女神の城を落ちのびて数日。フリアエを警護しつつの行軍は、当初の予想に反して穏やかなものだった。
 竜と契約を果たしたカイムの力もあるとはいえ、仮に城を包囲した数の帝国軍がそのまま追って来ていたらひとたまりもなかった筈である。カイムとドラゴンが生き延びるだけならどうとでもなる話であるが、旅の連れには女神が居るのだからそうもいかない。エルフの里までの道のりは彼女の守護が大前提だ。
 万全を期すため、ドラゴンが斥候を兼ねて地上を警戒しつつの道中であった。本隊から離れていたであろう小数の敵にこそ遭遇したものの、その程度であれば契約者の力は、女神を連れてさえ歯牙にもかけない。野伏せをする兵もいなければ、逃走経路が帝国兵の陣地にぶつからなかったのはひとえに幸いと言えた。

「フリアエ。もう少しだ。もう少しだからな。心配するな」

 封印の負荷と旅の疲れにより、どう控え目に見ても万全とは言い難い状態の女神を、イウヴァルトはそんなふうに、道すがら幾度となく励まし続けていた。聞けばこの男、女神の元許嫁であるらしい。婚約が解消された今もなお、執心じみた愛を傾けているらしいと、この数日で赤い竜は分析していた。
 しかしあまりに永い時を世界から隔絶されて過ごした女神の、絶望に凍てついた心にはいかなる想いも届くことはないであろう。そのことにイウヴァルトは気づいているのか、はたまた目を背けているだけなのかは分からないが、いずれにせよ独り相撲には違いない。竜は彼の、女神への態度を鬱陶しく思い始めていた。
 そんな竜の苛立ちは、女神が名状しがたい感情を向けるたった一人の男、心臓を共有する青年に対しても同じであった。
 彼はこの道中、行く手を塞ぐ帝国兵の小隊をいくつか斬り捨てた。その度にこの男は胸の中で憎しみを燃やし、女神である妹に憫然たる思いを向ける。
 しかし契約を果たし、一部思考さえ共有することになった赤き竜には、この男の本心が手に取るように分かる。カイムが人を斬るのは父母や妹の為でも、故郷の為でもない。彼は己の怒りを鎮める為だけに人を斬っている。復讐という目的はそれを正当化するための誤魔化しに過ぎなかった。
 そんな命を奪うことによって充足を得てきた男に、種族として人間を卑下してやまない紅の竜が、友情など抱く筈もない。歩みを進める中で何も築くこと無く、信頼とは程遠い関係のまま、道のりは不自然なほどに静かに続いていた。
 やがて一団は、ようやく目的地に近付きはじめた。
 エルフの集落はカイムたちが進む平原を抜けた先、静かで広大な森の奥に存在する。
 切り立った断崖の向こうに隠れているその村は、地理的にも生活的にも外界からやや隔たっている。さらに森の深部には常に濃い霧がカーテンのように視界を覆っており、容易に辿り着くことはかなわない。天然の要塞と言えた。
 迅速を要する行軍ではあったが、女神フリアエの体調もあって予想以上に時間がかかった。陽が落ちればキャンプを張る必要があり、そのため夜は足が止まる。
 しかしここまでは大事に至る出来事は起こっていない。女神の城が落ち、精神的に疲れきっていた連合兵士たちにとっては、それが最後の救いであった。

 竜と男が不穏な『声』を聞いたのは、森まであと数日ばかりとなった時のことだった。







□   □   □




「そんなことが信じられるか! ……エルフの里は無事だ。無事なはずだ!」

 イウヴァルトは繰り返した。言葉を荒げるその様子は、まるで自分に言い聞かせるようにも見えた。
 煤けた空を飛ぶカイムとドラゴンの顔には、既に諦めの色しかない。無駄と知ってなおエルフの里を目指すのは、万に一つほどの可能性を見ているのと、いずれにせよ他に行く場所が無いからに過ぎなかった。戻ることが出来ないなら、希望など無いと知りつつも進む他になかった。
 エルフの里が襲われた。
 カイムたちが受け取った思念の波は、森の奥深くに住む長命種の断末魔であった。
 彼らは大きな武力を持たない代わりに独特の魔術を扱う。死の恐怖と絶望に精神が弾け、森の外にいるカイムたちにまで届いたのだ。

