殺すがいい。剣を振り上げた男に向かって、赤い竜はそう吐き捨てた。
神の使いたる赤き竜は、既におのれの生命を諦めている。彼女にとって命は、執着すべきものではなかった。
人間に殺されるのは癪であったが、かといって帝国軍に捕えられ虫の息となった今更、死に方を選ぶつもりも、その為の気力も、竜の体からはとうに失せてしまっていた。
しかし男は、頭上に掲げた剣を振り下ろす様子を見せなかった。
今この段になって怖じ気づいたかと、全身をさいなむ痛みを鬱陶しく思いながら、竜は鎖に巻かれた首をもたげて、いつまでも動きを見せようとしない男の目を覗きこむ。
彼は険しい表情をしていた。深く心の中を読まずとも、燃えるような憎悪と怒気が渦巻いているのが一目でわかる顔だった。しかし目だけを見るとある種の葛藤、迷いがその中に感じられる。
男の背から、血の雫がこぼれた。
その音に急かされてか、彼はようやく口を開いた。
「お前に、生きる意志はまだあるのか?」
何、と問い返した竜は、まだ気付いてはいなかった。
男が憎悪ではない何物かに対して、激しく抗っていたことに。
遠い昔。ドラゴンが空を飛び、地上にまだ魔物たちがいた時代。
この男と竜が心臓を交換したのは、帝国と連合国、世界の秩序を保つ「女神」を巡って争う最中のことだった。