子供のころ会ったひとりの少年を、スバルはよく覚えている。
 そのときはちょうど空港で姉とはぐれ、ひとりぼっちで人ごみの中を歩いていた。どこを見ても
知らない人ばかりで、場所もどこだかさっぱり分からない。
 今よりも内気だったスバルにとっては泣きだしそうなくらい心細く、ひたすら探し回っていたよ
うに思う。迷子センターか何か、行くべき場所が見つかればよかったのだが。そういうものはそう
いう時に限って、なかなか見つからないものなのだ。

「やれやれ。なんか鉄臭いとはぐりんたちが言ったから来たが、クアの子なんぞいやしない」

 そろそろ泣く、というタイミングで、待合席から声がした。
 きょときょとと辺りを見回すと、同じく何かを探していたその少年と目が合ったのだ。

「お。……おお? ええと、誰だっけ。記憶にあるが記憶にない……まぁいいや」

 知ってるけど知らない。などとよくわからないことを言いながら、少年は近くにまで歩いてきた。
 「知らない人についていってはいけない」という姉・ギンガの言葉を思い出しながらも、何故だ
かその時スバルは、一歩も動かずにただその様子を見つめていた。
 どういうわけか、心細かったのも忘れて、不思議な気分だったように思う。
 例えるなら、安全地帯に足が生えて、向こうからとことこ歩いて来たような。

「こんちは」
「……こ、こんにちは」
「突然で悪いけど、この辺でメガネの目つきの悪いのを見なかった? ちょいと探してるんだけど」
「え……ううん、そんな人……」
「そうか。いやー、あの人には悪いことしたからな。詫び入れてやろうと思ってたんだが」
「な、何したの……?」
「まさかワサビがあれほど苦手とは知らなくて。トラップで泣かせたお詫びに、サビ抜きの寿司を御馳走してやろうかと」
「おすし?」
「ぜんぶ玉子だけどな」

 そう言って、少年はどこからともなく寿司台を取り出した。
 何の前触れもなく握り寿司が出て来たという光景と、目に痛いほどの真っ黄色な色彩に、スバル
は二重の意味で衝撃を受ける。

「ほら、寿司食いねぇ」
「えっ……あ、ありがとう、ございます……」

 と思ったら差し出された。恐る恐る食べてみると、その玉子はたとえようもなく甘くてクリーミ
ィ。こんなものをもらえる私は、きっと彼にとって特別な存在なのでしょう。
 そんな実況を勝手にしている少年の顔を、改めてスバルはまじまじと見つめた。年は姉よりさら
に上のようだ。だが何を考えているのかはよく分からない。
 何処からお寿司を出したのか、とか、玉子ばっかり食べさせられる連れの人が可哀想、とか思っ
たが、それでもわかったことがある。
 悪い人ではないらしい。
 思い切って、勇気を出して、スバルはお願いしてみることにした。

「にしても妙だな……クアの子が空港で悪だくみしてるなら、そろそろ何か起こるのだろうかとカメラ持ってきたのに」
「あ、あの……すみませんっ、おねえちゃんを、一緒に探し……」
「悪の科学者(笑)の悪事をフィルムにまとめ、映画にするという俺の野望が……まぁ、撮影技術は後から追い付くでしょう」
「……す、すみません、おねえちゃんを、探すのをっ」
「『ミッドクリフ』をまとめた後は『ヘルニア国物語』の構想か……胸が熱くなるな……」
「あ、あの……あのっ」
「やはりスカさん主役かな。数の子の生みの親なわけだから、あの人もう『ニシン博士』とかに改名してもいい気がするんだよなぁ最近」
「う、うう……」

 話を聞いて。

「……ああ、思い出した!」
「えっ?」

 ぽんと手を打ち、「ニシンで思い出した!」と少年は言う。
 そうしてスバルを指差し、高らかな声で言い放つのだ。

「メバル!」
「スバルですっ! うわあああんっ!!」

 泣きながら走りだすスバルを、慌てて少年が追いかけて行った。





 追いつかれ、謝られ、姉探しを手伝われ見つけたところで、一言二言の挨拶を交わして、少年は
まるで何事もなかったかのように去って行った。「玉子が減っちまったから、クアットロはかっぱ
巻き攻めに変更だな……」と去り際につぶやいていた。終始よくわからない人だった。
 あの時食べた玉子の味が忘れられず、女の身で板前を目指すなどという超展開にはならなかった
ものの。その奇妙さゆえに、なんとなく現在まで、彼のことはスバルの記憶の中に留まり続けた。
 その後雑誌と映像で目にした、華々しいまでに活躍するなのはたちに憧れを抱き、魔導師への道
を志すようになった。
 そして今。
 そして今!

「最近特に厄介なガジェットの破壊と並行して、この男の捜索もしてくから。顔を頭に入れといてくれ」
「あれ……ヴィータさん、その」
「どーした?」
「この人……ただの板前じゃなかったんですか……?」

 どう説明したものか、とヴィータは頭を抱えた。



(続く)




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