「……とにかく、この鬱陶しい蝿どもを一掃するぞ」

 明らかな諦感をにじませて、ドラゴンがブレスを吐き出した。怪音波を発していた羽が焼け焦げて墜ちる。バット。蝙蝠の亜種だ。ひとつひとつは戦うにも値しないが群れる習性があり、蚊柱のように集団で獲物を狙う。邪魔者以外の何物でもない。雲のように広がる黒い影であったが、焼き払うのにさして時間はかからなかった。
 さらに進むと、ガーゴイルキューブが空中に無機質な肌をさらしていた。赤い怪光弾が幾つか竜に命中したが、大きな傷にはならなかった。その代わりに地上最強の生物の怒りを買い、道をあけろ、と怒気を隠さず竜が吼えた。闇夜に紋章が、続いて一瞬の閃光が走り、魔を帯びた灼熱が生き物のように敵を食らう。
 魔物を撃墜し、肌寒い空を飛び続けると、しだいに森が近づいて来た。
 やがて、静かな森の入り口にさしかかった頃。どおん、と大気を打つような音が響き、続いておおきな塊がドラゴンの翼を狙って通りすぎた。ぱちん、ぱちんと小さな破片が当たる。霞がかった視界の向こうからだった。竜は勢いよく火炎を吐いて、一面に広がる霧を吹き飛ばす。正面に現れた敵の姿は、女神の城以来、彼女らがよく知るシルエットをしていた。

「帝国軍の空中兵器だ。多いぞ」
「なっ……」

 永世中立の集落の上空に、帝国軍の兵器があると言うことは――。
 そこから先は考えずとも解ろうというものだ。それでも竜の言葉を認めないとばかりに、地上のイウヴァルトはかぶりを振った。

「そんな、まさか……まさか!」
「降下するぞ。合流して集落に向かう。覚悟は済ませてくことだ……」

 イウヴァルトらと合流し、竜は目指していた森の外周へと降りて行く。
 竜の背から飛び下りたカイムに向かって、草を踏みしめるいくつもの足音がにじり寄ってくる。それが帝国の軍勢だと悟ると、まだ希望を捨てきれないイウヴァルトに反して、彼は静かに失望を深めた。二百か三百か、それ以上か。すでにおびただしい数の帝国兵が森に入り込んでいるらしい。この分ではエルフの集落の無事など、期待しない方が賢明というものだ。しかし、彼らは先に進む以外の道はない。
 風を切り裂くような音に危険を察して、カイムは横っとびに飛び退いた。人の腕ほどはあろうかという矢が、霧の向こうから地面抉りとる。
 標的は定まった。
 竜を駆って迅速に移動し、遠くから大弓を操作していた兵士を、障害となる者として先ず殺害する。
 先へ進むと、ずんぐりとした装甲兵が、森の奥に続く橋を渡ろうとしていた。膂力があるものの移動は遅い。火炎を放ち、反応が鈍った一瞬で斬りかかった。兜ごと頭部を絶ち割る。鎧と兜との隙間をつき、ひと振りで首を落とした。
 兜が外れ、胴と泣き別れた首がずるりと落ちる。見開かれた目は、血のように赤い色をしていた。

「最後の望みを繋ぎたいのなら急ぐがよい」

 ざらざらした感覚を共有するドラゴンがそう急かす。カイムが切り開いた道をイウヴァルトらが追いつき、一行は橋にさしかかった。

「道を違えるな。この霧では我の位置からは何も見えん」

 橋の向こう、生い茂る木々の間にはさらに深い霧が立ち込めていた。この視界では低空での飛行は危険であり、地上から進むしかない。後方でイウヴァルトたちがフリアエを守りつつ、カイムが突出する形で奥へ進むことになった。契約者一人の力は並みの人間が束になったところで及ぶべくもなく、当然かつ最適な陣形であった。
 そんな中、最後まで心配そうに兄を見ていたのは女神フリアエだったが、「気をつけて」と抑揚のない声で言うに留まる。
 その様子を見つけて、イウヴァルトが背を向けようとするカイムに問いかけた。

「カイム。……お前本当は、フリアエと……」

 いや、何でもない。自分の念を押すように言って、彼は女神のもとへ戻っていった。地図を頼りに、森を真っ直ぐに進む。
 女神フリアエ、元貴族イウヴァルト、そして竜騎士カイム。この森と同じく、心に靄のかかった彼らの前で、やがて木々がわずかに開かれる。

「信じないぞ……この目で見るまで、絶対に!」

 イウヴァルトが、抗うように叫んだものの。
 やがて現れた光景に、彼は目を大きく見開きいて、絶望のあまり膝をついた。



― ― ―

静かな森-上空-地上
◇Dragon result
ATK9 158kill exp10575
第一形態
◇Caim result
26kill total:434kill exp9012  カイムの剣 Lv.2



 目次へ