして隠れて火球を撃ち続けるだけでは面白くないのは当たり前である。帝国軍を
惨殺して回ったカイムだがそれは戦いと復讐の悦びで己を満たしていたのであり、弱き者を嬲ることそのものに快感を覚
えていたのではない。
 ドラゴンはキャロにああ言ったが、そもそもカイム自身そこまで気が進むものでもなかったのだ。

「そう言うな。おぬしが巡り会った、久方ぶりのまともな人間なのだぞ」
「…………」
「発散は必要だ。『母』の魔力も、そのうち身体に馴染もう」

 一通り火球を撃ち終えたカイムは剣を納め、両脇腹に備えた二本の剣を手に抜いた。試す魔法はいくつかあるのだ。
 まず左手。鋸のような突起を備えた白銀の剣。ソードブレイカー、細剣砕きと呼ばれるそれに魔力を通すと、途端にカ
イムの身体は溶けるように姿を消す。
 「白蝋の剣」と呼ばれた呪われし剣の魔法だ。不可視となり戦闘力を飛躍的に上昇させる、封じられしその名は「視え
得ぬ息吹(インビジブルブレス)」。幻術魔導師が真っ青になるほど完全に視認不能となったカイムは、次に右手の剣へ
と目をやった。
 左手のそれとはまるで正反対の、漆黒の刀身が闇を纏っている。ダークマターと呼ばれる混沌の鋼でできたそれにはト
ールクロウ、「雷魔の爪」の名を冠する地獄の雷が秘められていた。

「……人として生まれた者が」
「…………?」

 妙なことを口走る竜に、男が一瞬疑念の視線を向けようとして、

「人を捨て修羅に堕ち……なお再び、人の世に生きることができるのか」

そして止まった。
 こんなふうに謎かけめいた言葉を使うのはよくあることで、慣れているカイムは理解も早い。
 誰の事を言っているのか気付いたのだ。

「我は、否とは思わぬ」
「……」
「死ぬまで森の隠者でいる訳にもいくまい。おぬしは人間なのだぞ、カイム」

 戸惑いを孕む気配に、竜が静かに声をかける。
 そして窘めた。焦る必要はない。おぞましい赤子も、襲い来る帝国兵も、ここには誰もいない、はずなのだから。

「これも他人の為の剣だ。やってやれ」

 久しく振るわなかった、人助けの剣。
 ドラゴンの言葉に理由を得たカイムが魔法を解放する。剣が魔術の暗黒を吐き出し、剣魔の巨大な魔力に制御を受けて、
四人の足元と周囲に魔法陣が展開した。その数十二、詠唱など無い、まさに速攻だ。
 攻撃方法の急変にフォワードの間に衝撃が走った。背筋に走る悪寒に避ける間もなくシールドを展開するも、陣の上に
いる以上雷を反らすことはできない。魔法陣が完成すると同時に漆黒の光が障壁を撃ち抜き、軽減されたがそれでも十分
強力な電撃が身体を貫く。
 戦闘スタイルが一部の射撃系魔法を除いてほぼ近接型のスバルはまだよかったが、後衛で射撃を主とするティアナ、同
じく近距離戦に慣れていないキャロと、接近型であっても速度で相手を翻弄するタイプのエリオはそうもいかない。なの
はの訓練である程度慣れているが、基本的に強力な魔法をその身に浴びることを前提としてはいないのだ。前衛後衛無差
別に走った雷光が少なくないダメージを与え、暗黒の魔法陣が追い打ちのように体力を奪ってゆく。
 そして上空から、再び夥しい数の火球が弧を描いて迫る。魔法陣から出て左右に避けようとするも、電撃の効果で足が
痺れたままだ。動きを止めての集中砲火。ぞっとするほど冷徹で、そして的確な戦術だった。





「もう終わりか」
「…………」
「そう言うな。未熟の雛鳥どもだ…それにしても、『蜘蛛の子を散らす』とは巧く言ったものよな」

 ドラゴンはくっと笑って評したが、迫る火球を避け黒き雷を前に転がりまわる子供たちは正にその通りの有様だった。
 戦闘経験の少ない少年少女たちに、本人からすればただの試し撃ちなのだがどう見ても情け容赦のないカイムの魔法を
回避しながらターゲットの捜索などまともに出来るはずもない。
 さらに言えばカイムの姿は透明になっており、逃げながら必死に辺りを見回したところで絶対に見つかるはずなど無か
ったのである。結局その日彼らがカイムを見つけることは当然できず、残ったのは棒のようになった手足と身体に響く痛
みだけであった。
 しかし成果が無かったわけではない。防ぐことを前提としている訓練とは違う「倒すための」魔法だったのだ、確実的
確に撃ち込む間の取り方は良い手本になった。その上高速で迫る魔法を回避し続けることで、敏捷性と危機察知の点にお
いては疲労困憊しただけの物を得たとも言えなくもない。
 だがあれだけ縦横無尽に森を駆け回ったのに、ターゲットの姿どころか影すら捉えられなかったというのはどういうこ
とか。
 それだけが彼らにとって引っかかると同時に、もう勘弁してほしいと思った。普段の訓練は終わりがあるから苦しくて
も厳しくても頑張れるが、ターゲットがいくら探しても見つからないとなると希望も何もあったものではない。
 本気で泣きそうになるフォワードたち、しかしそのくらいではへこたれないのが若き心である。その日ベッドの中で、
彼らは似たようなことを呟いたそうだ。

「うぅ……誰だか、知らないけど……覚えてろぉ……!」
「このままじゃ……終らないんだからっ……」

 ただ、ターゲットの正体を知る一人は、それはそれとしてこんなことを思ってもいた。

(私も、あんな風になれるかな……)

 絶対になってはならないのだが。
 ともあれ、「普通の」一人前への道はまだまだ遠そうである。



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